「石平(せき・へい)氏が中国国内でのベストセラー・ランキングに習近平の著作が軒並み入っているという情報を7/6の『産経』に載せています」
「軒並みというのは、どういうことですか?」
「ベストセラー10位の中に、『習近平著作選読』が8冊入ったそうです」
「それは凄いと言うか、共産党員の方が買うのですか?」
「中央や地方の党組織がまとめ買いをしているようだと言っています」
「私には、その感覚がよく分からないのですが、それは一種のゴマスリですか?」
「党員は学習義務がありますので、地区組織でまとめ買いして、学習会で本を配って読ませる活動をすれば、中央から褒められるということではないでしょうか」
「私だったら、ベストセラーに入った、別の2冊を買いますね。組織的な購買に抗して、堂々とベスト10に入った訳ですから、きっと面白いと思います」
「党や政府に批判的なものは1冊もありませんよ」
「この前、焚書坑儒状態とおっしゃってましたよね。素朴な疑問ですが、どうして、そういうことをするのですか? 批判的なものが出回っても、ビクともしないような国だと思いますけど……」
「彼らの発想は真理は1つなので、正しい見解は1つ。従って、真理を説いた本は1冊という考え方だと思います」
「その時点では真理かもしれないけれど、後になって覆される場合もありますよね。あるいは、その逆もあります。つい前までは、怪しい主張だったのに、今は真理とされるものもあると思います」
「そういう複雑なことを考える人は、粛清されると思います。幹部の方で、所持していてはいけない本を持っていただけで、党籍を剝奪されて追放されています」
「たった、それだけのことで追放ですか?」
「北京市の資産管理委員会主任の方ですが、「厳重なる政治問題のある書物」を隠れ持っていただけで、つい最近、公職から追放されたそうです」
「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「Kシニア(日本船舶海洋工学会 関西支部)」提供です
イデオロギーは「密室の論理」であり「虚構の論理」
イデオロギーというのは、「密室の論理」であり、「虚構の論理」です。両者は不可分の関係にあり、虚構だからこそ「密室」を作る必要があります。「密室」というのは、異論が外から入り込まないようにすることと同時に、室内は常にクリーンにする必要があります。香港に対して、あれだけ激しい弾圧をしたのは、あそこが自由主義的な空気の流れ道になっていたからです。下手をすると、そこから体制が瓦解するかもしれない、そういう危機感をもって対処したのです。
共産主義自体が今や単なるイデオロギーなので、あらゆる方向から突くと崩れそうな状況です。ヨーロッパ・コミュニズムが退潮し、方向転換して、今や昔の面影が全くありません。その流れが、やがてはアジアにも来るでしょう。それを防ぐためには、国内を固めて「密室」を作りつつ、その中で自分たちのイデオロギーを大量に流します。
国民はやがて洗脳状態になります。「習近平終身独裁政権の下で、中国という国は再び暗黒の時代へと突入している」(『産経』2023.7.6日付)と石平氏は指摘します。
(「版元ドットコム」)
沖縄ではなく「琉球」を使い始めた
最近、中国は沖縄ではなく「琉球」という言葉を使うようになりました。彼の著作、と言ってもゴーストライターが当然いると思うのですが、その中で福建省の福州には琉球館や琉球墓があり、琉球との関係が深い地であることを書いています。
福建省の福州というのは、習近平氏がかつて勤務していた場所です。ただ、琉球王国もその王国と冊封関係にあった明王朝も清王朝も今はありません。完全なノスタルジアなので、その歴史を現代に繋げることは出来ません。ただ、それを無理矢理繋げようという動きを見せています。
沖縄県知事が中国に訪中をしました。県知事には、外交権がありませんのでそこでの約束は、日本の国にとって何の意味もありません。そういうこともあり、NHKはニュースとして流さなかったと思います。ただ、中国側は李強首相が対応しています。異例の厚遇と言って良いと思います。厚遇をするということは、何か魂胆があるということです。
(「テレ朝news」)
琉球王国の歴史を概観する
琉球王国は、1429年から1879年までの約450年間、沖縄を中心に南西諸島を統治していた王制国家のことです。現在、再建が進められている首里城が琉球王国の象徴的な建物になります。
歴史を紐解きますと、1609年に日本の薩摩藩が3000名の軍勢をもって琉球の首里城を占拠し、薩摩藩の支配下に入ることになります。その後、琉球王国の尚氏は石高89000石の王位となり、独立した王国として中国との朝貢貿易も継続しました。日本とは、琉球王の交代、将軍の交代がある度に使節を送るという関係を継続します。中国と日本の両方に貿易関係を保つ外交を展開していたのです。
やがて明治政府は、1879年(明治12)軍隊を派遣し首里城から国王尚泰(しょうたい)を追放し沖縄県の設置を宣言します。ここにおいて、琉球王国は滅亡することになります(琉球処分)。現在ゲノム解析のプロジェクトが動いていて、やがてははっきりすると思いますが、沖縄人と本土人は遺伝的共通性があることが分かっています。琉球王を沖縄の地で名乗った日本人が過去にいたという捉え方が正しいのではないかと思います。
(「首里振興会」)
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