ようこそ日本の危機へ!このブログでは主に最新のニュース、政治、教育問題を取り上げております。

はびこる『立憲主義』という妖怪を退治しよう

  • 2019年12月16日
  • 2019年12月17日
  • 政治
  • 67view
[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

憲法の正論 [ 西修 ]
価格:1760円(税込、送料無料) (2019/12/16時点)

楽天で購入

 

 

「はびこる『立憲主義』という妖怪」(『憲法の正論』産経新聞出版.2019)

と言っているのは西修氏(駒澤大学名誉教授)である。
どういうことか――

「『国家権力は敵』という独善的な考え方のもとに、自分たちの政治目的を実現するために立憲主義という言葉を利用する――いわばポピュリズム憲法論が、現代日本に徘徊している妖怪の正体と映る」(前掲書.56ページ)。

ポピュリズムという言葉を最近よく使われるようになったが、ラテン語のポプルス(民)が語源である

アメリカで1892年結党の「ポピュリスト党」を通じて広まったとされている。

ただ、頻繁に使われるようになったのはここ2、30年であり、「大衆主義」とか「民衆主義」などと訳されたりするが、確たる意味として定着している訳ではない。

資本を持つ者と持たざる者を前提にした階級国家論の考え方がある。

ただ、現代は経済が激しく動く時代である。

資本をそのように固定的に捉える時代は終わりを迎えつつあるが、懐古的な階級国家論の立場に立つ者が、好んで使いそうな言葉であることは確かであろう。

立憲主義という用語は、高校の『政治・経済』や『現代社会』の教科書の中でもよく登場する言葉である

『用語集』(清水書院)を手掛かりに、掲載頻度を客観的に把握してみると、『政治・経済』、『現代社会』のどちらも「A」ランクであることが分かる。

「A」ランクというのは、『政治・経済』の教科書であれば、全8冊のうち6冊以上の教科書に載っているということであり、『現代社会』の場合は全12冊のうち8冊以上の教科書に載っているということである。

どのような文脈で使われているのか――

「近代憲法は、基本的人権の実現を目的とし、国家の権力が人々の人権をみだりに侵害しないよう、国家による権力行使に枠をはめる。こうした憲法の位置づけを立憲主義という」(『政治・経済』東京書籍.2018)。

無題

国家は暴走するもの、だから権力を分立する。根底にあるのは、権力に対する不信である。

この考え方に基づいて活動しているのが、共産党、社民党、立憲民主党である。彼らは政権奪取が目的なので、政権与党を必死で叩いて弱体化させることが重要と考えている。国民民主党の立ち位置が今一歩はっきりしないが、立憲民主党との合流協議に入ったというのが最近のニュースである。ただ、協議をしてメリットがあるなしで判断するのではなく、自分達の立ち位置を確認すれば自ずから答えは出てくると思うのだが……。

もともと日本は天皇が超然とした位置にいて、時の権力者と国民が同じ方向を向いて家族主義的な考え方によって国づくりをしてきたという長い歴史がある。

しかし、立憲主義は権力者と国民が対立するという捉え方である。

立憲主義の考え方に違和感を持つのは、日本人の中に流れている遺伝子がなせる業だと思っている。だから立憲主義の考え方で政党運営しても、日本では大きな支持は得られないだろうと思っている。

美濃部達吉の弟子で戦後の憲法学を牽引したと言われている宮沢俊義氏は、著書の『憲法』の中では立憲主義という言葉を使っていない。彼の愛弟子の芦部信喜氏が『憲法』(岩波書店、2007年)の中で立憲主義を前面に打ち出して日本の憲法史を捉え返そうとしたのである。

彼らの理論が憲法学会でやがて主流となり、教科書にもそれに基づいた記述がなされるようになった。

「わが国には、明治時代以前は、立憲主義的な成文憲法は存在せず、近代的憲法の歴史は1889年の大日本帝国憲法から始まる」(芦部信喜『憲法』18ページ)

と述べている。

ただ、大日本帝国憲法の統治の考え方は、権威(天皇)と権力を分離するという日本独特のものである。

それは、日本の古代から近世まで行われていた統治のあり方を踏襲した上での規定である。

その辺りは、このブログの「天皇主権」のテーマで述べた通りである。

日本の歴史を少し紐解けば分かるが、天皇が権力者として振る舞った歴史は殆どない。西洋の権力者がその権力を振り回して、国民を虐げたような歴史もない。従って、革命も起きていない。

立憲主義とか法の支配、人権という用語は、権力者との抵抗闘争の中で人々の中から生まれた言葉に過ぎず、それをいかにも価値があるかのように思うのは、ある意味大いなる錯覚である

その意義は認めつつも、歴史の土壌が違う日本に無理やり西洋の概念を持ち込むことはいかがなものか。しかし、憲法学会ではそういった問題提起すらないのだろうか。

日本の近代医学の発展に力を尽くしたドイツの医師ベルツは「もし日本人が、……あちらのすべてを真似ようというのであれば、その時は、日本よ、さようならである」と述べている。日本の歴史を丁寧に辿りつつ、歴史と伝統に裏付けられた独特の統治のあり方を、憲法学的に解明するのが憲法学者の役割だと思っている。江戸時代までの日本をすべて切り捨ててしまい、明治の時代から西洋の価値観で日本の憲法を語る手法は基本的に間違っていると思う。

多分、学会は一つの価値観で埋め尽くされてしまっているのだろう。皮肉なものである。

0
最新情報をチェックしよう!