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地域再生のために必要な視点 / 大局観に立って考えるのが苦手な日本人――お雇い外国人の採用を勧める

「地方活性化については安倍政権下でも言われてきたのですが、菅政権になってさらに推進されるようになりました」

女性

「彼は、ふるさと納税の提案者だそうですね」

「彼が総務相の時代に提案したものですね」

女性

「安倍首相よりも、地方に目が向いていると理解しても良いでしょうか?」

「彼の政治家としてのスタートは横浜市議ですからね。地方を何とかしよう、地方の経済を何とかしよう、そのためには地方銀行の再編が必要というのが現在の認識だと思います」

女性

「問題なのは、そういった方向性の果てに、地方活性化がなされるのかということですよね」

「それだけでは、無理です。そんなに単純な問題ではありません」

女性

「コロナの問題があり、テレワークが推奨され、であれば地方にいても働くことができるということで、地方への移住の流れがでてきましたよね。それを地方活性化に結びつけられないかなと思うのですが……」

「そういった動きは歓迎すべき動きだと思います。ただ、それを1つの大きな流れの中に入れ込む作業が必要です」

女性

「どうすればいいですか?」

「地方を単なる地理的空間と捉えるのではなく、有機的な組織として捉える視点が必要だと思います」

女性

「今は、どういった視点で捉えられているのでしょうか?」

「各県が作っているホームページを概観すると、観光や食べ物、最近では住みやすさといった魅力を掲げてのアピールが多い傾向にあります」

女性

「それだけでは、弱いということですね」

「観光やテレワークであれば、そういったアピールで良いと思いますが、それだけで定住しようという気持ちにはならないですよね」

女性

「確かに、そうですね。定住するということは、当たり前ですけど生活の拠点をそこに移すということですからね。強い支えみたいなものが欲しいですよね」

「教育、伝統・文化、とにかく一つの理念なりコンセプトが必要です。それを軸にして地域づくりを考えないと、結局単なる人がそこにいるだけという地域になり、何かあれば分散していきます」

女性

「ここからが本論です  ↓」

 

 地方衰退は戦後の場当たり的な政治が原因

長期的な戦略を考え、一手ずつ駒を動かしていくという発想が欲しいのですが、とにかくゴールがある方向にボールを蹴れば良いだろう的な発想で戦後政治は行われてきています。周りの観客は、一応ゴールの方向にボールを飛ばそうとしているし、得点が続けて入ったこともあるので、それを評価して支持をしてきたのですが、基本的な戦略がないために最近は上手く得点に繋がらないのです。

サッカーに例えているのですが、ゴールポストにボールを入れるためには、相手のディフェンスをいかに避け、どうやってパスを繋ぐのかということを考えなければいけません。そして、その前提として、そういった選手を誰がどのように育成するかという大きな問題があります。

サッカーという競技においても、監督招聘から始まり、選手育成、試合当日の戦略と選手個人のパフォーマンス、これらすべてが揃ってようやく1点が入るのです。フィールドに立って、ゴールめがけてただボールを蹴っているだけ。これが戦後の日本が地方に対して行ってきた政策の姿です。

地方における地域の衰退と荒廃をもたらした原因は、第一に国土計画の失敗と各種政策の誤謬」(本間義人『地域再生の条件』岩波新書、2007年/21ページ)と言っています。この国土計画というのは、全国総合開発計画のことで、1962年の第一次計画から始まって1998年の第五次計画まで行われました。簡単に言えば、経済優先の日本列島すべてを巻き込んだ開発計画です1960年代には環境破壊が問題となり、インフラ整備は進み、国民所得は上がり経済は発展したものの、地域は衰退することになります。

 学校統廃合、市町村大合併と愚策が続き、人口減が進む

その結果、「2005年の通常国会でその根拠法である国土総合開発法が改正され、廃止されることになりました。列島中に開発の爪あとを残してきたのに、その目的を達成できなかったのですから、遅きに失した廃止といっていいでしょう。列島中の自然と社会資源と人々の生活を改変し、地方に国へのぶら下がり体質と土木国家的体質を植えつけてしまったことでも、この国土計画の地方に対する罪状はかなり大きいといえます」 (本間義人 前掲書、24ページ)と指摘しています。

どういうことか。安穏と生活していた地域の中に、資本の論理が入ってきたのです。経済発展が国是とされるような状況の中で、都市化が起こります。多くの所得が得られる都市部の会社を目指して、人口移動が始まりました。大企業に入ることが目的となって、受験ブームが起こり、猫も杓子もとにかく大学を目指すようになります。これらの要因が絡み合って地域から人を追い出すことになりました

そして、教育の効率化のために学校統廃合が行われ、小規模校は潰されていきます学校、特に公立小学校は地域の人たちが子供を中心に繋がることができるのですが、何の考えもなしに統廃合をしたため、地域崩壊に拍車がかかりました。

