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再び「表現の不自由展」について――SNSを利用した事前審査制度の導入の提案

前回の記事はこちら!

昨日(12/26)、階級国家観と国民国家観のことを述べた。

階級国家観は社会主義者・共産主義者の国家観である。

人民の権利を抑圧する主体として国家権力があり、それを打倒(革命)の対象と捉える。

無題

この国家観にもとづいて憲法解釈をするのが東大憲法学の特徴であり、大村知事はその薫陶を受け、それを行政の場で忠実に実行しようとしている方である。

そのことが、朝日新聞のインタビュー記事から分かる。

ただ、現代は封建時代ではないので、固定的な階級は存在しない

資本家階級、労働者階級というが、経営破綻すればタダの人になるし、起業をして社長になる人もいる。

カルロス・ゴーンもタダの人になりそうである。

階層は確かに存在するが、身分や資本・財産の所有による固定的な階級によって構成される階級社会ではない。

それにも関わらず、頑なに革命を夢見て活動している団体、政党もあれば、それを前提にして物事を考える人がまだ日本には依然と多い

実態と異なった国家観に基づく判断は、人権解釈の場面で国民感覚との乖離が生じやすい。

そして、階級国家観が専ら対象として捉えるものは、国内権力である。

言い方を変えれば、国際的な視点が弱いため、他国の実態と比較をした場合、バランスが悪いケースが生じることがある。

少し抽象論になっているので、東大憲法学の流れをくむ浦部法穂氏の憲法の基本書――『憲法学教室』(日本評論社/2006年)――を引用しながら具体的に論ずることにしたい。

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「表現の自由は、とくに重要な人権だ、というようなことがしばしばいわれる。……表現の自由については、それが、最も権力によって傷つけられやすい性質の自由であるということから、その意義を的確に認識しておくことが、まずもって必要となるのである。表現の自由の重要性ということが強調されるのは、そのためである。」(146ページ)

傷つけられやすいので、「表現行為がなされる前に公権力がなんらかの方法で」(149ページ)事前に抑制することは原則として許されず、「事前抑制の典型的なものは『検閲』である」(150ページ)としている。

大村知事の発言を紹介する――

「公的な芸術祭であるからこそ逆に、憲法21条がしっかり守られなければいけないのです。」

「『この芸術作品のこの内容はダメだからやめろ』と言うのは、表現の自由を保障した21条に照らして、決してやってはいけないことなのです。検閲そのものにもなりかねません。」

「表現の自由は、憲法が保障する基本的人権の中でも特に重いもの、人が人であるゆえんのものでしょう。……違いを認めないとなったら独裁です」(朝日/2019.12.24日付)

いかがであろうか。東大憲法学を忠実に学んだ方だというのがよく分かると思う。

先日の24日の記者会見で河村市長の展示物に対する批判を「憲法違反」と言っているが、条文解釈はいろいろな立場からのものがあって良い。

裁判官でもあるまいし、首長に対して「憲法違反」と言うのは余りにも失礼と言わざるを得ない。

「東大憲法学」の立場が唯一絶対と思っているのだろう。

人権というものは、歴史の中で形成されてきたものなので、時代の中でその価値は変化する。

かつて重要だったものが、常に重要とは限らない。

解釈変更も当然ある。

現に、表現の自由は、憲法の条文にないプライバシー権や肖像権に今や勝てないであろう。

さらに人権は国境を越えて世界的視野で判断されなければいけない

国の元首であった方の肖像画を燃やすことを、表現の自由として許すような国家を私は知らない。

共産主義国なら命がなくなりかねない行為であろう。

その人権の世界の到達している「位置」とのバランスの問題がある。

先に、階級国家観が専ら対象として捉えるものは国内権力のため、どうしても国際的な視点が弱くなる。

他国の実態と比較をした場合、バランスが悪いケースが生じることがある、と言ったのはこういうことである。

そして何を芸術と考えるかという問題もある

今回の作品は、芸術に名を借りた単なる政治的主張だと思うが、中にはそれも表現の自由として保障しろという意見もある。

そのように何でもOKであれば、今後もし、自分の汚物を芸術と言って展示しようとしたら、どのように抗弁するつもりであろうか。

だから、いかがであろうか。

権力による検閲がダメと言うのであるならば、「国民参加型の事前審査制度の導入」を考えたらどうだろうか。

SNSという文明のツールを利用して、事前にどのようなものが展示されるかを国民に知らせ、インターネットを使って投票してもらう。

そして例えば、ある展示物について、その過半数が否と判断した場合は公開しないという措置をとるのである。国民に主権があるので、憲法上も問題はないだろう。

読んで頂きありがとうございました。

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