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バラマキ選挙最終版に入って思うこと ――「上の句」だけのバラ色の政策などあり得ない / 選挙は有権者に対するご機嫌伺いではない

「今日(10/25)の『産経』に東洋学園大学の織田邦男教授が「下の句がない公約は欺瞞だ」という表題の文章を寄せています。興味深い内容でした」

女性

「公約に「上の句」と「下の句」があるのですね」

「説明の便宜上そう言っているのですが、例えば、上の句だけだと無責任に何でも言えるということを言っているのです」

女性

「子供一人生まれるごとに1,000万円支給します、と凄いことを言っている政党もありますよね」

「私もそれを聞いて、さすがに頭は大丈夫か、と思いましたね。織田教授が言うように「その代わり、国家財政は1年でパンクします」という「下の句」をつけると、言っていることが滅茶苦茶だということが分かるということです」

女性

「ただ、「下の句」をつけなければいけないというルールはないのでしょ?」

「ないことを良いことにして、有権者受けすることを言い放っている政党もあります」

女性

「ただ、選挙戦は有権者を交えた公開論戦だと思いますので、お互いに相手の言っていることの矛盾をどんどん指摘すれば良いと思います」

「日本人は争いごとを避けるというDNAが流れているみたいで、正面切って批判をしないところがありますが、お互いもっと論争して欲しいと思います」

女性

「選挙戦なので、試合のようなものだと思います。日頃、国の発展のために考えていたことを有権者に説得的な言葉で表明する絶好の機会だと捉えて欲しいと思います」

「相手との違いが分かるように、場合によっては相手を言葉でねじ伏せるくらいの迫力でやって欲しいですね」

女性

「その方が、有権者には分かりやすくて良いですけどね。どこの政党も現金給付を言って、そして金額の高いところを選ぶのかという感じになっていますよね。何か情けない感じがします」

「向こうが1,000万なら、こちらは2,000万出す、と言い合ったらどうしますか?」

女性

「5000万と言い出す政党が出て來るかもしれませんよ」

「そうなってくると、政治詐欺でしょう」

女性

「だけど、本当に5000万なら、もう一人頑張ってみようかなと思うかもしれません」

「あのね……。ここからが本論です ↓」

 「上の句」だけのバラ色の政策などあり得ない

「上の句」だけのバラ色の政策などあり得ない、と織田教授は言います。全くその通りだと思います。「消費税をゼロにします」、「給付金を子供一人当たり……」など、選挙終盤になるに従って、票を欲しいが為の「バラマキ戦略」を多用する政党も出てきます

政権政党はまさか1,000万ということを言うわけにはいきません。ただ、政権を執ることは絶対無理、そもそも全員当選しても10~20人という政党は、基本的に何を言っても自由なので気持ちは楽でしょう。1千万、2千万と言っても、実際にそんな政策が実施されるはずがありません。選挙中の言葉については、そういうウソを言っても良いのかという問題があります。

ただ、現状では立候補者の良心と、有権者の判断力に掛かっているということです。ただ、余りにも非常識な言動を繰り返す政党については、党首討論会のメンバーから外す、NHKニュースから除外するといった措置を考える必要があるかもしれません。

(「FNNプライムオンライン」)

 選挙は有権者に対するご機嫌伺いではない

立憲党、共産党の国家観と自民党の国家観は違います。立憲と共産の国家観は、階級国家観、つまり国家と国民を対立的に捉えていますこの国家観に立つと、どうしてもゴマスリ的な公約になりがちです。国家を抑圧的な組織と捉えているので、国民を被害者と考えて、被害者である国民を救済しようという発想で公約を考えるからです。

自民党の全議員がそのような国家観を持っているかどうかまでは分かりませんが、保守政党であるならば、家族主義的な国づくりをしてきたことの前提の上に党の存立基盤を置いているはずです

家族主義的国家観は、農耕民族ならではの国家観です。要するに、国も一つの大きな家族と考えて、みんなで支えていこうというものです。立候補者も有権者も立場的には同じになりますので、ゴマをする必要はないと考えます。共に支えていく仲間だからです。

有権者も一人の国民としての義務を有しています。権利と義務、国に何から何まで頼るのではなく、支えるという気持ち、共に支えるにふさわしい政党という観点で選んで欲しいと思います。織田氏は「国家はスーパーマンでもなければ、打ち出の小槌でもない。下の句のない耳にやさしい選挙公約なんぞ欺瞞である。我々国民は常に「下の句」は何だと厳しく問い詰める姿勢が必要だ」(『産経』2021.10.25日付)と説いています。

(「Adobe Stock」)

 「上の句」と「下の句」を使い分けずに錯覚を利用している党もある

政党の中には、「上の句」と「下の句」を使い分けず、読んでいる者の錯覚を利用しているのではないかと思うような書き方をするものもあります

日本共産党綱領が一番分かりやすいので、これを例にとります「一、戦前の日本社会と日本共産党」という項目があります。その(二)は、「上の句」だけを書いて全て終わっています。全部で6つありますが、いくつかを紹介します。

「党は、半封建的な地主制度をなくし、土地を農民に解放するためにたたかった」

「党は、……労働者階級の生活の根本的な改善、すべての勤労者、知識人、女性、青年の権利と生活の向上のためにたたかった」

「党は、進歩的、民主的、革命的な文化の創造と普及のためにたたかった」

戦後の農地解放は占領軍の指令により行われたものであって、共産党が闘ったから実行されたわけではありません。2番目のことについてもそうです。婦人参政権は戦後の憲法制定により実現されたのですが、これもアメリカ占領軍の指令に基づくものです。3番目は、具体的に何を言っているか分からない文章になっています。

「たたかった」とありますが、組織としてどのように取り組んだのか。闘った規模とそれが社会にどのくらい影響を与えたのかが重要ですが、それについては全く記述がありません。客観的なものがなければ、それこそ極端な話、ガリ版刷りのスローガンを書いたビラを駅前で1枚撒いただけでも「たたかった」と言えてしまいます。実際には、その程度の運動だったと推測されます。特高による弾圧、弾圧でまともに活動をしていないからです。

(「トラネコ日記-てぃーだブログ」)

よく、「侵略戦争に反対した唯一の党」と言って自慢げに言っていますが、これも上の句と錯覚を使って党の宣伝をしているだけです。そもそも共産党以外の政党は戦後に創立されていますので、反対はできません。そして、社会的に影響を与えたような反対行動とは何か、それをいつ、どこで行ったのかを明らかにしていません。公的な記録が全くありません。戦前のガリ版刷りの「赤旗」の記事が残っている程度だと思いますが、エビデンスがないものを綱領文章に載せること自体が不見識です

今でこそ「たたかった」けれど、実際に社会的な影響力を与えるものではなかったことが分かりますが、100年、200年経つと分からなくなるかもしれません。関連する文書やデータが無くなり、綱領の文書だけ残れば、下手をすると綱領に書かれた文章が本当の歴史になりかねません。中国では政権をとると、前の王朝関係者の首をはねて関係文書をすべて処分して歴史そのものを消し去るようなことを繰り返してきました。そういう危険性もあるということを、時には考える必要があるのです。

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