(産経ニュース)
日本の人口減少が始まって10年経つ。そのような事態を見越して、2003年には「少子化社会対策基本法」(以下「対策法」とする)を制定した。ところが、歯止めがかかるどころか、少子化のペースがここに来て加速している始末である。過疎も全国的に広がりつつある。
(地域百貨)
歴史的に見ても、人口減は国家滅亡の始まりとなる。早急な対策が必要であるが、国もマスコミも上辺の論評はしているが、現場に入ってのデータ分析をしていない。例えば、「生まれる子どもの数が減る大きな要因は、出産適齢期に当たる女性の人口が減っていること」(『日本経済新聞』2019.11.27日付)。この程度の分析なら高校生でもできるし、これでは今後の対策の方向性が見えてこない。
(nippon.com)
厚生労働省が2019年11月26日に発表した人口動態統計によると、1~9月に生まれた子供の数は67万3800人で、前年同期と比較して5.6%の減であった。年間の出生数が5%を超える減少は1989年以来とのこと。このペースでいくと今年の出生数は87~88万人位になり、10年前に比べて20万人ほど少なく、その数字は1889年の統計開始以来、最小とのことである。
なぜ、このようなことが起こるのか。
この世界は因果関係で成り立っている。ある現象が起こる時、必ずそれを引き起こした原因があるはずである。その原因が絡み合っていることがあったとしても、それを分析し、その原因を除去する作業をすれば、その問題は解決に向かうはずである。解決の兆しが見えないのは、分析が甘いか、施策がピント外れだからである。
「対策法」の第2章に「基本的施策」を定めている。雇用環境整備(10条)、保育サービスの充実(11条)、地域社会における子育て支援体制(12条)、母子保健医療体制(13条)、ゆとり教育推進(14条)、生活環境整備(15条)、経済的負担の軽減(16条)などである。 社会環境を整備し、子育てに夢をもたせる教育と啓発を行えば、男女が自然に結婚をし、子供が誕生すると思っているフシがある。そこには、「結婚や出産は個人の決定に基づくもの」(前文)という認識があり、行政はあくまでも環境整備をするしかないということであろう。これは余談だが、笑ってしまうのは「ゆとり教育」である。こんなものは、関係ない。
(ITmedia)
閑話休題。人間が出会い結婚するまでは、二人を取り巻く地域環境と人間関係が重要で、家庭を持ち子育てするに於いては社会環境が重要となってくる。2つの要因が満たされて始めて恋愛、結婚、出産となる。「対策法」には、後者しか考えられていない。だから、真の対策にはなっていないということである。多分、この法律の条文は厚労省が中心となって起草したのだろうが、人口減対策は一つの省庁で対応できるような問題ではない。
(法務省)
日本人の結婚を歴史的に概観すると、地域や人間関係の中で出会いの場面が設定され、その中で結婚、出産、子育てという営みが繰り返されてきた。自由恋愛と言うが、犬や猫ではあるまいし、街角で出会ってお互い一目ぼれして、結婚、出産する訳ではない。まれにドラマ番組のようなカップルもいるかもしれないが、実際にはほんの一握りである。仮に自由恋愛が頻繁に起きているならば、首都東京の「特殊合計出生率」(以下「出生率」)は全国一のはずだが、2019年統計を見ると1.21で全国平均の1.43より低い。
特に日本人は農耕民族であり、狩猟民族ではない。地域に根付いて、生活をしようというベクトルがDNAの中に刻み込まれている。人口減少対策は、地域をいかに創生していくかという視点がなければ、上手くいかない。だから東京のように、人が集まっているが、地域としての機能が衰え、人間同士の繋がりが弱いところの出生率は低くなるのである。
人口増加の手がかりが沖縄にあると見ている。沖縄県の2016年の「出生率」は1.95人で、32年連続の全国1位だった。沖縄県と他県とを比較したり、沖縄県の様々な市の人口動態を解析すれば、人口減少のメカニズムや増加のヒントを得ることができるかもしれないので、現地のデータを分析することにする。
(じゃらんnet)
沖縄県の出生率が高いのは、他の都道府県と比較して、親族や地域のコミュニティの結び付きが強く、相互扶助の精神(沖縄の言葉で「ゆいまーる」)が今でも残っているからと一般的に説明されている。ただ、それは東北地方といった人口減少地域にも言えることなので、それ以外の原因があるはずである。
物事の分析はミクロの視点も重要なので、沖縄県の中の主だった市(郡)の人口推移を見ることにする。表にしてみたが、沖縄市、那覇市をはじめとする多くの市は人口が増えている。しかし、中には減少し続けているところ(宮古島市、国頭郡)と一度減少してから増加に転じたところ(石垣市)があり、この三つの地域(市、郡)の状況分析をすれば、人口減のメカニズムが明らかになるのではないかと思う。
【主だった市の人口推移】
1975年 | 2015年 | 1975年 | 2015年 | ||
那覇市 | 295,006人 | 323,996人 | 宜野湾市 | 53,835人 | 96,243人 |
沖縄市 | 91,347人 | 139,279人 | 名護市 | 45,210人 | 61,674人 |
うるま市 | 85,608人 | 118,898人 | 豊見城市 | 24,983人 | 61,119人 |
浦添市 | 59,289人 | 114,232人 | 糸満市 | 39,363人 | 58,547人 |
