「WBCは凄かったですね。私、最後、鳥肌が立っちゃいました。見ましたか?」
「WBCはずっと予選から観てますよ」
「あら、珍しい。プロ野球は観ないと言っていましたよね」
「応援している球団がないので、観ていてもつまらないので、観なくなりましたね。だけどWBCは観ましたよ。予選は大丈夫かという出だしが多かったですよね」
「中国とか、韓国戦、確か殆んど先取点を取られたと思いますけど……」
「アメリカでの準決勝と決勝がとにかく劇的な最後だったので、しばらく語り継がれるでしょうね」
「大谷選手が最後に帽子を投げましたよね。あれがアメリカ野球殿堂博物館に寄贈されることになったそうです」
「ホントですか! 凄いですね。ずっと語り継がれることになりますね」
「アメリカで話題になったのは、最後日本人選手が整列してお辞儀したことと、ベンチにゴミが落ちていなかったことみたいですね」
「アメリカの選手は、最後挨拶しないのですか?」
「観客に手を振って終わったみたいですね」
「アメリカらしくて良いじゃあないですか。日本の整列と礼は高校野球で身に付けたものですね。アメリカの選手だと似合わないような気がしますけど……」
「あと、高校野球で思い出しましたが、日本の応援団がアメリカを讃えたのも話題になったみたいですね」
「我々からすると半ば常識だと思っていることが、相手には新鮮に映ることもあるのですね」
「今日、栗山監督が独占手記を発表していました。スポニチが配信していました。スマホに取り込みましたので、良かったら読んで下さい」
「いろいろ情報が早いですね。後で、読ませて下さい」
「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「日本経済新聞」提供です」
「至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり」(吉田松陰)
幕末の志士、吉田松陰の名言として有名です。言葉の意味は、誠の心をもって対すれば、動かすことができないものはないという意味です。栗山監督これを今回の手記の冒頭にもってきていました。多分、選手を一人ひとりと話をし始めた時の心境を語ったのではないかと思います。
ということは、それなりの苦労があったのでしょう。もしかしたら、渋った選手もいたかもしれません。あるいは、あの選手が入らないのなら辞退したいとか、条件を付けた人がいるかもしれません。
ヌートバーは母親が日本人ということで選んだのですが、意見を言った人たちもいたようです。日本球界のことを考えれば全員日本人にとか、彼よりも他に日本人選手の中で適任なのがいるといった意見があったようです。ただ、栗山監督は必ず日本人の中に入って活躍してくれるはずだと思ったそうです。慧眼の持ち主だということが分かります。
(「中日新聞Web」)
「侍ジャパン」の名前が世界に響いた瞬間
今回のチーム名は侍ジャパン。その名の通り、各球団のサムライが集まったチームでした。侍というのは、家に仕える従者という意味です。その家の繁栄のために、命を懸ける。一所懸命という言葉は、武士が一つのことに命を懸けるところから生まれた言葉です。仮に、仕えていた家が滅びた場合は、運命を共にするのです。
武士道という言い方をしますが、それが成立したのは、江戸の時代に入ってからです。
武士という身分の興りは、貴族の私有地である荘園を守る役目からです。やがて、源平の合戦を経て、頼朝が鎌倉幕府を開き、本格的な武士の世となります。ただ、そこから約400年間戦乱の時代が続きます。
江戸時代は天下泰平の時代が続きます。士農工商と言われたものの、戦闘集団の仕事が無くなってしまったのです。そこで彼らが考えたことは、庶民の手本になる生き方をするということでした。どうすれば、手本となるのか。自分を律するということです。そのために、心を磨くことを考え始めます。
(「刀剣ワールド」)
天下泰平の江戸時代に武士道が生まれる
どうやって心を磨くのか。ここから、西洋人と日本人の考え方の違いが出ます。西洋人は一つの宗教に入信して、教義を学び、祈ります。
日本人はすべての宗教が自分を律するための道具であり「磨き砂」のようなものとして捉えます。つまり、1つの宗教にこだわりません。キリスト教、仏教、儒教とそれぞれに開祖がいます。1つに絞ることは、それ以外の宗教に対して失礼だと考えるのです。全てにリスペクトしようと考えるのです。
西洋人は、信者は開祖の教えに少しでも近づくことが重要だと考えます。真逆の対応になったのです。
武士たちの高き志と、様々な教えを学ぶことによって視野が広がります。大所高所から考えることが出来るようになります。その彼らが、藩校などで教養を身に付け、やがては明治維新を成し遂げ近代国家の礎を築く力となります。
明治時代になって四民平等ということで、武士階級は無くなります。しかし、福沢諭吉は今や知性と気品を備えた階級になった武士階級がなくなることは惜しいことであると言っています。この武士出身の政治家が明治時代の前半をリードします。世界が驚いた近代化の早さ、そして、大国ロシアに打ち勝ったこと、実はそれは武士道によってもたらされたものだったのです。
ついでに言うと、日露戦争以降、日本は変な方向に走っていくことになります。それについてはどこかの機会で話したいと思います。
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