「OECDが提唱している概念ですが、ウェルビーイングという言葉を聞いたことがありますか?」
「いえ、初めてです。私は横文字が苦手なものですから、すいません。意味的には、幸福ということですよね」
「直訳すると、そうなります」
「ただ、敢えて原語を使うということは、何か意図があるということですよね」
「その通りです。個人が単に幸福を感じるということではなく、その個人とそれをとり巻く「場」の状態の両方が良い場合をウェルビーイングとするのです」
「そこで言う「場」とは、具体的に何を指すのですか?」
「家族、友人、学校、地域、国などです」
「ありとあらゆるものが「場」になるのですか?」
「そのようですね」
「ただ、家族は地域の中に包摂されますし、地域は国に包摂されます。友人も地域の中に包摂されます。純粋に家族、地域、友人という「場」を客観的に捉えることが難しいのではないかと思いますけど……」
「私もそう思います。だから客観的正確さを過度に求めることは出来ないと思います」
「アバウトな指標と理解してよろしいでしょうか?」
「それで良いと思います。私が懸念しているのは、およそのことを知るための指標にも関わらず、政府は前のめりになって、政策の中心に持ってこようとしています」
「ここからが本論です ↓」
「ウェルビーイング」という間違った指標が日本に上陸
つくづく日本人は、外から来るモノや言葉に弱い国民性であると思ってしまいます。経済協力開発機構(OECD)が提唱したと聞いただけで、官民あげて無批判に受け入れてしまいました。2015年位から使われ始め、2019年に自民党が「日本ウェルビーイング計画推進プロジェクトチーム」を立ち上げ、そこが同年5月から20年6月にかけて3次にわたる提言を出しています。
さらに20年にそのプロジェクトチームが発展解消して、党内に「日本ウェルビーイング計画推進特命委員会」が設置されます。そして同年3月に閣議決定された「科学技術基本計画」にウェルビーイングに関する方針が明記され、同年4月の「子供・若者育成支援推進大綱」にウェルビーイングの規定が明記されるというように、とんとん拍子に認知されていったのです。
ただ、ウェルビーイングはあくまでも主観的なものなので、客観的な指標にはなりません。OECDによると、教育は「子どもたち一人ひとりと社会全体が、現在から将来にわたって幸せで満ち足りた状態となるため」に行われるとのこと。そこには、子供たちの能力を見出してそれを伸ばして、社会にとって有意な仕事について生きがいのある人生を送らせるという視点が欠落しています。ゲーム三昧をしている子供が「満ち足りている」と言い、それを社会が容認した場合は、それをどう判断するのでしょうか。学校に行かないで遊び歩いている子供が「満ち足りている」と言った場合でも、社会に迷惑を掛けていない限りそれを肯定的に解釈するのでしょうか。主観的なものを指標にする場合、そういった問題が必ず派生します。
(「ベネッセグループ」)
現実と遊離した結果になっている
OECDが3年ごとに行っている学力調査がPISAですが、その際に学校に対する所属感を問う質問―—「学校の一員と感じている」「他の生徒達は自分のことをよく思ってくれている」―—があります。それに対して、「その通り」と答えた生徒が8割を超えたとのことです(2022年調査)。この数字は3年前を上回り、OECDの中の全体順位は6位だったそうです。そんなことから、日本の子供たちは世界的に見て、良い状態、幸福であると結論付けていますが、各種のデータと矛盾しています。
例えば、小中学校の不登校生徒数は29.9万人(文科省2023.10.4発表)です。前年度から約5万4千人増えています。高校生の不登校生徒数は約6万人で、前年度から約9千5百人増加しています。経年比較で見ると、2017年を境に急増しています。ウェルビーイングという言葉が使われ始めたのと軌を一にするかのように増えています。全体の生徒数は減少しているのにも関わらず、不登校生徒は増えているのです。
自殺をする小中高の子どもの数は、この3年間コンスタントに500人を超えています。子供を取り巻くデータが悪くなっているのに、何故ウェルビーイングの数値が良くなっているのか。要するに、不登校生徒を入れないで、登校している生徒だけにアンケートを取ったと思われます。自殺者はアンケートに答えられません。間の抜けた話ですが、集約の仕方に問題ありということでしょう。
(「読売新聞オンライン」)
客観性が証明されているアイデンティティを指標とすべき
ウェルビーイングという思い付きの指標ではなく、その客観性が証明されているアイデンティティを指標とすべきです。アイデンティティは心理学用語として学会も認知している言葉です。
人はアイデンティティが確立すれば、真の幸せを感じる動物です。そもそも真の幸せを感じてもいない子供たちに、あなたは幸せですかと聞くこと自体がナンセンスです。本当に美味しい料理を食べていない子供に、何か料理を出して美味しいですかと聞くようなものです。お腹が空いていれば、何を食べてもおいしいと答えるでしょう。そういった類の質問ということです。そんなもののデータを集めても、何の意味もありません。
アイデンティティというのは、自他ともに認める本人の特徴という意味です。自分だけではなく、複数の他人が認めるので客観性が担保されています。そして、アイデンティティを確立するためには、健全な仲間集団、日本という国のアイデンティティの確立、その人に見合った進路指導が必要です。日本の教育現場において、これらの3点はいずれもおざなりになっていると言うか、そういった問題意識が殆どありません。学校では、勉強だけ教えていれば良いと思っているのではないでしょうか。子供たちは行き場を見失ったまま、その場で体力と知力を伸ばしているようなものです。
(「ダイコミュ」)
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