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教員「残業代」10%に引き上げ案 ―— 教員の指導技術の向上をどうするか / 教師を指導できるプロコーチ養成の機関を

「週末に暑くなって、週のはじめに天気が崩れるというパターンが続いています」

女性

「先週はついに30℃を全国各地軒並み超えましたね」

「今年の夏も猛暑ということらしいですね」

女性

「実は先日の土曜日、子供の運動会だったので、休暇を取って朝から面倒を見ました」

「お弁当づくりが大変だったでしょ?」

女性

「午前中で終わったので、お昼は家に帰ってきてからでした」

「運動会の時のお弁当が楽しみだと思いますけど……。やっぱり、暑いからということですか?」

女性

「それもあると思いますが、例の働き方改革ということだと思います」

「教員の勤務時間を守ろうという動きがありますからね」

女性

「それはそれで分かりますが、運動会くらいもう少しゆとりを持ってやって欲しかったと思いました。運動会が終わったのが12時くらいで、そこから帰りの会をして、帰ってきてお昼を食べたのが1時頃でした」

「成る程、子供が少し可哀想な気がしますね」

女性

「ただ、先生方も大変だと思いました。先週の土曜日も暑かったですからね」

「子供たちは炎天下で大丈夫でしたか?」

女性

「子供たちの席は、簡易のテントが張ってあって直射日光が当たらないようにしてありました」

「業者に頼むのですか?」

女性

「先生方が前日の夕方から組み立てたみたいです。ここからが本論です ↓ 表紙写真は「ウレぴあ総研-チケットびあ」提供です

 教職調整額の値上げの方針が出される

今月の13日に中央教育審議会の特別部会が、教職調整額を従来の4%から10%以上の値上げを盛り込んだ教員確保に向けた総合対策案を文科省に諮問しました。これを受けて、文科省は来年の国会に教職員給与特別措置法の改正案を提出することを目指すそうです。

この調整額というのは何かということですが、教員の労働は他の生産現場の労働とは違って時間で割り切れません。例えば、上の2人の会話の中で話題になっていたテントですが、それをセットする仕事は時間で割り切れるものではありません。その割り切れない部分を給与にある程度の割合を上乗せして支払うことによって相殺しようというものです。4%の割合は、ここ50年くらい変わりませんでした。今回、教員のなり手が年々少なくなっているといった事情も踏まえて、一挙に2.5倍の10%という案が出てきたのです。

それはそれとして、1歩前進なのかもしれませんが、重要な問題が2つ残っています。1つは、指導技術の向上と指導教員養成の問題。2つ目が、教員養成の問題です

(「朝日新聞デジタル」)

 教員の指導技術の向上をどうするか

指導技術の向上というのは、現場を離れて培うことはできません。教員だけある場所に集めて、大学教授の講義を聴かせても殆ど効果はありません。免許更新講習はこの発想で行ったのですが、見事に破綻しました。もし行うならば、小中高の実際の現場で、ある程度の集団をつくった上で、そこに指導できる力を持った教員が入るというかたちを取るべきでしょう。

教員は普段は密室で生徒相手に授業をします。ただ、どうしても変な癖がつきます。教え方の癖、発問の仕方の癖、生徒に話す時の癖、自分では分からないような癖がつきます。生徒からの指摘で自己改善する人もいますが、そういう人は稀です。チームを組んで、実際に指導案を作って皆で授業を見て、反省会をして改善していくという地道な作業の繰り返しが必要です。スポーツと同じで、指導力は一朝一夕に身に付くものではないのです。

そして、指導技術の向上については、プロ・スポーツの考え方で良いと思います。教え方のプロ集団にプロコーチを付けることを考えないと、いつまで経っても弱小プロ集団です。何のアドバイスもなければ、勝手な考え方で授業をしたり、自分の感覚で指導したりするような教員が増えることになりますし、実際にそうなっていると思われます。昨日(5/27)の『日経』の記事「普通の授業、省かないで」によると、小学3年生の知り合いの子が時計の計算(「1時50分の23分後は?」「2時34分の56分後は?」)が分からないと言ってきたそうです。疑問に思って、算数の時間に何をやっているのかと聞くと、「授業では1秒って何かを話し合ったり、それを模造紙に書いてまとめたり、時間があると何が便利か、時計がない時はどう暮らしていたのか考えたりしている」とのこと。

答えがあってないような哲学問答を主軸に置けば、基礎学力は確実に低下します。スポーツで言えば、基礎練習をせずに、試合の戦略を考えさせるようなものです。勝手な考え方で指導をする教員が増えれば被害が子供たちに及ぶことになります。

(「NLPコーチング」)

 

 教師を指導できるプロコーチ養成の機関を

戦前の教員養成は師範学校で行われました。戦後になり、師範学校が教育大学あるいは学芸大学という名称に変更になると同時に、どの学部でも教職課程の単位を取れば教員免許を取得できるシステムにしたのです。そして、教育系の大学にはゼロ免制を導入します。免許を取ることイコール教職に就くことではないとしたのです。つまり、教員の道を目指しても良いし、一般企業に就職しても構わないとしました。

公立の教員は地方公務員ですから、希望者は地方の教育委員会が行う採用試験を受験することになります。大学が今のように大衆化していない頃は、このシステムが比較的上手くいっていたと思われます。現場には、師範を卒業した教師も多くいたので、指導技術の継承も各職場で行われていたはずです。「デモシカ教員」という言葉が出始めた頃から、教員の質の低下が問題になり始めます。デモシカというのは、先生でもやろう、先生しかなれないという意味です。時代的には1960年から1970年代にかけてです。

本来はその頃に教師を指導できるプロコーチ養成の機関(大学もしくは大学院)を創設すべきだったと思います。現在、教職大学院というのが各地にありますが、趣旨が今一歩はっきりしていないと思っています。

(「玉川学園」)

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