(国勢調査の統計数字を基に作成 /以下同じ)
同じ沖縄県の中で、現象し続ける地域と、途中から増加に転じた地域。そこを分析した結果、カギを握るのが学校統廃合ではないかという結論に達した。
学校、特に小学校は地域の人たちの心の拠り所でもあるし、子供を中心に親同士がつながることができる。卒業しても、子供たちがそこで友や先生と笑顔と涙で過ごした日々は、彼らの心の中に一つの財産として残っているからだ。
統廃合については学校教育法施行規則の「12-18」基準によって判定されることになる。そもそも、この基準は1956年にマンモス校を防ぐために作った基準であるが、これが統廃合の法的根拠とされている。つまり、小、中学校とも12から18学級数を標準と考え、それに満たない場合は統廃合の対象となる。
ただ、沖縄県の場合は、他県と比べて島の数が多く、有人島だけでも本島を入れて47ある。そのため、「12-18」基準をそのまま機械的に当てはめることはできないという事情と、学校に対する住民の思いや愛着が反対運動や署名運動という形であらわれた。あと「反中央」という政治的雰囲気もあったのだろう。そういう中で、幸いなことに全体的に統廃合は進まず、1~5学級という過小規模の学校も多く残っている。
戦後から現在まで廃校になった小学校の数は沖縄県全体で43校であるが、その中で群を抜いて多いのが国頭郡の14校である。国頭郡は1970年代以降の人口減少に合わせて統廃合を進めた。国頭郡の人口の推移を調べてみた。この50年余で半減している。統廃合は2010年代に4校行っている。人口が減るので統廃合をし、さらにそれが人口減を呼び、また統廃合をし、さらにそれがまた次の人口減に繋がるというように、負のスパイラルに入ってしまっている
【国頭郡の人口推移】
1960年 | 10,653人 | 1975年 | 6,568人 |
1965年 | 9,192人 | 2000年 | 5,825人 |
1970年 | 7,324人 | 2015年 | 4,908人 |
国頭郡は県庁所在市の那覇市から遠く離れているため、社会的流出があったのだろうという反論が聞こえてきそうであるが、そうすると石垣市の人口推移について説明がつかないことになる。
石垣市でも学校統廃合が話題となり、2005年に教育委員会が「学校適正化計画」という名の統廃合計画を策定する。その時点で、10年前つまり1995年と比べても生徒数が小学校で23%減、中学校で32%減という状況、そして今後も更なる減少が予測される中での計画発表であった。ただ、石垣市は他の地方公共団体と違い、教育委員会が地域住民との意見交換会だけではなく、それが一・二巡した後に保護者と教職員を対象にした意見交換会も実施している。これだけ丁寧に話し合いを重ねた地方公共団体は、多分他にないのではないだろうか。
その当時、行政側からそういった親や住民の動向を見つめていた方の自主レポート(桃原直「石垣市の学校適正化計画(統廃合)を考える」)がネットで公開されている。桃原氏の肩書は石垣市職員労働組合となっており、親や地域住民、教員と現場で直接接する中で感じられたことがレポートに反映されている。統廃合の見直しを求める署名が、地域公民館やPTAから届けられたということもあったようだ。そういう中で、「『学校はこどもの教育のためだけにあるのではない』と言い切ってしまう住民との話し合いは容易ではない」といった本音も垣間見える。
現在、石垣市には全校の学級数5以下の過小規模の小学校が10校あり、全体の50%を占めている。中学校は6校で全体の66%である。小学生の人数は3438人(2005年/3413人)、中学生が1557人(2005年/1831人)である。10数年前に更なる生徒減と予測したが、小学生の人数に限れば微増しており、減ってはいない。
【石垣市の人口推移】
1960年 | 25,943人 | 1975年 | 34,657人 |
1965年 | 41,315人 | 2000年 | 43,302人 |
1970年 | 36,554人 | 2015年 | 47,564人 |
つまり、人口問題を考える上で、地域の中の小学校の存在がとりわけ重要であるが、地域によっては統廃合のため地域が崩壊してしまい、人口減を招いているところがある。北海道、秋田県、岩手県といった辺りは、それに該当する。例えば北海道は1955年と2010年を比較すると小学校も中学校も半減している。生徒数もそれに比例して半減している。
文科省は統廃合によって学区域が無くなる訳ではなく、広がるだけと思っているフシがあるが、人の心はそんなに単純なものではない。卒業生や地域の人達の心の拠り所である母校の小学校がなくなれば、人の気持ちも地域から離れてしまう。
平成22年から27年の人口減少率日本一の県は秋田県で、3番目に多いのが青森県であるが、戦後70年間で両県合わせて実に929校の小学校を廃校にしている。要するに、929の地域がなくなり、その数だけ人の心がその地域から離れたということになる。
統廃合の方針は現在も掲げられたままであるが、後世において戦後の愚策として評されることになるだろうと思っている。
統廃合以外に人口減を生み出しているものとして、市町村合併がある。行政側の効率化という理由だけで合併をしたりすれば、地域にひずみが生じる。それについては、どこかの機会で発表したいと思っている。
長くなってしまいました。ここまで読んで頂き有難うございました。