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不登校10万人、潜在的不登校30万人――文科省の教育行政に対する沈黙の反抗

 

先生
「不登校の児童・生徒たちが通うフリースクールなどを念頭に「普通教育機会確保法」(正式名称は「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保に関する法律」)という名称の法律が制定されていたことを実は昨日知りましたが、あなたは知っていましたか?」

 

女性女の子
「いえ、全然知りませんでした。私も初めてです。何か問題に感じられることがありますか」

 

先生
「「普通教育」という文言が少し気になります。普通教育というのは、すべての国民が共通に必要とする基礎的な教育のことで、それは文科省の教育課程により示され、それに基づいて教科書が作成されています。フリースクールは、そういったことを想定していませんので、「普通」にこだわるとおかしな話になると思います」

 

女性女の子
「その第10条に不登校の生徒のために特別に編成された教育課程という文言があるので、今の公教育の体系にプラスアルファする考えではないでしょうか。だから、敢えて「普通教育に相当」という文言を入れているのだと思います」

 

先生
「だから「教育機会の確保」となっているのですね。確保というのは、不足があり、欠落しているので確保という言葉を使いますからね。本来は「教育機会の保障」でしょうね」

 

女性女の子
「素朴な疑問ですが、なぜ義務教育に限ってしまったのでしょうか」

 

先生
「高校生で不登校の生徒もいますからね」

 

女性女の子
「略称には、義務教育の言葉は入っていませんよ」

 

先生
「子供の実態、社会の流れを考えれば、義務教育に限る必要はないと思います」

 

女性女の子
「今までの話をまとめると、「教育機会保障法」にした方が良いという結論になります」

 

先生
「敢えて法律の名称をつけるならば、と言うことですが、現行の公教育制度と整合性を持たせる必要があります。ただ、こういう法律をよく国会が通したなあと半ば驚いています。文科省には、こういう問題意識はないので、多分どこかからせっつかれたのだろうと思いますが……」

 

女の子
「いろいろな教育機会が広がるのは、良いことだと思いますが」

 

先生
「フリースクールを広げたい、支援して欲しいという立場からは、そう思うでしょう。ただ、法律は日本全体の教育のあり方を踏まえて制定されるものなので、公益性と説得性が必要です」

 

女の子
「公益性は何となく分かりますが、説得性というのは?」

 

先生
国民主権が謳われている以上、多くの国民を納得させる論理が必要ということです。法律の条文を読むと、国や地方公共団体の義務がかなりの範囲に及んでいます。既存の公教育の分野だけで財政的にも人数的にも抑えられている中で、さらにこちらの分野にまで人とお金を使えるのかという現実的な問題があると思います。だから、先ほど、よく国会が通したなあと言ったのです」

 

女の子
「国会議員もよく分かっていないと思いますよ。たまには、地元の小学校を抜き打ちで視察に来たらどうかと思っているんですけどね」

日本全国の小中学生の現在の不登校者数は、約14万人います。すさまじい数だと思います。ただ、それは文科省の言う30日以上登校していない児童・生徒の数なので、そこには保健室登校とか、遅刻・早退を繰り返すような「不登校予備軍」は含まれていません。「不登校予備軍」は私学にも結構な数の生徒いますので、それらを合わせると40万人近くになると思います。そのような実態を考えると、非常に深刻なことが進行しているのです。そこには金の卵が眠っているかもしれません。そして、手をかければ、確実に貴重な人財になるのです。

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HONDAの創業者の本田宗一郎氏も言っています。「人間というものは、面白いものであり、不思議なものであり、必要のない人間というのはいないのである」と

ところで、不登校が問題になり始めたのが、1970年代です。本来ならば、その状況を集約して、その都度対応をしていれば良かったのですが、制度的な改革や設備を整える、人員を増やすなど対策を殆どすることなく済ませてきました

不登校、つまり「学校に行きたくない」という気持ちを子供たちに持たせてしまうのは、公教育の敗北であり、公教育に対する沈黙の反抗だと思いますが、そういった捉え方がなかったし、現在もありません。教育に何らかのかたちで携わる者は、ガラスの心を持って欲しいと思っています。

小学校の高学年から、中学生の間は心も不安定になりがちです。いじめということも出てきます。それを踏まえて、時代にあったシステムを考えるのが、教育行政に携わる方々の使命だと思っています。当然、鈍感であってはいけないし、子供たちが起こした事件や流した涙から何をすべきかを常に考えて頂きたいと思っています

不登校の問題が出始めた頃から、子供たちの多様な要求に応えてクラスを横断しての選択授業を採り入れたり、複数教員による授業の導入をしたり、といった何か工夫めいたことをしていればと思います。とにかく、一人の子供に対して、なるべく多くの教員の目が届くような工夫をすれば良かったと思います。クラス単位のオール一斉授業の時代ではないことは、子供たちの動きを見れば分かるはずなのに、それに気付かなかったのです。ただ、それは今からでも間に合います。

そのうち、増加する不登校の対策的な動きとして、市民の中からフリースクールの設立が80年代半ば頃より全国に広がっていきました。1992年には国も「不登校は誰にでも起こりうること」という認識を示し、フリースクールに通う日数も学校の出席日数として認められる事例も増えていきました。2015年に行われた文部科学省の調査によると、把握されているだけでも、北海道から沖縄まで全国474ヶ所が確認されていますが、数的に見て、不登校のほんの一部の児童・生徒しかフリースクールに通えていません。多くは、行き場所がないまま、無駄な時間を送っている場合が多いのではないかと思われます。ここに光を当てるのが政治であり、行政だと思っています

松実(まつみ)高等学園というフリースクールが、埼玉県春日部市にありますが、その学園生活の様子をSNSで配信しています。初等部、中等部、高等部まであり、入学の時期は人それぞれ違います。「学校であり、家庭であり、学習塾であり、自立と共生の場」(松井石根理事長)がコンセプト、自己評価を学習評価に取り入れていたので、なるほどと思いました。高等部の校舎は元はパチンコ店であったとのことです。それを改装して使用されている。様々な工夫やアイデァが随所に感じられます。
私自身は被災地の放課後学校や高校生が地域の課題に取り組むプロジェクト事業などを企画運営している教育NPO法人カタリバの支援を微力ながらしていますが、フリースクールはあくまでもサポート的な役割に徹することにより、光り輝くことができるのではないかと思っています。

読んで頂きありがとうございました

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