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ゼレンスキー大統領のビデオ演説を受けて ―― ウクライナが被害国であることを見ない人たち / 現実から憲法を見る必要あり

  • 2022年3月24日
  • 2022年3月24日
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女性

「また、北朝鮮がミサイルを発射したみたいですよ。今度は日本のEEZ内に落下したみたいです」

「随分、舐められたものですね」

女性

「今度はどうするのでしょうか。相変わらず「遺憾」発言で終わりですか? 岸田首相はG7で不在ですものね」

「「強く抗議する」だと思いますが、それ以上は、現実問題としてどうにもできないでしょう。とにかく、ロシアの侵略行為によって、世界のベクトルが変わってしまったことは確かです」

女性

「昨日はゼレンスキー大統領のオンラインスピーチがありましたしね。事前に内容を巡って様々な噂がありましたが、スマートにまとめたなという印象を持ちました。真珠湾の話とか、北方領土の話が出るのではないかと言われていましたものね」

「それを出したら、政治家としてのセンスを疑うと思います」

女性

「どうしてですか?」

「だって、すべての国会議員を相手に話をするのでしょ。イデオロギーに絡むような話題を出せば、その場がまとまらなくなります」

女性

「成る程、だからチェルノブイリの話や日本の文化の話を持ち出したのですね。随分、「よいしょ」されたという印象をもっていますが、すべて計算してのことですね」

「ゼレンスキー大統領としては、日本がアジアで最初にロシアに制裁を加え、様々な支援物資をもらっていますので、そのお礼という意味合いが強いかと思います」

女性

「お笑い芸人出身の大統領なので、政治手腕は頼りないのではという報道もありましたけど、ビデオメッセージを聞く限り、自然体で接することができそうな大統領という印象を持ちました」

「皆さん誤解していると思うのですが、笑いを取るというのは、大変なんです。相手の心理や考えていることを先回りしないと笑いは取れません。そういった芸の才能が今生かされている気がします」

女性

「そう言われれば、日本でもお笑いの人が政治家に転身するということがありますものね。ここからが本論です ↓」

 ウクライナが被害国であることを見ない人たち

日刊ゲンダイ「ゼレンスキー国会演説に拍手する議員たちの危うさ」(3/23日付)ということで「戦争放棄の平和憲法を持つ日本の国会で、戦争の渦中にある紛争の当事国の大統領がスピーチをするという重大な決定が、議論なく簡単に決まっていくことには危うさを覚えずにはいられない」と述べています。

このゲンダイの立ち位置は典型的な左翼的な発想ですので、このことを話題にしていきたいと思います。ただ、その前にゼレンスキーと呼び捨てにしないで、少なくとも尊称を付けて欲しいと思っています。プーチンに対してはプーチン大統領としているので、余計にそう思いました。ただ、それだけで、どういう角度から記事が書かれているのかが分かってしまいます。表題だけで見透かされないようにするのが、本当は文筆家の一つのテクニックなのです。

実は、日本にこのようにウクライナとロシアを等距離で捉えて、両国を戦争当事国ということで批判的に論じるという立場をとる人たちが結構いるのです。共産党は完全にそうですが、これは実態に合っておらず判断が狂うと思います。例えば、共産党は自衛隊の装備品であるヘルメットと防弾チョッキをウクライナに送るなと主張しました。その理由は、ウクライナは戦争当事国であるという捉え方です。かつての時代は、戦争当事国ということで同じように考えていたのですが、それは今のように映像技術が発達していませんので、厳密に分からなかったからです。いわゆる、喧嘩両成敗ですが、一つの便宜的な手法だったのです。それを導入した理屈としては、お互いが原因を作っているはずだからというものです。

(「NHK」)

 喧嘩両成敗的な発想は前時代的なもの

喧嘩両成敗というのは、封建時代の考え方です。領主にとって、領民の間でトラブルや騒動が起きず、日々安泰で年貢が入ることが一番良いことです。そのトラブルや騒動を起こさないようにするには、どうすれば良いのか。とにかく、騒動を起こした者たちに厳罰で挑むことです。喧嘩両成敗の発想です。これだと、いちいち何が原因か調べなくても済みますし、領民も厳罰を恐れて多少のことは我慢します。一挙両得だったのです。

戦前までは国家間の戦争もこの考え方で処理しようとしたことがありました。ただ、現代は映像技術もそうですが、レーダー探知や情報網が張り巡らされていますので、紛争や戦争がどのように起きたのかがかなり正確に分かります。であれば、その実態に合わせて攻撃を仕掛けた国に対して制裁を加え、被害の国に対しては支援をするということが、国際社会に求められます。現代は戦争の場面を実態に合わせて分析して、侵略した側とされた側を分けて考えるのが国際常識です。そうでなければ、侵略戦争という概念が成り立ちませんし、国家の正当防衛権もないということになります。

現地の状況は、日々の映像を見る限り、ウクライナがロシアに一方的に侵略されていることが分かります。弱者に応援するのは、当たり前のことだと思います。

(「livedoor/悟りの証明」)

 

 憲法から現実を見るのではなく、現実から憲法を見直す必要がある

「戦争放棄の平和憲法を持つ日本の国会で…」(ママ)というおかしな日本語を使っていますが、要するに現行憲法が最大至上の規準と考えているようです。まず、この立ち位置が間違っています。憲法に合わせて現実を考えるのではなく、現実から憲法を見る必要があるからです。そして憲法が現実と乖離しているようであるならば、改正手続きに入るというのが正しい姿です。だから、憲法には改正の規定があるのです。つまり、本当に絶対に正しい憲法であるならば、改正条項を設けないはずです。設けているということは、改正されることを前提にしているということです。

左派の人たちの最大の問題点は、今の憲法を常に絶対的な出発点にすることです。ただ、それはよく考えればおかしなことです。憲法は不磨の大典ではないからです。現実が変われば、憲法の規定を変える必要があります。例えば、結婚についてですが、憲法は「両性の合意」(第24条)とあります。ただ、これでは同性婚は認められません。同性婚を社会的に認知することが必要という人が多くなれば、憲法を改正すれば良いだけの話です。

自衛隊についても同じです。緊急救助ということで自衛隊が各地に派遣されます。国民の間では完全に市民権を得たと思いますが、憲法には規定がありません。そのため、共産党は自衛隊は違憲の存在という始末です。憲法から自衛隊を見るのではなく、自衛隊から憲法を見るのが正しい見方です。どういうことか。自衛隊は災害救助などでも出動していますし、社会の中に定着し、認知されています。その実態に合わせて憲法を改正するということです。

(「防衛省・自衛隊」)

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