「映画を観て久しぶりに感動しました」
「あら、珍しいですね。『鬼滅の刃』を観てもそれ程感動しなかったと言っていたのに……」
「『鬼滅の刃』はアニメでしょ。昨日の映画は、実際に生きた人が主人公なんです」
「『鬼滅の刃』を、そういうふうに軽く扱う人に、本当の感動が分かるかしら。私の5歳の姪でさえ、最後のシーンで涙を流していたんですよ」
「あのね、人は年齢によって感動する場面が違うと思いますよ……」
「そうかしら、私も最後のシーンは泣けて泣けて、従妹の子と2人で泣いていたのです」
「わかりました、今度はアニメに感動する心をもっていくことにします。そうじゃあなくて、昨日の映画『二宮金次郎』の話をさせて下さい」
「『二宮金次郎』という題なのですか? 凄い題ですね。題の付け方が古典的ですね」
「そう言われればそうかもしれませんが、映画館で観たのではなく、「寺子屋未来塾」という会の主催で、「学校では教えない日本人の物語」ということで開かれた上映会だったのです」
「あら、そうだったのですか。会場はどこだったのですか?」
「『銀座ブロッサム』の小ホールです。200人位参加していたと思います」
「コロナ禍の中でも盛況だったのですね」
「私も驚きました。実はこの映画は1年半前に公開されているものだからです。ただ、関連した講演会や五十嵐監督の話もあり、内容的に充実していました。映画は約2時間でしたが、あっという間に終わってしまった感じでした」
「大満足だったのですね」
「五十嵐監督が挨拶の中で、好きにならないと映画は作れないとおっしゃっていましたが、なるほど金次郎に心底惚れて作った映画だということが伝わってきました。そして、こういう人物こそ、『道徳』の教材に入れるべきだと思いました」
「ここからが本論です ↓」
極貧の生活からスタート
映画の冒頭は、金次郎の幼き頃の極貧の描写から始まります。父が死に、働き手がいなくなったため母と金次郎と2人の弟は耐乏生活を余儀なくされます。祭りの日は、ご祝儀として獅子舞をする人に12文を支払うというのが村の約束ですが、お金がないためそれができません。
金次郎と2人の弟たちは獅子舞と一緒に祭りを楽しみたいのですが、家には払うお金がないので居留守をします。祭りに参加したい気持ちを抑えつつ、戸の隙間から獅子舞を見る3人の子どもたちの目。そんな家族の窮状を映し出します。
極貧の中、母は死に、金次郎と2人の弟は、別々の親戚筋に預けられます。金次郎なので次男かと思うかもしれませんが、長男なのです。親は「金治郎」と届けたのですが、実は役所が間違えて戸籍に「金次郎」と書いてしまったそうです。
その金次郎と弟2人は離れ離れとなります。その後、艱難辛苦をして二宮家を再興するのですが、その過程は描かれておらず、ある程度功績を上げたため武士の身分になった青年金次郎を登場させるところから映画は本題に入っていきます。
私財を投げ打って農村復興に尽力する
ある程度の功績を上げ、小田原藩主からある程度の信頼をかち取り、その手腕を見込まれて桜町領(現在/栃木県真岡市)の復興を任され、そこに赴任をしてきます。彼は、すでに妻帯者となっています。
彼は赴任するにあたって、小田原にあった家屋敷をすべて売り払い、そのお金をもって桜町領に赴任しています。そのお金は、領地の百姓たちの報奨金として持ってきていたのです。桜町領の領民たち、本百姓もいれば小作人もいます。中には、昼間から酒を飲み、博打に精を出す輩もいます。金次郎は「この土地から徳を掘り起こす」と言って、「仕法」という彼独自のやり方で村の復興をはかろうとします。
「仕法」というのを現代流に表現するならば、適材適所と実質的平等を組み合わせたシステムです。それぞれの田畑で何を作るかを指示して、多く収穫をした者に対しては褒賞金を出すというものです。その時のお金は、小田原の私財を売り払って作ったお金なのです。
非常に合理的な方法だと思いますが、よく思わない者もいます。その者たちと小田原藩から新たに派遣されてきた侍・豊田正作がグルになって金次郎の前に立ちはだかります。金次郎は豊田に斬り殺される寸前のところまでいきます。物怖じしない金次郎に対して豊田は逆に憎み、足蹴にし、顔を泥の草鞋で踏みつけます。封建の時代ですので、農民の金次郎は抵抗できません。その後、金次郎は千葉の成田山へ行き21日の断食行をします。
一方の豊田は小田原藩に主観を交えた報告書を提出しますが、これがウソと藩主に見破られて謹慎の身となり、天保の飢饉もあり窮状となります。それを知った金次郎は米俵6俵を彼のもとに送り届けます。豊田は直感的に金次郎からのものだと悟ります。その後、2人は偶然の再開を果たします。頭を下げてお礼を言う金次郎。あなたがいたから、私が強くなれたと金次郎、その姿に豊田は感激し、頭を下げ今までの非礼を詫びます。そんなこともあり、豊田正作はその後二宮金次郎の弟子の一人として各地の農村復興のために尽力します。
(二宮尊徳記念館/小田原)
人間の生き方の手本を示したのが二宮尊徳
二宮尊徳(幼名、金次郎)の凄いところは、私心を投げうって農村復興に全生命をかけたところです。その姿に感銘をして、晩年には86人の弟子がいたと言われています。その弟子たちが各地の農村に入り、尊徳の教えに従って農村復興を成し遂げます。その数615とのことです。
貧しいながらも、それを恨みもせず、働きながら本を読み、自分を鍛え、精神を鍛えた金次郎。まさに、我々が生きる上での鏡のような人生だと思います。そのため、戦前の『修身』の教科書の中で明治天皇に継いで人気の第2番目にランクされていたのです。
ところで、現在の『道徳』教科書には、そういった人の手本となるような生き方をした人を載せていません。
多分そこには、現代とは違った時代において、モノの考え方や価値観が違っているのでそれをそのまま現代の教材として扱うことはできないという判断があるのではないかと推察します。ただ、時代が変わっても、人間の普遍的な生き方は変わらないので、まっとうに生きようとした人の生き様は、我々に感動を与え、様々な教えを与えてくれます。実際に、例えばNHK大河ドラマで明智光秀を昨年から今年にかけて放映していましたが、戦国時代のことですが、彼の生き様に多くの人が感銘を受けたことと思います。
人間なので、様々な葛藤があります。それがあって当たり前だし、それをどのように乗り越えていくのか、そこが一番感動を生むところです。
今回の映画で言えば、金次郎は豊田正作に妨害され、首を切り落とされる寸前までのところまでいき、さらに顔を何回も泥の草鞋で踏みつけられます。人間だから、当然殺してやりたいと思う気持ちが沸き起こります。彼は、それを抑えるために21日間の断食業を成田山で励行し、ふらふらになり、やせ細り、そして豊田にお礼まで言います。
せっかく『道徳』が教科化されても、教材として書かれている話が作り話のオンパレートでは説得性がありません。
いじめをやめましょう。思いやりをもって行動しましょう。そういったテーマに添った作り話が教科書に載っています。それを読んで、道徳的な人間になるほど人間というのは単純な生き物ではありません。人間の捉え方がそもそも間違っています。だから、『道徳』教科化以降でも、いじめや不登校、ハレンチ教員が増えているのです。
読んでいただき、ありがとうございました。
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