「ステレオタイプという言葉を知っていますか?」
「最近よく使われるようになった言葉ですよね。何でしたっけ?」
「「堅くて融通がきかない」、「型通り」という意味です」
「音楽を聴くステレオと関係があるのですか?」
「綴りは同じですが、語意は違います。印刷をする時に型版を作るのですが、それを「ステロ」版と呼んだところが始まりです」
「今の説明で何となく分かってきました。「ステロ」版を組み合わせて印刷をするので、それが摩耗しないような固い物が望まれたのですね」
「もともとはフランス語の「Stereotype」というのは、印刷の時の型版という意味だったのですが、それをアメリカのあるジャーナリストが英語読みをして、別の意味を持たせたのです」
「ネーミングした人の頭は柔らかかったというオチですね」
「まあ、そういうことです」
「そのようにネーミングして言葉を作ったのは、何か意図があったと思うのですが、その辺りを教えて下さい」
「一つの考え方に固まってしまうと、人間にとっても、社会にとっても良くないと思ったようです。警告ということを含めて、そのような言葉を作ったようなのです」
「思考がパターン化してしまうということでしょうか?」
「既成の考え方に寄り添うのは安心だし、楽だし、時間もエネルギーもかかりません。そこでついつい、そこに安住してしまうということですね」
「「だけど、目新しい考え方がそんなにある訳ではないし、芸術や文学、思想といった創造力が生命(いのち)の分野は別にして、それ以外はある程度枠にはめて考えても良いと思います」
「私は常識こそ疑えと思っています。先日も藤井七段が終盤に予想もつかないような手を指したそうですが、枠からはみ出たところから新たな発展があるからです」
「分かりましたけど、どうしてステレオタイプということを話題にしようと思ったのですか?」
「今の国内政治、国際政治の状況を見ていて、浮かんだフレーズがステレオタイプだったのです」
「政治的な強硬姿勢のウラには、ステレオタイプの考え方があるということですね。(ここからが本論です)」
目次
「急がば、時には回れ」―—ステレオタイプ思考に捉われないことが大事
ステレオというのは、印刷の際に使う「ステロ」が語源です。印刷をしているうちにそれが摩耗してすり減っていくため、同じ「ステロ」版を多く作っておく必要がありました。「ステロ」版を予めいくつか作っておけば、仮にある活字が摩耗して使えなくなっても、そこだけ取り替えれば今までと同じように印刷することができます。もし、それがないとなると、全体の印刷が出来ないという事態に追い込まれます。だから「ステロ」版は予備であっても予備ではなく、なくてはならないものになっていったと思います。
人間の思考も、予備だったものが「本線」に変化するということではないでしょうか。人は、ある事態の前に立ち止まって考えることがあります。ただ、考えるというのは、それなりにエネルギーも時間も必要です。そのうち脳が一つの型を作ってしまうのではないかと思います。一種のバイパスのような役割をするために、エネルギーと時間が節約されます。それを何回か繰り返しているうちに、バイパスの方が正規のルートになってしまうということだと思います。
バイパス手術、バイパス工事は良いのですが、思考のバイパスは多用すると危険です。時々は構わないのですが、常にバイパスを使っているようでは、思考回路が狭くなり硬直化し始めます。
「急がば、回れ」という諺があります。常に回れとは言いません。時間の制約がある場合があるからです。「急がば、時には回れ」が良いと思います。回ることにより、脳の多くの機能を活性化させてあげることが必要なのです。
ステレオタイプの人間が集まった時、危険度が増す
ステレオタイプの人間が一人いても別に大した問題は起きません。何故なら、周りが硬直した考え方をもつ人の意見を聞こうとしなくなるからです。誰もが、いつも同じ意見を聞きたくないからです。考え方や言うことに変化があると思えば、その都度聞きますが、殆どどういう答えが返ってくるか分かれば、誰も聞こうとはしません。時間の無駄だからです。つまり、集団の中で一人二人硬直した考え方の人がいても、周りはそれなりに対応してくれるということです。
問題なのは、そういった硬直した思考をする人達が集まる場合です。この辺りのメカニズムはよく分かっていないのですが、殊の外、危険性が増すことになります。日本でもありました。軍国主義が高まって、無謀な戦争に突き進んでしまいました。今、中国共産党が危険水域に達しています。共産主義者による一党独裁政治ということにもってきて、世界第二位の経済力という自信をもっています。ここに何かもう一つの要素が加わった場合は、暴発することもあり得ます。
日本の場合は、軍国主義による思想統制、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と常に負けなしの成果を上げ、それを国民が熱狂的に後押しをするという、3つの要素が揃ってしまいました。その延長線上に真珠湾があったのです。
AI時代の本格的到来を前にして、今こそステレオタイプの思考と決別をする時
歴史の教訓と言いますが、何を教訓とするかが問題なのです。右翼的思考が駄目だったので、今度は左翼的思考で行こう。これでは、駄目です。分析になっていないからです。
ただ、戦後のすぐの時期は、そういった総括の仕方で歴史が動きました。安保反対闘争がその典型です。戦争が駄目だったので、平和だ。日本国憲法は平和憲法というキャッチフレーズに飛びつくことになり、それが現在の護憲運動に繋がっています。
しかし、平和憲法を守れば平和が維持できる訳ではありません。現実の世界は、そんな生易しい論理では動きません。そんなことは、少し立ち止まって考えれば分かることですが、ステレオタイプの思考をしていると分からなくなってしまうのです。
産経新聞に「ノーベル賞受賞者に聞くコロナ」という特集ページに野依良治氏が意見を述べています。
科学者が日本の科学政策、そして中国の動向を気にしています――「日本では政府の科学軽視が常態化し、研究開発投資の伸びはわずか1.2倍にとどまる」、「中国の次なる野心は、強力な科学技術力をてこにした一帯一路経済圏構想の実現で、間違いなく地政学的勢力図の書き換えももくろんでいる。……世界保健機構(WHO)についても、米国が脱退すれば中国が乗っ取りに出てくるだろう」(『産経』2020.6.28日付)。これらのことは、本来は政党あるいは政治家が心配し、発言すべきことでしょう。
彼らが殆ど何も言わない現実を憂いて、科学者である野依氏が止む無く言っているのだと思います。
AI時代の本格的到来を前にした時代。これが現在の状況です。AI時代において、何が重要なのか。硬直した思想、考え方では、時代の波を乗り越えることはできません。
野依氏は「低迷著しい日本の科学力」と言っています。必ずそうなった原因があります。国の科学技術政策に問題があることは間違いないでしょう。
行政組織がステレオタイプの官僚によって埋め尽くされている感じを受けます。国家公務員の採用のあり方、昇進のシステムも含めて考えた方が良いのではないかと思っています。また、現在の日本の教育システムの問題も当然あります。
給付金の支給に手間取るということは、デジタル化が遅れているということです。公務員の世界の年功序列の昇進システムが、完全にネックになっています。
ステレオタイプの思考がガン細胞となって、様々な行政組織の中に巣くっています。それを取り払うことが重要です。
読んで頂きありがとうございました。
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