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中学校で「定期テスト」をなくす試みについて / ゼロサム的な発想ではなく、子供たちの飛躍を常に考える必要あり

「昨日の『日経』の夕刊に「変わる定期テスト」の記事(11/17)が載っていました」

女性

「そうなんですか! どのように、変わりますか。母親としては知りたいと思います。」

「まだ、お子さんは小学生でしょ。随分、前のめりになっていますよ」

女性

「母親の性(さが)かもしれません。テストと聞くと、何とかしてあげなければという気持ちが起きます」

「多分、それはあなただけだと思いますけど……」

女性

「そんなことより、どのように変わったのですか?」

「いや、まだほんのささやかな試み程度の流れなので、これが大きな流れになる訳ではないと思います」

女性

「何だぁ、そうなんですね。だけど、どのような試みなんですか?」

「定期テストをなくした試みですが、見直した中学校は全部公立中学校で5校です。東京都、石川県、静岡県、兵庫県、福岡県とそれぞれ1校ずつです」

女性

「東京都は、もしかしたら麹町中学校ですか?」

「そうですが、何か」

女性

「校長先生が本を書いたりして、主導していらっしゃいますよね。新聞に取り上げられたことがあったと思います」

「そう言われて思い出しました。ここは、2年前の2018年度に定期テストを廃止してしまいました」

女性

「評価はどうするのでしょうか?」

「単元ごとの小テストに切り替えたみたいです。そして、点数をとれなかった生徒のために、希望者は再テストを受けられるということにしている様です」

女性

「小テストだと一斉に出来ないですよね。公正、公平という問題が残るような気がしますが……」

「一斉に出来なければ、問題の漏洩が発生します、各担当者が小テストを作成して良いとなると、問題の難易の問題が出てきます」

女性

「そういったことがあるので、定期テストが導入されたのではないでしょうか。ここからが本論です ↓」

 テストを失くせば良いというものではない

 今の教育現場の状況を見た時に、定期テストを失くすことが最善の策とは思っていません。高校では、生徒の状況次第で無くしても良いかなと思いますが、中学生には必要だと思います

実は、定期テストが無くなると一番喜ぶのは、現場の教員だと思います。生徒も喜びますが、それ以上に心の底から喜ぶのは現場の教員です。問題を作らなくても済みますし、採点をしなくても良い訳です。こんな嬉しいことはないと思います。

だから、定期テストを失くすという提案について、それは本心から生徒のためにそのように思ってしたのかどうなのか、それを確かめる必要があります。

私は現場の教員ですが、今日は定期試験3週間前です。1週間前に同じ学年を組んでいる教員に問題を見てもらって了解を取る必要があります。そうすると、残り2週間しかありません。そろそろ試験問題のことを考えなければいけない時期に差し掛かっています。何となく憂鬱な気分になってきます

生徒は現在もノー天気で過ごしています。無邪気に放課後は友達とおしゃべりを楽しみ、部活動に打ち込む者もいます。ところが、教員室は陰鬱な空気が漂い始める頃です。このタイミングで校長先生が、わが校は定期試験廃止と宣言したとしたならば、その空気は一気に爽やかな空気に変わるでしょう。校長先生はその学校のヒーローになるかもしれません

 定期テストには、それなりの効用あり

普段勉強をしない生徒でも流石に勉強をしてテストに臨みます。全く勉強をしない(「ノーベン」)という猛者もたまにはいますが、試験の時は普段と違う空気が流れるものです。

スポーツで言うと、定期試験は本番試合、小テストは練習試合です。練習試合でも選手の力量をある程度量れますが、やはり何と言っても本番の試合での力が真の実力でしょう。緊張が高まる場面で、いかに自分の力を出すか、ある意味大事な人生経験だと思っています。

子供たちにとって、これからの長い人生、緊張する場面で何かをしなければいけないことがきっとあるでしょう。それを見越して、大人の側でそういった場面を用意してあげるのは、ある意味愛情の顕れだと思っています。定期テストには、単に「評価」ということ以外に、それなりの意味と効用があるのです

 「オールOR ナッシング」という考えをしない方が良い

「オールOR ナッシング」という考え方ではなく、時代の流れに合わせて微調整という考え方が欲しいと思います。定期テストもそれなりの歴史的重みを持ちつつ、現在があります。失くすのは簡単ですが、もし無くした場合は、そこから復活させるのが大変です。

例えば、これはアメリカのある州の成績評価の付け方です。定期試験3割、提出物2割、小テスト2割、出席2割、授業態度1割というものです定期試験の占める割合が少なくなっていますが、これでも真面目に一生懸命試験勉強をして受検する者がいると思います。

『日経』の記事には「思考力などを重視した大学入試改革に対応するため一夜漬けで知識を詰め込む従来型のテストを改め、生徒が主体的に学ぶ力を引き出す狙いがある」とあります。

まず、第一に中学では、大学入試のことを考える必要はありません。それは、高校の教員が専ら考えることです。公立中学校には、大学に進学しない生徒もいるからです

第二は、一夜漬けとありますが、真面目な生徒は日々予習・復習をしてコツコツと努力をしている者もいます。全員が「一夜漬け」でテストを受けている訳ではありません

第三番目は、定期試験を失くした途端に、「主体的に学ぶ力」がつくというのは奇妙です。逆だと思います。スポーツで言えば、本番の試合で負けて反省をし、そこから自分の普段の練習の仕方に目が向かうのです。定期試験で思った点数が取れなかった、その反省が普段の授業の受け方の反省に向かえば、それは一つの学びを提供したことになります。人間は成功からよりも、失敗から学ぶことの方が多いのです。特に若いうちはそうだと思います。そういった貴重な経験をする場を少しでも残す努力というか、配慮が欲しいものです。

 新しい時代に対応した定期テストのあり方を追究すべき

千代田区立麹町中学校の工藤前校長の「暗記したことを解答用紙に書く知識偏重の日本のテストのあり方は国際社会では通用しない」(「変わる定期テスト」『日経』2020.11.17日付)という談話が掲載されていました。私もそう思います。特に、これからの時代は知識を追い求める時代ではありません。それは機械に任せれば良いと思います。ただ、その話と定期テストを失くすという話は別です。

新しい時代に対応した定期テストのあり方、例えば記述式を増やすとか、その場で調べ学習を課すとか、その在り方を現場の責任者として追究すべきだと思います

読んでいただき、ありがとうございました。

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