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教科書に書かれている嘘シリーズ(4)――聖徳太子と十七条憲法

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聖徳太子は、「明確な国家意識をもって」(渡部昇一 『日本の歴史 ①古代篇』(WAC株式会社/2011年))、中国との対等外交を開こうとした人物である。

そんなこともあり、大陸寄りの史観をもつ人から毛嫌いをされている。
そして、教科書から消し去ろうという動きがあるし、そういった類の本も出版されている。

中学『歴史』(東京書籍)は「聖徳太子(厩戸皇子)」という表記の仕方をしているが、高校『日本史』(山川出版社)は「厩戸皇子(聖徳太子)」という書き方である。(他の出版社が発行する中学の『歴史』教科書を調べたいのだが、実は中学の教科書については、現場の教員でも手に入らないくらい「流通規制」がなされている。日本の教育現場では、こういう教科書で教えています、ということで文科省が中心になって広く国民に問いかけるべきだと思うが、この辺りは、まるで共産主義国のようである。こういう閉鎖的な体質が「ゆとり教育」の失敗、そして今回の「共通テスト」記述式導入にあたっての大失態を招いたと思っている)。

聖徳太子(574~622)について、中学『歴史』(東京書籍)の記述を紹介する。

「女性の推古天皇が摂政になり、蘇我馬子と協力しながら、中国や朝鮮に学んで、大王(天皇)を中心とする政治制度を整えようとしました」

上の表記で「中国や朝鮮に学んで」というあいまいな表記の仕方は、教科書の記述としてふさわしくない。

失敗から学ぶこともあるし、学ぶには教えてもらう、真似るという意味もあるからだ。

編集者は後者の意味で挿入していると思うが、そうすると「朝鮮」は当てはまらないだろう。

当時、朝鮮という国はない。

半島は日本の友好国であった百済が新羅や高句麗と対立するという事態となっていた。

この後、天武天皇(在位673~686)によって、日本独自の統治体制――「治(し)らす、領(うしは)く」体制、言い換えれば「権威と権力の分離体制」――が確立することになるが、聖徳太子の時代は、まさに黎明期にあたり、国内外の不安定要因がまだ多く存在していた。

十七条の憲法についての教科書の記述――「仏教や儒学の考え方を取り入れた十七条の憲法では、天皇の命令に従うべきことなど、役人の心構えを示しました」

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天皇と呼ばれていたかどうかについては争いがあるところであるし、権威も権力もまだきちんと確立していた訳ではない。

物部氏が蘇我氏に滅ぼされる(丁未(ていび)の乱/587年)事件があり、その蘇我氏が天皇家を脅かす位の勢いをもつようになり、後崇峻天皇暗殺事件(592年)も起きている。

そして、憲法のような法的文書は、重要な順番に並べるもの。

すなわち、太子の真意は1条に込められているので、教科書はそれを中心に解説、記述するべきであろう。

有名な「和」の後に、「上和(かみやわら)ぎ下睦(むつ)びて、事(こと)を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず」(第1条)とある。

大意は、上の者も下の者もお互い親睦の気持ちをもって論ずれば、自然にうまく事は収まる、である。

また、「共にこれ凡夫」「相共に賢愚なる」(第10条)というように、「共に」という言葉を使って、同じ共同体に生きる人間ということで民衆を捉えていることが分かる。

言葉を添えると、家族主義的な国家観がそこに見られる。

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教科書の記述は、第3条を念頭に置いた記述であろうが、解釈は「つまみ食い」では正確さを欠くことになる。総合して判断する必要があるが、役人に対して、天皇の命令だから単純に聞けという意味として書かれてはいない。誤解を生むような書き方がなされている

今日も読んでいただき有難うございました。

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