「シャンシャンがついに中国に帰ってしまいましたね」
「ニュースを見てましたが、涙ぐんでいた人がいましたね」
「私なんか、日本で生まれたので返さなくても良いのにと思っているんですけど、……」
「上野観光連盟に返さないで欲しいという嘆願書が届いたみたいですね」
「気持ちは凄く分かります。生まれてもう5年も経つのですね。可愛いし、情が移りますよね。ところで、何で返さなければいけないのですか?」
「私も調べてみたのですが、要するに絶滅危惧種なので、あくまでも研究目的での貸与ということで中国と東京都が協定を結んでいて、子供が生まれたとしてもその子の所有権は中国ということみたいですね」
「そうなんですね。パンダが上野に来た時は、日中友好ムードで凄かったそうですね。母から聞きましたけど……」
「そうですね。リンリン、ランラン、ソーセージという歌も出ましたからね。今は、日中友好という感じではありませんけどね。気球事件もありましたしね」
「であれば、この際パンダを人質として取っておいたらどうですか?」
「そういう訳にはいかないでしょう。だけど、確かに日中関係は波高しになっていることは確かです」
「こんなことなら、友好条約を結ばなければよかったのに」
「日本が最初に動いたのではなく、アメリカのレーガンがいきなり北京に飛んで毛沢東と握手をしちやったのです」
「ソ連との冷戦をにらんで、中国を味方につけようとしたのでしょ」
「そうですね。日本はアメリカの後ろを歩く国なので、田中角栄が続いて北京に行って握手した訳です」
「それでパンダを貰って喜んだという訳ですね」
「そして、レーガンはポツンと一言『もしかしたら、フランケンシュタインを蘇らしたかもしれない』と言ったそうです」
「その時の予感は当たったということですね。ここからが本論です ↓ 表紙写真は「東京新聞TOKYO Web」提供です」
パンダを貰って喜んでいた時代が分岐点
実は、日本がパンダを貰って喜んでいる頃が、日本、アメリカ、中国の3か国にとっての分岐点だったのです。政治的な分岐点でもあったのですが、日本はそこから没落への歩みを始め、アメリカ、中国は経済的に上昇するきっかけを掴みます。アメリカと日本を中心にその辺りの教育状況を見ていきたいと思います。
1981年にレーガンが大統領に就任します。当時は、アメリカの基幹産業が不振を極める状態だったのです。その原因は、日本にもあります。日本の輸出産業にアメリカの産業が凌駕され、失業者たちが原因を作ったということで日本製の自動車をハンマーで叩き壊すというパフォーマンスが飛び出た位、深刻な状況でした。
ただ、レーガンの鋭いところは、根底に教育問題があるとし、「教育の卓越に関する国家委員会」を組織します。その中で、危機についてこう書いています――「我々の国家は危機に瀕している。かつてわが国は、通商、産業、科学、技術革新の分野で優位を誇っていたが、今や世界中の競争相手にその地位が脅かされている。この報告でとり上げるのはこの問題の数ある原因や背景の一つであるが、この一点こそ、アメリカの繁栄、安全保障、社会規範を支えるものである。それは教育である」
「世界中の競争相手」というのは、自動車産業は日本、製鉄業は韓国、工作機械はドイツを指しています。いずれも、先の大戦の敗戦側にいた国だったので、ショックの度合は深かったのです。
(「トウシル楽天證券」)
誤った教育政策の「ゆとり」教育が始まる
「日本の没落」と先に書きましたが、後世の歴史家は多分そのように総括するのではないかと思って選んだ言葉です。アメリカは教育によって経済を立て直していきます。そして、日本は誤った教育政策によって自国を没落させていくことになります。
誤った教育政策とは何か。「ゆとり」教育です。
アメリカは教育の立て直しを図るために、日本に学べということで各種の教育使節団を日本に送り込んできます。皮肉なことに、日本は逆にアメリカの悪しき前例を真似し始めたのです。なお、中国も国交回復後、日本に学べということで度々教育視察団を派遣しています。時には、大学のシンポジウムに参加したこともありました。今は、自分たちが上だと思っているので、来ることはありません。
(「ゆとり教育と学力低下問題」)
アメリカも日本も私学志向となる
アメリカは1960年代から、自由化、人間化、社会化を主張する「オルタナティブ教育理論」が提唱されていました。簡単に言えば、左翼理論です。左翼の言葉は、言葉は美しいですが、内実は国民を分断させるという意図をもっているので、毒薬のようなものです。
学校の細かい規則が批判の対象となり、撤廃されるようになったそうです。その代わりに、出現したのがイヤリング、マニキュア、ひげの生徒が現れ、学校がストリート同然の状態になりました。そして、10代の妊娠が急増し、15~19歳の自殺率がかつての3倍になったのです。「教師は昔の毅然たる姿勢を失い、生徒の歓心を買う芸人と化し、生徒は権威に対する尊厳を忘れて刹那主義に走るものが多くなっていった。これが70年代初頭におけるアメリカの学校の風潮であって、伝統的な『古き良き教育』は完全に崩れさってしまったのである」(加藤十八『アメリカ教育のルネッサンス』学事出版、1992)。
そういう状況の中、「中産階級の親は子供たちを公立学校に託すことはできないと考え、学校にやらずに自宅で教えたり、経済的に豊かな層は私立学校に通わせるようになっていった」(八木秀次『国民の思想』産経新聞社、2005年)のです。
日本では少子化が進行し、生徒は減っているのに、私立学校を受験する割合は増えています。公立学校で何かが進行しているということです。本来は、政治家や文科省の役人、中教審の各種委員が問題意識をもって現場に行くべきなのです。
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