「『地方消滅 2』を読みました。結論から言いますと、完全に的が外れています」
「どんなところが外れているのですか?」
「前回も言いましたが、原因究明を全く行っていません」
「マンションが傾いているという話でしたよね。どうして、傾いてしまったのですか?」
「中央集権体制だからです。中央集権体制という地盤にマンションが適合せず、傾き始めたということです。地方分権の地盤に馴染んだマンションなので、劣化が激しいのです」
「どうすれば良いのですか?」
「地方分権化に向けて動けるところは動くということです」
「もう少し具体的にお願いします」
「逆に質問します。日本は、立法、行政、司法、外交、財政、教育のすべてが中央集権体制です。地方分権が可能なのは、どの分野だと思いますか?」
「司法、外交は絶対に無理ですよね。強いて言えば、教育でしょうか?」
「地方に教育委員会がありますので、政府がその気になればすぐできます。ただ、実際には様々な許認可事務権限を文科省は手放さないと思っています。その理由は、わかりますよね」
「裏事情がいろいろあるのですね。ここからが、本論です ↓ 表紙写真は「UHB北海道文化放送」提供です」
人口減は中央集権体制のもとで進行する
中央集権体制の歴史は、明治時代から始まります。人口減は構造的な問題ですので、そこから紐解いていきたいと思います。
最初の一歩が大事です。スポーツでも最初の踏み込みが重要です。理屈は同じで、物事を始める第一歩の踏み出しがどちらに向いているか、それが一番重要ですが、日本は明治時代にそれを間違えます。明治の藩閥の為政者たちは、お手本を西欧諸国に求めます。例えば、伝統ある会社の経営を引き継いだ時、普通は今までの会社の歴史を調べて、その軌道に沿った経営をしようと考えます。軌道修正はその後です。それをせずに、他の会社を手本にして、いきなり軌道修正をします。それを明治維新と言って、歴史学者の多くは賛美しているのです。
明治維新は薩長土肥が起こしたクーデターですが、政権を執った後も内部で権力抗争を繰り広げます。政権を執ったものの、何をどうしたら良いのか分からなかったのでしょう。政府要人107名が1年10か月の諸国外遊に行きます。世に言う「岩倉使節団」(1871)ですが、本来は日本諸国を周り、庶民目線で日本の実情を見るべきだったのです。それに合わせて、日本の歴史・文化や統治について調べるべきだったのです。47歳の岩倉具視が全権大使。木戸孝允(長州/38歳)、大久保利通(薩摩/41歳)、伊藤博文(長州/30歳)、山口尚芳(佐賀/32歳)が中心メンバーです。下の写真を見て分かりますが、年齢的にかなり若いですし、出身藩が偏っています。若い上に、似たような考え方の者が集まり、猪突猛進で進む方向を間違えたということだと思います。
征韓論から日清戦争、日露戦争とまっしぐらに突き進んで行きます。敗戦までの歴史をどう見るかですが、近年は特に何も日本は間違っていなかったという立場から正当化する論理を散見するようになりました。明治から敗戦まで、戦争に次ぐ戦争の日々で、何百万人という命が無くなり、領土も削られたという結果が出ているのに、何の反省もない、何の悪いところがないというのは、おかしなことです。
(「BUSHOO!JAPAN-武将ジャパン」)
戦後も中央集権国家の流れを引き継ぐ
戦前の中央集権国家の流れを、戦後も引き継ぎます。本当は日本の本来のかたちである地方分権体制に移行できれば良かったのですが、そのようなことを問題意識として持っていたのは誰もいなかったのでしょう。今の憲法に「地方自治」の章(第8章)が入り、自治体の長と議員の公選制度が導入されますが、あくまでも中央集権体制を補完する役割を期待されただけです。
中央集権国家体制なのに、なぜ高度経済成長を成し遂げることが出来たのか。政治体制が独裁体制でも、経済政策が正しければ経済発展をします。それは、中国を見れば分かります。民主主義体制でも、経済政策を間違えれば、経済発展しません。高度経済成長できたのは、様々な要因が重なったからです。1つは、敗戦によって、戦前の様々な組織のトップクラスがいなくなったことです。A級戦犯28名、BC級戦犯は5,700人が起訴され、死刑判決も含めて、4,830名もの人が裁かれました。戦犯で裁かれた人の中には、経済界の方もいたのです。
軍隊だけではなく政府関係機関、企業、各種団体は、ヒエラルキー組織で硬直状態だったのですが、主要な組織は戦犯ということで「上」の重しが取れたのです。「上」の重しが取れたという点では、明治維新の時と同じです。社会全体に開放的で平和の雰囲気が一気に満ち溢れました。2つ目は、アメリカ軍が駐留するようになったため、防衛費が少なくて済みました。インフラや民生関係に資金を回すことができました。そして3つ目が円安ドル高の環境が、加工貿易国の日本にとって好都合だったのです。あっという間に、経済大国にのし上がったのです。
(「中学受験ナビ-マイナビ」)
学校統廃合を進めれば地域から子どもが去る
元来の日本人の生活は生まれた時から死ぬまで、共同体の中で貫徹するというものでした。家族の一員として迎えられるかたちで生を受けますが、その家族が集まって共同体をつくり、その協力の中で様々な文化を生んできました。共同体に対して民の側から表現する言葉が「公」、「公」から民を表現する言葉が「私」でした。日本に於ては、「公」と「私」は対立せず、調和を目指すものだったのです。そして、共同体を支えるものが学校であり、市町村といった行政組織だったのです。
1960年代以降、学校統廃合と市町村合併の「嵐」が吹き荒れました。学校統廃合と市町村合併を行った理由は、単なる経費節減です。共同体に亀裂が入ることが分からず、学校統廃合と市町村合併を遮二無二進めました。「子供が少なくて、適正な教育環境が維持できない」という変な思い込みのもと学校統廃合を進めたのです。教育は一定の人数が集まったから行うものではなく、学ぶ要求があるところに教育ありという考えをする必要があります。江戸時代の寺子屋は元々そういった動きの中から自然発生的に生まれたものです。
学校統廃合を進めれば、確実にその地域から子どもは少なくなります。その理屈は普通に考えれば分かると思います。かつてその因果関係を調べたことがあります。少し古いデータですが、2010年から2015年の人口減少率日本一が秋田県です。三番目が青森県ですが、戦後70年間で両県併せて929の小学校を廃校にしています。ということは、929の地域に亀裂を入れたことになります。沖縄県がなぜ人口が余り減らないのかと言うと、中央の方針に逆らって学校統廃合を進めていない自治体が多いからです。学校統廃合をした数に比例して、人口減は進んでいることはデータを調べれば分かります。今は簡単に検証できますので、疑う方は実際にインターネットでデータを取って確かめてみて下さい。
現在、少子化に伴って何とかの一つ覚えのように学校統廃合を進めています。2002年度から2022年度の20年間で全国で8580校が廃校になっています。8580の地域に亀裂が入ったことになります。この動きをまず止めないと、子供は減り続け、人口減は加速度的に進むことになります。
(「産経新聞:産経ニュース」)
読んでいただきありがとうございました。
よろしければ「ブログ村」のクリックをお願いします。
↓