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再び、国際学力調査(PISA)について

  • 2019年12月5日
  • 2019年12月11日
  • 教育論
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無題
(毎日新聞)

先日の文章に、全国紙の中で『毎日新聞』だけがPISAに関する社説を出していないと書いたが、12/5日付の朝刊に「PISAで読解力低下 長文に触れる機会作りを」と題した社説が発表された。『毎日』の名誉回復を兼ねて、ご報告させていただく。

報告ついでに『毎日』の社説を俎上に載せて検討してみたい。まず、教育権の所在について誤解をしているのではないかと思う。というのは、読解力の低下傾向について「文部科学省や学校現場は真摯に受け止める必要がある。結果を分析し、学習改善につなげることが大事だ」と言っている一節があるからだ。

無題

文部科学省と学校現場を並べてモノを言っているが、日本の教育は中央集権制であることを深く自覚して欲しい。現場や教育委員会には、カリキュラム編成権もないし、標準時間が設定され、検定教科書を使うことが求められている。地方には、何の教育権限も与えられていない。教員採用と教員の給与を払うことくらいである。現場の教育実践について何かを言う場合は、教育権限の委譲(移譲)について、新聞社としての考えをもった上で意見を述べて欲しいと思っている。

「順位はいったん回復したが、前回は再び低下に転じて参加国・地域中8位となり、今回はさらに15位まで急落した」とあるが、それは単なる現象であり、すでに前日報道されている。重要なのは、そのように急落したことと上がったり下がったりしたことの原因についての言及である。そこが新聞社の腕の見せ所なのだが、何も書かれていない。

「英語教育の重視などで授業時間が増え、……新たな試みをするには難しい問題もあろう」。「新たな試み」が具体的に何なのか、意味不明。公立学校の場合は、検定教科書、カリキュラム、年間の単位時間数が決まっているので、多少の工夫ができる程度である。

「だが、読解力は学力の基本だ。全体の学習プログラムを調整したうえで、文章を読む楽しみを根付かせたい」と結論づけているが、どのように調整するのか、これも意味不明。一人よがりの文章となっている。

 鷹の目と蟻の目の両方持つ必要がある。要するに、ミクロの視点とマクロの視点である。2つの目で見て初めて立体的に見える。特に教育の問題は2つの視点から見る必要がある。片目は駄目。片目はウインクをする時に使えば良い。

教育は個人の能力を十全に伸ばす必要があるし、現場の教員や国は子どもたちの権利に応える義務がある。それはミクロの視点。そこだけ見つめて、個々の力を伸ばせば全体も上がると思うのは早計である。

無題
(NAVERまとめ)

教育権限が中央にあるので、国が教育全体の方向性を指し示す必要がある。PISAの点数を伸ばすためには、教育戦略を国レベルで立てる必要がある。つまり、マクロの視点である。

その上で現代という時代、新冷戦とも言うべき時代背景を考えに入れる。米中の政治的、経済的対立を基軸にして、ポピュリズム、ナショナリズム、権威主義が台頭して混沌とした様相を呈している。一昔前なら2.3か所で戦争が起こっていてもおかしくない状況。ただ、一度起こせば世界破滅の戦争にまで発展するかもしれないという恐怖心がそれを食い止めているが、水面下では覇権をめぐる争いが繰り広げられている。

そのような中で、中国は教育を国家戦略として位置づけ、個人の能力開発と経済発展、軍事力増強を結び付け、世界制覇という「中国の夢」に向かって突っ走っている。3分野1位というのは、中国が国ぐるみで教育に取り組んできた成果であろう。

 日本には、教育に対してそういった位置付けはない。全体目標も戦略もない。文科省という行政官僚の組織の方針があるにすぎない。理念がないので、その時々のスローガンで教育内容が左右される。かつては「ゆとり」、今は「話す、書く、スピーキング」であろうか。そのため、どうしても上下動してしまう。ただ、これからはAIとの共存時代であるし、国家ぐるみで教育レベルを高めようとする国が現れた以上、それに対応していく必要が出てきた

無題

例えて言えば、今までは選手任せにしていても、選手の親が結構しっかりしていたので、それなりに試合に勝てたが、戦略から選手育成まで組織的にチームづくりをして大会に臨む国が出てきたので、従来通りの選手育成では、負けてしまうということである。

無題

どうすれば良いか。強いスポーツチームをつくるのと同じ理屈で考えてみる。あなたがオーナーならば、何を最初に考えるかである。監督、コーチといった首脳陣をどうするかをまず先に考えるだろう。ここがしっかりさえしていれば、強い選手を育ててくれるので、チームは強くなる。何に例えているか分かると思うが、監督は国(現状では文科省)、コーチ陣は教員、選手は子供である。次に問題なのは、監督とコーチ陣の専門的能力と技量であろう。

そうすると、文科省自体の問題が出てくる。文科省は一行政省庁であり、教育の専門家集団ではない(多分、殆どの職員が教員免許を持っていないと思われる)。文科省はその専門性をカバーするために審議会に答申をするという形で乗り切っているが、それも時代的に限界に来ていると見ている。

そして、コーチ陣のレベルを上げるために、コーチの養成のあり方を考える必要がある戦前は師範学校でモノづくりとは別に、人づくりの専門家を養成した。だから、教師と呼ばれたが、今は大学の教職課程で少し余分に単位を取った者が教員になっているに過ぎないそれでも大学進学率が10~20%の頃は問題なかったが、今のように50%になってしまうと、いろいろ問題が出てきてしまう。言い方は悪いが、粗製乱造になってしまっている。教員が3面記事で活躍し始めているのは、そういったことも原因としてある

 

その辺りの構造的な問題を解決しなければ、日本の教育の未来はないだろうと思っている。

 

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