さらに、平成の市町村大合併で市町村数は半数近く減りました。これによって財政基盤が強化されたと評価する向きもありますが、10年しか経っておらず、評価するのはまだ早いと言えます。ただ、これによって地域の崩壊に拍車がかかったと思っています。とどめを刺される形になりました。この大合併は戦後の大愚策の一つだと思っています。地域が疲弊すれば、当然、人口減が進みます。今の少子化は、戦後の行き当たりばったり政策がもたらした人災です。

経済発展にだけ目を向けて、何も考えずにボールを適当に蹴っているので、周りの観客があきれていなくなり始めているのです

 大合併に反対して、日本一小さな自治体として存続している富山県舟橋村の例を紹介

「東京新聞のWeb記事」(2020.3.2配信)を紹介します。富山県舟橋村の村長の金森勝雄氏のインタビュー記事です。富山県舟橋村は面積3.47平方キロメートルで日本一小さな自治体です。市町村合併が進む中、舟橋村は合併しなかったので、2006年に日本一小さい自治体になったのです。昭和の初めから終戦後まで村長を務めた稲田健治氏は「舟橋村は日本のモナコになる」と宣言し、合併に反対したそうです。

合併を選ばなかった理由の一つは教育です。村には小学校、中学校が一校ずつあります。合併したら学校は統合され、なくなってしまうのではないかという強い危機感があったそうです

村内には富山地方鉄道の駅があります。稲田氏が村長だった1931年の開通です。彼は私有地を提供するなど誘致に尽力しました。平成に入ってからは上下水道やデイサービスセンター、特別養護老人ホームなどインフラ整備が進みました。ホールや入浴施設を備えた舟橋会館、駅舎と一体化し、蔵書九万冊の図書館も開館しました。施設も整い、合併するメリットがなかったとも言えます。

平成の初めには約1400人だった村の人口は今、3100人を超えました。1989年から始めた宅地造成の成果でもあります。富山駅から電車で約15分という利便性に加え、子育てや教育の環境が整っていることが人気を呼んで子育て世代が転入し、人口倍増につながりました。

舟橋は教育の村です。学校は特別支援学級にも対応でき、エアコンやエレベーターなどハード面も充実しています。隣接する小・中学校では一貫教育を行い、富山YMCA福祉会が運営する認定こども園では二歳児から英会話を学んでいるそうです。

今後の課題としては、まずは人口の維持です。人口構成の問題もあります。基幹産業である農業をいかに進化させていくかも課題です。情報技術(IT)を活用し、農業を近代化させる必要があります。行政と村民が一体となり、住んでよかったと思ってもらえる村づくりに努めていきますと、現在の金森勝雄村長は語っておられます。

いかがでしょうか。一つの理念というか、哲学があると思いませんか。行政の言うことを聞いて、学校統廃合をしていたとしたならば、人口を維持できないと思います。子供と高齢者にとって住みよい街づくり、さらには農業を基幹産業と位置づけています。コンセプトがしっかりしているので、周りから人が移り住むような村になったのだと思います。規模の大小は関係がないことをご理解下さい。経済発展と人口増は、面積規模の大小と無関係なのは、世界を見れば分かることです。

 大局観に立って考えることが苦手な日本人――お雇い外国人の採用を勧める

ただ、このように大局に立って行政を考えることが日本人は苦手だと思いますどうしても近視眼的にしか見ることができないのが日本人の弱点、言ってみれば、これが農耕民族の欠点ではないかと思っています。農耕民族は、何千年と自分の周りの土地だけを見つめて生活をしてきました。そういったものが、DNAの中に刻み込まれているのではないかと思います。それに対して、狩猟民族は広大な大地を生活の場として暮らしてきました。大局的、俯瞰的に物事を考えることができます。例えば、中国やアメリカの戦略は、かなり大局的に物事を見定めています。

実は、大局的見地から様々な意見を発信する役割が日本学術会議にはあるのですが、提言の内容を見ると迷走しています。独立法人として出直せという意見が出るのも、もっともだと思っています。任命拒否を問題視するならば、中身で勝負してみたらと思っています。

戦前の日本において、先人たちは自分たちの欠点がよく分かっていたのではないかと思います幕末から明治にかけて、お雇い外国人を意識的に採用しています。その中にはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)のように日本文化に惹かれ日本人妻を娶って日本で生涯を終えた人もいました。フェノロサは教科書にも出てくる有名人です。ホーレス・ウィルソンは英語教師として招かれたのですが、日本人生徒たちに野球というものを教え、日本に野球を伝えた人として有名です。

政府顧問、法律顧問、技師として多くの外国人を雇い入れたのですが、彼らの慧眼(けいがん)を生かそうとしていたのではないかと思っています。今の憲法もアメリカ人が作ったものです。改正論議がまとまらないようなので、専門家をアメリカから招へいしたらとどうかと思っています。

読んでいただき、ありがとうございました。

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