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『日本に生きる北朝鮮人 リ・ハナの一歩一歩』―— 脱北して中国から日本へ / 大学卒業間近に自分のアイデンティティを確立

「公立の図書館から『日本に生きる北朝鮮人 リ・ハナの一歩一歩』という本を借りてきました」

女性

「リ・ハナさんというのは、北朝鮮の方ですか?」

「本人の名前は仮名です。生まれは北朝鮮です」

女性

「北朝鮮で生まれた方がどうして日本へ?」

「祖父母は半島出身ですが両親は日本で生まれたからです。戦後の帰国事業のことは、ご存じですか?」

女性

「聞いたことがあるという程度です」

「1959年から84年にかけて行われたのですが、9万3千人の在日の方が北朝鮮に渡っています」

女性

「そこでお生まれになったのですね」

「北朝鮮の新義州市で生まれ、そこで育っています。なぜ脱北したのかという事情は本文で紹介します」

女性

「本はどういうきっかけで出すことになったのですか?」

「日本に来て4年目に大学に入学をするのですが、その4年間のことを中心にブログで発信しています。それをまとめたものです」

女性

「いつ出版されたのですか?」

「この本が出たのが12年前で、当時の彼女は20代の半ばです。来日してそんなに年数が経っていませんが、文章が素直で読みやすいし、何よりも彼女の繊細な感性が至る所に感じられます」

女性

「日本での生活が順調にいくと良いなと思います。ここから本論です ↓ 表紙写真は今回紹介した本です」

 脱北の決意をする

彼女が14才の高等中学校の時に彼女の一家にとって重大な出来事が勃発します。北朝鮮は親族の誰かが悪しきことをした場合、その罪が他の親族にも及ぶという連座制を採用しています。親族がどのような罪を犯したかは分かりませんが、とにかく彼女の一家4人は農村に追放されることに決まったそうです。そして、すでに住民登録は農村に移されてしまったと言うのです。

一度農村に行けば永遠に戻れなくなるので、新義州市内の親戚や知人の家を転々とする生活を選択します。その間に新たな戸籍を何とか手に入れようという考えだったのですが、その間に医師であった彼女の父親が死んでしまいます。

戸籍の入手が無理であることが分かり、彼女の母は2人の兄弟に中国に行く決意を話します11月のとある日、彼女の母と2人の兄弟は中国との国境に流れる川である鴨緑江の中州に船で渡ります。そこは中国商人との貿易取引が行われる場所なので、そこまでは通行証明書を得ていたので行けました。問題は、そこから先です。

(「論座-朝日新聞デジタル」)

 中国での過酷な潜伏生活

中州にある宿泊所に泊まり、翌日の早朝、周りがまだ暗い闇に包まれている時、川の水が引いているのを見計らって脱北劇を敢行します。川の堤防を渡り切ると朝鮮族の男性がいて、彼が近くの村にある友人宅に連れていき、そこで1泊休ませてくれたそうです。

その後、バスと電車で瀋陽市まで移動。そこで5年間の潜伏生活を送ります。生きるためには仕事を見つけなければいけないのですが、中国に住む朝鮮族の中年女性と知り合います。彼女から仕事の見つけ方を学びます。人材市場という有料の職業紹介所があり、そこで仕事を見つけます。仕事は皿洗いとか野菜洗いといった単純労働ばかり1日13~14時間働いたことも珍しくなかったそうです。携帯が高価な時代です。一緒に脱北した母と弟とはやがて連絡が取れなくなり、3人は離れ離れになります。

2005年11月30日に彼女は関西国際空港に一人降り立ちます。彼女の両親や祖父母との繋がりがある方の助けがあって日本に来ることが出来たそうです。ただ、日本に着いたものの、無一文で言葉も分からず、右も左も分からない状態でした。そこから様々な人の助けを借りて、働きながら、日本語を学び、大学に入学して4年間で卒業します。

(「株式会社トランスフォーマー」)

 大学卒業間近で、自分のアイデンティティを確立する

彼女が一貫して悩んでいたのは、自分のアイデンティティです。それが確立しないため、どうしても自分に自信が持てないし、仲間に対しても消極的になってしまいます――「私も疲れを感じています。クラスの留学生を近寄せないためにずっと下を向いているのも、機嫌が悪い表情をしているのも、授業が終わると逃げるように教室を後にするのも嫌になりました」。

そういった自分に対して反省をする彼女。自分の境遇は、ある意味与えられたものです。実は、それをすべて受け入れることによって、次のステップに踏み出すことができるのです。自分の家族のことや脱北せざるを得なかった境遇について思いを巡らしても全く意味がありません。彼女はやがて、そのことに気が付きます

「小さな一歩を踏み出す」として書かれていたことは自分からカミングアウトしたことでした――「私は生い立ちについてちゃんと話せない自分を情けなく思いながら大学に通っていました。そして、勇気を出してその先生に自分のことを話しました。何度か講義を聴いているうちに、この先生なら私のことをわかってくれる気がして、私から話したのです」。先生は彼女の話を受け入れてくれ、その感謝を込めて先生に手紙を送ったところ、先生から返信がきて、彼女を励ますような内容だったそうです。

歴史の間(はざま)で数奇な運命をたどった彼女。彼女は現在は40になるかならないかの年齢だと思います。どうか幸せで自分自身に納得ができる人生を送って頂きたいと願わずにはおれません

(「改革志向のおっさんブログ」)

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