
「今日は、イギリスの教育改革について紹介したいと思います」

「同じ島国なので、参考になるかもしれませんね」

「イギリスも教育荒廃の問題、偏向教育の問題、非行の問題を抱えていました」

「日本と同じような問題を抱えていたのですね」

「教育改革が行われる前までは、1944(昭和19)年教育法の考え方で教育が行われていました。チャーチル首相率いる保守党・労働党連立内閣の下で制定されたものです」

「イギリスは2大政党制の国なので、ほぼ全員一致で定めたようなものですね」

「そうですけど、労働党の考え方に近い内容になっています」

「具体的に指摘して頂けませんか?」

「そうですね、例えば、教える内容はすべて現場の教師が決めて良いとなっています」

「何を教えても自由ということですか?」

「法的には、地方教育当局ですが、実際には、現場の教師が自由に決めて良いのです」

「日本では考えられませんよね。教師にとっては、良いかもしれませんね」

「実際には、余り評判が良くなかったみたいです。主任から必要最低限度教えるべきことを言われて、後はあなたに任せるからと言われて大変困ったという声もあります」

「詳しくは、本論でお願いします ↓表紙写真は「幻冬舎-plus」提供です」
1988年 教育改革法——サッチャー教育改革の中身
1944年教育法は、一言で言えば「条件整備法」でした。国は教育の条件整備の役割を担い、それ以外の教育内容や運営は、地方教育当局に任せるという原則に基づいていました。つまり、国は地方当局や学校を直接的に指揮・監督しないという立場をとっていたのです。
しかし、現実には理想通りにいかず、1970年代には「イギリス病」と呼ばれる混乱の中で、教育現場にも問題が生じました。マルクス主義の影響などを背景に、児童中心主義教育が広まり、学力の低下が顕著になりました。自分の名前すら正確に書けない子供たちや、規範意識が著しく欠如した子供たちが増え、青少年の犯罪も増加していったのです。
また、授業前にキリスト教の集団礼拝を毎朝行うという従来の慣習が無視され、さらにはイギリス史を教えず、インド史や中南米史ばかりを教える教師も出現しました。こうした教育現場の混乱を是正するために導入されたのが、1988年教育改革法です。
(「Web大学 アカデミア」)
教科書検定制度は導入されず
1988年教育改革法によって大きな転換が図られましたが、イギリスでは日本のような教科書検定制度は導入されていません。その代わりに、全ての学校が従うべき「国定カリキュラム(コアカリキュラム)」が設定されました。例えば、国語の教科書において「雪国」や「源氏物語」に相当するような作品を必ず含めるようにと、具体的な指針が提示されます。教科書会社はこのカリキュラムに基づき、各自で教科書を作成するのです。
また、宗教教育においても改革が進められました。1944年教育法では宗教教育の実施が義務付けられていましたが、実際にはキリスト教を教えず、イスラム教やヒンズー教を教える学校も現れていました。そこで、1988年の改革ではキリスト教を必修としつつ、他の宗教も選択制で学べるようにしました。
「三位一体」「許し」「神への奉仕」といったキリスト教的価値観を基礎として教育を再構築したことにより、イギリスでは少年犯罪がほぼ半減するという成果も現れました。
(「山口大学大学院技術経営研究科」)
教育水準局を創設する
1988年教育改革法の目玉とも言える施策が、「教育水準局(Ofsted)」の設立です。この機関は、学校の教育活動全般を監視・評価する政府から独立した機関として創設されました。約2,000人の職員は国家公務員として配置され、議会での発言権を持つなど、高い独立性と実行力を備えています。
教育水準局は、公式文書の確認、授業参観、教材の検討、テスト結果の分析などを通して学校を監査します。また、校長や教師、保護者からの聞き取りも行い、最終的に監査報告書を作成して校長に提示します。
仮に「教育困難校」と認定されると、2年間にわたって水準局の監視下に置かれ、それでも改善が見られない場合には廃校処分となります。1993年からの10年間で約1,300校が「教育困難校」に認定され、そのうち200校近くが廃校となったと報告されています。極めて厳格な制度であり、日本においても、これに匹敵する厳格な監査制度の導入が待たれます。
(「スタスタ」)
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