「先般の戦争について、きちんと総括がなされていないという話でした」
「前回、複合戦争と言いましたが、様々な戦争が絡み合い、さらにそこに様々なものが要因として絡み合っているからでしょうね」
「そもそも、戦争の原因について解明する気持ちがあるのですか?」
「日本は「水に流す文化」ですし、「臭いものにはフタ」の文化なので、誰も余り関わりたくないと思っていると思います」
「そもそも戦争指導者は誰なんですか?」
「開戦前は近衛文麿内閣、開戦時は東條内閣、終戦時は鈴木貫太郎内閣です」
「ドイツはヒトラー、イタリアはムッソリーニというように「戦争の顔」があったのですが、日本はないということですか?」
「敢えて言えば、東條英機でしょうね。彼はA級戦犯ということで死刑になっていますからね」
「近衛首相と鈴木首相も戦犯ですか?」
「いや、彼らは違いますね。入っていません」
「何故ですか?」
「GHQの判断なんでしょうが、開戦時の首相が一番罪が重いと考えたようです」
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日露戦争の勝利を境に自分を見失う
きっかけは日清戦争でした。当時は戦勝国は負けた国から賠償金と領土をもらえるというルールでした。清から約2億両、現在の貨幣価値に直すと約6兆円の賠償金を手に入れ、台湾を割譲したのです。戦争は儲かるものと思ってしまったのかもしれません。
その10年後に日露戦争が起きます。下馬評は絶対的に不利でした。当時の帝政ロシアは世界五大強国の1つです。バルチック艦隊は世界最強とも噂されていました。その艦隊を日本海海戦で撃破したのです。日本の名前が世界に轟いたのです。ノーシードの名もない選手がビッグシードに勝ったようなものです。
ただ、転落の原因はここにあったと半藤一利氏は指摘します。「自分たちは強国なのだ、強国の仲間に入れるのだ、といい気になり、自惚れ、のぼせ、世界中を相手にするような戦争をはじめ、明治の父祖が一生懸命つくった国を滅ぼしてしまった」(『昭和史』平凡社、2004)のです。「有頂天は失敗の前兆」と言います。喜んでも良いのですが、喜び過ぎて自分を見失っていきます。
(「ロシア・ビヨンド」)
戦争に勝って得た満州が「火種」となる
日露戦争の勝利によって満州での権益を得ます。森林の伐採権、鉱山の採掘権、日本人の居住権などを手に入れます。ただ、それをロシアが取り返しに来るかもしれません。軍隊を駐留させます。最初は1万人ですが、最終的には70万人まで増えます。
当時は国内の人口が増え始めた頃です。ところが就職口がありません。満蒙開拓団ということとで日本から大量の日本人が満州の地にやってきたのです。資源もある満州が日本の「生命線」になっていきます。そして、それに比例して中国(中華民国)との対立・交戦が起きるようになり、それをアメリカが怪訝な顔をして見ていましたが、やがて乗り出してきます。
アメリカは日本に対して、満州からの全面撤退を求めます。渋る日本に対して、今で言う経済制裁を課します。「生命線」を捨てる訳にはいかない。日米開戦前夜となります。
(「Wikipedia」)
バラバラの体制で太平洋戦争に突入する
戦争も一つのチーム戦ですが、チームを一つにまとめるリーダーがいませんでした。最大の負け要因だと思います。そして、海軍の内部は艦隊派と条約派、陸軍は皇道派と統制派に分かれ、さらに海軍と陸軍は三国同盟や実際の戦略を巡って対立していたのです。
海軍は日独伊の三国同盟反対、陸軍は賛成。海軍は「北守南進」なので、満州方面より太平洋で積極的にアメリカと戦うという考え。一方の陸軍は「北進後守南進」なので、まずソ連に一撃を加えてから南に進み諸地域を抑えて味方につけ、国力を高めてアメリカとの戦いに備えるというものでした。
日本チームは考えも戦略も、部隊の投入においてもバラバラになって世界最強のアメリカと戦ったのです。負けるために戦ったようなものです。
(「アマゾン」)
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