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マルクスに2つの「顔」あり――学者と民族主義者 / 社会科学の理論は時代を超越して適用することはできない

  • 2020年12月26日
  • 2020年12月27日
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「マルクス生誕200年を記念して、映画「マルクス・エンゲルス」が制作されたのをご存じですか? というか、知る訳がないですよね」

女性

「ごめんなさい、アニメならまかしておいてという感じですが、マルクスとかシカクスは苦手です」

「シカクスって、何ですか?」

女性

「マルにかけただけです。一種のダジャレです」

「人の名前で遊ばないようにして下さい」

女性

「すいません。ところで、それはいつ、どこで作られたのですか?」

「2018年ですね。この映画は、ドイツ、ベルギー、フランスの合作映画です2017年のベルリン国際映画祭で上映されています。日本公開は2018年でした。見逃した人でも、今はユーチューブで観ることもできます」

女性

「インターネットで調べると、監督のラウル・ペック氏は、著名な方なんですね」

「彼は2003年カンヌ国際映画祭で審査員を務め、2016年の映画『私はあなたのニグロではない』でイギリスとフランスのアカデミー賞で最優秀ドキュメンタリー映画賞を受賞するなどの実績があります」

女性

「映画で描かれているのは、マルクスの生涯なのですか?」

「いえ、マルクスの若き頃が中心ですね」

女性

「その意図は、どこにあるのでしょうか?」

「監督はマルクス、エンゲルス、マルクスの妻のイエニーの若き頃の生き方が、今日の若者たちに指針を与えることができると思って、映画製作に踏み切ったとのことです」

女性

「若い頃だけだと、彼の思想については余り触れていないということですか?」

「共産主義の啓蒙のためというより、彼らのバイタリティーを撮りたかったのだと思います。実際に、1843年の4月、『ライン新聞』の編集長時代のマルクスから始まり、生涯の友のエンゲルスとの出会い、1848年の『共産党宣言』が出されるまでのおよそ5年間が描かれているだけです」

女性

「伝記ものと思った人は、がっかりするんじゃあないでしょうか?」

「監督は人間マルクス、そしてエンゲルスを撮りたかったのだと思います。それから、マルクスの妻のイエニーも描かれています」

女性

「その3人が主人公という感じですか?」

「そういう捉え方で良いと思います」

女性

「ここからが本論です ↓」

 映画の中で描かれているのは、彼らの若かりし時代のみ

酒飲みで字がへた、いつもお金に困って、結構短気で生活のために原稿を書いている人間マルクス、一方のエンゲルスはイギリスのマンチェスターにあるエンゲルス紡績工場の社長の息子。お金にも地位にも恵まれているが、そのために労働者の側に立てない自分自身に不満をもつている。父親からすれば、息子の行状はほとんど理解不能。そのために起こる親子の確執も描かれています。イエニーは、マルクスに愛される可愛い女性という側面と、大勢の前で堂々と物怖じせずに意見を述べる逞しさの両面をもった女性として描かれています。

作家の佐藤優氏は「若きマルクスとエンゲルスの正義感が伝わってくる。特に資本家で大金持ちでありながら、他人を搾取する社会を変えようと活動する若きエンゲルスが魅力的」(『読売新聞』2018.4.27)と評しています。

『共産党宣言』が採択される場面が、映画のクライマックスです。時は1847年、ロンドンで正義者同盟の総会が開かれ、マルクスとエンゲルスも参加しています。ただ、最初は発言が許されませんでした。いろんなやりとりの中で発言OKとなり、論争が繰り広げられます。

主催者側は「暴力はだめ、優しさが必要」と言います。それに対して「涙では権力を得られない。闘うために来た」、「いや、人類はみな兄弟」、「抽象的な理想を追い求めるな」、「兄弟ではない、敵どうし」と、段々ヒートアップしてきます。「あなたの中には、抽象思考の批評家プルードンと貧困と対峙する人間プルードンがいる」。プルードンは、常に批判的な存在としてマルクスの著書によく取り上げられる人物です。映画の中では、自信たっぷりの理論家として登場します

「プロレタリアートとブルジョワジー、闘いか沈黙か。産業革命が現代の奴隷を生んだ」、「我々には非所有は抽象論ではなく、絶望的なほどの現実」、徐々に、マルクスたちの主張が総会の中で受け入れられていきます。そしてついに正義者同盟の旗がはずされ、代わって共産主義者同盟の旗が掲げられるのです。そこには「万国のプロレタリアート団結せよ」のスローガンが書かれています。共産主義者同盟の発足。抱き合う2人、そこで映画は終わります。これはあくまでも、3人の人生を捨象して映画にしたものなので、これはこれ、マルクスの考えは考えとして、批判的検討を加える必要があります。

 マルクスとエンゲルスがユダヤ人であったことを考慮に入れる必要あり

未だにマルクスを信奉している学者もいます。何故か、根強い人気と支持があります。『カール・マルクス』(佐々木隆治著/ちくま新書、2014年)の「はじめに」の冒頭は「カール・マルクスの理論が現代社会の変革にとって最強の理論的武器であり続けているという事実である」から始まっています。

そうではない、それは大いなる誤解であることを論じていきたいと思います。

マルクスとエンゲルスがユダヤ人であることが描かれていない。

当時は、まだユダヤ人国家が誕生していません。ユダヤ人であれば、とにかく自分たちの国をいかに創るか、そこに彼らの悲願があったはずです

マルクスはドイツでユダヤ人弁護士の子として生まれ、1835年にボン大学に入学します。社会変革を意識し始めるのは大学時代ですが、彼の関心は、文学から法学、さらには哲学に移っていき1年位で学位論文書き上げ、博士号を取得します。研究者として生計を立てたかったのだと思いますが、上手くいきません。『ライン新聞』の編集長となり、その頃からユダヤ人国家のことを意識し出したと思われます。

