「なんかあっという間に、選挙が終わってしまったという感じですね。悲喜こもごもいろいろあったみたいですね」
「新聞5紙(朝日、毎日、読売、日経、産経)に一応全部目を通しました。専ら社説を話題にしながら、今回の衆議院選挙について、マスコミは何を言って、何を言っていないかという話題でいきたいと思います」
「結果を振り返ると、議席を大きく増やしたのが維新、少し増やしたのが公明、それ以外は減らしたか、現状維持ということですね」
「維新の議席が約3.4倍になっています。後は、自民が約5.5%減、立憲が13%減、共産が約17減です。後は、ほぼ現状維持です。令和は3倍ですが、元の数が余りにも小さい(1議席)ので対象外です」
「議席の数では比較しないのですか?」
「政党それぞれの分母が違いますので、単純に議席数で比較すると判断が狂うからです。パーセンテージで見ないと正確には分析できません。丁度、国の経済を見る場合GDPがいくら減ったかという価格計算ではなく、パーセントにして経年比較するのと同じ理屈です」
「「毎日」の「社説」は「衆院選で自民議席減 国民の政治不信の表れだ」とあります」
「議席数で判断したので、こういう表題になってしまうのです。実際は、野党連合を主導した2つの政党の落ち込みが一番大きいのに、そのことを隠すような表題になっていますし、読者に間違った分析結果を提示することになります」
「焦点ずらしですか?」
「作為的なのか、単なる無知ゆえなのかは分かりませんが、表題が狂えば、内容も当然ピントがずれたものになります」
「ところで、維新の3.4倍は誰も予想していなかったのではないでしょうか」
「10/31のブログで維新は「日本の発展と繁栄を真面目に考えている政党」と評価しましたので、それを読んだ人が一斉に維新に投票したのではないかと思います」
「そんなに多くの読者はいません(笑)。だけど、維新が伸びれば日本でも二大政党制が実現すると書いていましたけど、どのマスコミもそれは言っていませんよね」
「二大政党制の意味がよく分かっていないのではないかと思います。ただ、少なくとも「3.4倍」になった理由をきちんと分析して書くべきでしょうね」
「そのことで何か分析的な記事を書いている新聞はありましたか?」
「「社説」で取り上げたのは、唯一「読売」だけです。「自公政権に不満を抱く保守層の受け皿となった形だ。成長のための改革を訴え、地盤の関西だけでなく、関東などでも支持を広げて躍進した」とあります。正しい分析だと思います。ただ、「社説」では取り上げていませんが、維新について分析的な記事を載せたのが「日経」と「産経」です」
「それでは、そういうことも含めて本文でお願いします ↓」
選挙結果は、パーセンテージも考慮して判断しないと狂ってくる
そんなことは当たり前のことなのに、「毎日」と「日経」は議席数を基準に判断しているので、敢えて話題にします。
「日経」の「社説」の冒頭です――「第49回衆院選は自民党が選挙前から議席を大きく減らす見通しとなった。有権者は自民に厳しい審判を突き付けた」。そして、「社説」の最初の中見出しが「自民に厳しい審判下る」となり、この結果は今までの安倍、菅政権に対する評価と見るべきだと言っています。そして、「今後の岸田政権への期待度が問われた総合的な結果と受け止めるべきだろう」とあり、素直に読むと岸田政権には余り期待していないというのが民意なので、それを受け取めるべきだと言っています。
選挙が終わって、これから本格的に船出をしようとする政権に対して、こういう失礼な内容の社説を掲載するとは、新聞の品位を疑います。「日経」は経済記事については確かに鋭い記事を掲載するのですが、政治分野についてはこういうふうに、たまに的外れなものが出てきます。
ただ、このトンチンカンの根本原因は、自民党が大きく負けたという認識の誤りからきています。議席数だけで見るから、見誤るのです。2人の会話で明らかにしたように、パーセンテージも併せて見る必要があります。そうすると、実際に一番大きく負けたのは選挙協定を結んだ立憲と共産ですし、特に選挙協定づくりに熱心に奔走した共産党が一番大きくパーセンテージを下げています。2議席減ですが「12」が分母ですので、17%減です。
国民の民意は明らかに野党連合「NO」と言っているということです。新聞は、まずそのことをはっきり書くべきなのです。
(「市民連合」)
単純に与野党で判断すると政治的判断が狂ってくる
日本の政界は、これから与野党対決から、国民政党と階級政党の対立の図式に移りつつあります。日本は先進国では珍しく、共産党が議席を得て活動しています。そのことが既存の政党に影響を与えてきました。階級史観の上に立って政党活動をしてきた政党が、日本では多かったのです。現在の政党で言えば、共産党はもちろんそうですが、それ以外に立憲民主党や社民党、れいわ新選組がそうです。そんなこともあり、野党連合がすぐに出来てしまうのです。
日本で現在求められている政党は、そういった階級政党ではなく、国民政党です。どう違うのか。階級政党の発想は、国民を敵と味方に色分けします。挙句の果てに、資本家(階級)の資産に課税しろとか、大企業に対して累進課税を適用しろと実現が不可能なことを平気で言い始めます。
そうではなく、国民と企業を色分けせずに、同じ日本に住む人、日本で活動する企業ということで同じ仲間として見る、その上で様々な施策を考える政党が求められているのです。
実際に、大企業と中小企業を切り離して、別々の扱いをすることは不可能です。両者は資本提携、取引やサプライチェーンで結ばれているからです。人も同じです。富裕層と言いますが、どこの段階でどのように判断するのか、実務的には困難を極めます。そういうことを考えるのではなく、富める企業、富める者が社会貢献できるような環境を用意したり、教育によってそういう人材を育てるなど、別のアプローチを考えるべきなのです。
(「日テレNEWS24」)
国としてまとまって国際社会の荒波を渡っていく時代
グローバル時代というのは、言葉を変えれば国際競争時代ということです。そのような時代だからこそ、国内で敵味方、足を引っ張り合っているような時代ではなく、国としてまとまって国際社会の荒波を渡っていかなければいけない時代なのです。そういった意識を国民一人ひとりが持つ時代ですし、政党にも求められる視点です。持たない政党は、フェードアウトしていく運命となるでしょう。
今回の衆院選の結果は、国民政党を志向している自民、公明、維新、国民に対して、明確に階級国家観で活動している立憲、共産、令和という図式で見るべきなのです。そう考えれば、日本は階級史観、別名「敵味方史観」という誤った歴史観から脱却する一つの足掛かりを得た選挙ということが言えるのです。
(「株式会社くろしお経営」)
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