どうすれば、ユダヤ人国家をこの地上に実現させることが出来るかその思いの果てに出てきたものが『共産党宣言』です。何か深い思想的な裏付けがあって出てきた文書ではなく、一種のアジテーション文章です。

人間というのは、一つの方向性をもった理論なりイデオロギーを注入されると行動し始める性質をもっていることを知ったマルクスは、社会を騒乱状態にするための理屈を編み出すことに腐心します。マルクスには、ユダヤ人としての愛国者の顔と学者の顔がありますが、前者の顔を使って世に出したものが『共産党宣言』です。マルクス30歳の時です

今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」――マルクスの有名なテーゼです。人間の歴史をすべて「階級闘争の歴史」と考え、資本主義社会を資本家階級と労働者階級の対立・闘争する社会と捉えたのです。これを信じてくれれば、その国の国民の間に対立関係をつくることができます。それが騒乱から混乱、さらに革命に発展すれば、そこに隙ができてユダヤ人国家をつくるチャンスが広がります。そのように考えたのです。この考え方を、21世紀の現代にあてはめようとしている人たちがいますが、無理というものです。

「革命による変革を共産主義――マルクス――共産党宣言、戦争による変革を資本主義――レーニン――帝国主義論、マルクス・レーニン主義とはこのようなユダヤ民族解放の「手段」「道具」にすぎないのである」(モルデカイ・モーゼ『あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい』沢口企画、2019年/160ページ)。


 マルクスに2つの「顔」あり――学者としての「顔」と民族主義者としての「顔」

マルクスが学者の顔になって研究したのが、経済学であり、それは『資本論』として結実します。若き頃に資本主義の終焉、共産主義の到来、それを言ったからには資本主義について科学的に分析する必要があると思ったのでしょう。もともと、哲学の学位論文を書いていますので、専門は哲学だったのです。ただ、学者としての良心が経済学の研究に向かわせます。そこで書かれたのが『経済学・哲学草稿』であり、『経済学批判』なのです。その延長線上に『資本論』が位置づけられます。

ところが、彼の略歴というか研究歴を見ると、その間に地質学、鉱物学、農学、農芸化学、農業統計学、地球史、さらには数学、有機化学、無機化学に関することをノートしているのです

このことについて、率直にその意味がよく分からないという学者もいれば、環境問題に関心を持っていたという指摘や「資本にたいする抵抗の可能性を明らかにすることだった」(佐々木隆治『カール・マルクス』)といった訳の分からない説明もありますが、新しい国家を創る上で必要な知識を得たいと、ユダヤ人として愛国者のマルクスが思って学ぼうとした証なのです

 時代的限界を考慮する必要がある

マルクスの映画が主に扱った時代は、今からおよそ170年前の事です。日本は江戸時代の末期。黒船来航の少し前で、嵐の前の静かな平和を謳歌していた時代です。

どんな天才といわれる人であったとしても、社会科学の分野の学問については、時空間の壁を乗り越えて理論を構築することは不可能です。その時代までに蓄積された知的レベルと常識をもとに理論を組み立てるという制約があるためです。例えば、現代はデータや知識が多くの富を生んでいます。「デジタルバブル」なる言葉も生まれて、有形資本よりも無形資本の方が現代の経済動向に大きな影響を与えるようになりました。知的労働の意義が高まり、搾取とか労働者階級という言葉がやがて死語になるでしょう。そういった時代になっています。だから、ヨーロッパでは共産主義の影響は殆ど見られません。20世紀の終わりにユーロコミュニズムという言葉が出てきましたが、現在は死語になっています。

自然科学の場合は、一人の天才のひらめきや大発見が理論を大幅に飛躍させ時間を超越することはあるものの、社会科学の場合は時間や場所の制約、さらには立場の違いというものがプラスされるからです。だから、マルクスを無色透明な一人の人間として捉えるのではなく、ユダヤ人であり、当時のユダヤ人たちが置かれていた状況を加味する必要があるのです

1999年のBBC世論調査では、マルクスが20世紀にもっとも影響を与えた思想家として、2位のアインシュタインを抑えて第一位の評価を受けています。そんなところから、忖度が働いているのかもしれませんが、およそ150年も前の社会理論が時空間を超えて、現代にそのまま通用するはずがありませんし、無理に適用しようとすれば必ずひずみが出てくることになります。

 唯物論によって世界を語ることはできない

マルクスが生きた時代は19世紀、分子、原子の存在ですらまだ科学的に確認されていない時代です。次の20世紀が「物理の世紀」と言われ、急速にミクロの世界の解明が進む時代です。だから、彼が素粒子の世界の法則を踏まえて、思想を形成することは不可能だったのです。人間の五感で捉えられたものがすべてで、それが真実の姿ということを前提に唯物論が形成されたのですが、今やその前提自体が非科学的なのです。

そして、改めてこの世界を最新の科学の眼で見ると、五感で認識できるマクロの世界と、目に見えない素粒子レベルのミクロの世界とで成り立っていることが分かるります。マクロの世界というのは唯物論が語る世界です。その世界を支えるようにミクロの世界が広がっているのです。そして。その世界はマクロの世界とは全く別の法則で動いていることが分かってきています。さらに、「電子に意志があることが明らか」(山田廣成『量子力学が明らかにする存在、意志、生命の意味』)なので、「木々にも水にもタンバク質にも意志がある」(山田廣成/前掲書)ということが科学者の口から語られ始めています。量子力学の登場により、唯物論自体が科学的に成立する基盤が無くなってきているのです

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