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鎮魂 半藤一利氏 / あらためて『昭和史』(1925-1945)を紐解く

  • 2021年1月13日
  • 2021年1月14日
  • 歴史
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「半藤一利さんが亡くなられましたね。ご冥福をお祈りしたいと思います」

女性

「おいくつだったのですか?」

「90歳ですね。自宅で亡くなられていますので、大往生だと思います」

女性

「奥様が夏目漱石の孫にあたる方だそうです」

「えっ、そうなんですか。随分詳しいですね」

女性

「今日のニュースで紹介されていましたので、それで知ったのです」

「先程、本棚から彼の『昭和史』1926-1945(平凡社、2004年)を引っ張りだしてきました」

女性

「随分、分厚い本ですね」

「そうですね、「あとがき」を含めると、509ページありますからね」

女性

「全部読んだんですか?」

「いえ、部分的に読んだだけで、まだ……」

女性

「ですけど、買うだけ偉いと思います。私はその厚さを見ただけで尻込みすると思いますから」

「だけど、これは半藤氏の講演記録なので、全部話し言葉で書いてあります」

女性

「じゃあ、論文調ではないということですね」

「彼の語り口は分かりやすいということで評判でしたし、実際に読みやすいですよ。ついでに言うと、この本で毎日出版文化賞特別賞を受賞していますので、折角ですから、これを貸してあげますので読んでみて下さい」

女性

「分かりました。少し、勉強させて下さい。ここからが本論です ↓」

 40年周期説――「半藤史観」

「半藤史観」と勝手にネーミングしてしまったのですが、彼はこう言っています――「1865年から国づくりをはじめて1905年に完成した、その国を40年後の1945年にまた滅ぼしてしまう。国をつくるのに40年、語呂あわせのようですが、そういう結果をうんだのです」

1865(慶応元)年というのはどういう年かというと、朝廷が鎖国から開国に180度方針変更をした年なのです。教科書等には節目として採用されていない年ですが、半藤氏はこの年を「近代日本のスタートと考えたほうがいい」(半藤一利『昭和史』平凡社、2004年/8ページ)と言います。そして1905年というのは、日露戦争が終わった年です。世界最強のバルチック艦隊との海戦勝利もあり、日本は難敵ロシアに何とか勝利をした年なのです。



この辺りについては百田尚樹氏が「日本の勝利は世界を驚倒させた37年前まで鎖国によって西洋文明から隔てられていた極東の小さな島国が、ナポレオンでさえ勝てなかったロシアに勝利したのだ。しかもコロンブスがアメリカ大陸を発見して以来、400年以上続いてきた、そして『劣等人種である有色人種は、優秀な白人に勝てない』という神話をも打ち砕いたのだ。日本の勝利が世界の植民地の人々に与えた驚きと喜びは計り知れない」(『日本国紀』幻冬舎、2018年/320-21ページ)と、躍動感あふれる記述をしています。

そして、その40年後が敗戦です。

明治維新このかた日露戦争まで40年かかって築いてきた大日本帝国を、日露戦争後の40年で滅ぼしてしまう、満州国はあっという間にソ連軍に侵略され、のち元の中国領土となるかたちで戦争が終わるという、昭和史とは、なんと無残にして徒労な時代であったかということになるわけです」(半藤一利 前掲書、496ページ)。

 コロナ禍で多くのものがリセットされた

彼の『昭和史』(1926-1945)は終戦で終わっています。彼は『日本のいちばん長い日』という本を刊行していることでも分かるように、戦争への思いが強かったのだと思います。

1945年から40年後は1985(昭和60)年です。この40年は、まさに波乱万丈の時代だったと思います。戦後の焼け野原からの復興を成し遂げ、世界第二位の経済大国に躍り出ます。これも、昭和の時代に起きたことですが、『昭和史』の中には一言も触れていません。彼の著書を見れば、半藤氏にとっての昭和史の中心テーマは戦争なのです。戦争を離れての「昭和史」はあり得なかったということだと思います。

実際に、敗戦の1945年に40年を足すと1985年になります。高度経済成長が終わり、バブル経済のころです。その間については、彼にとって何ら関心をもたない時代たったのでしょう。そして、そこから40年を足すと2025年になります。この間に現在があり、平成の時代がすっぽり収まってしまっています。いわゆる、停滞の時代です。これが現在も続いている格好になっています

あと、4年あります。この間に総合戦略を練って、立て直しを図るべし、そのための合図としてコロナがばら撒かれたのかもしれません。何しろ、コロナで国際関係の状況がかなりの部分リセットされてしまいました。大きなところでは米中関係、大統領選挙もありましたし、日本も安倍から菅に変わりました。

 

 半藤氏が遺した歴史の教訓

「あとがき」に半藤氏は5つのことを教訓として挙げています。今の状況に当てはまる、そのうちのいくつかを紹介します。

「何かことが起こった時に、対症療法的な、すぐに成果を求める短兵急な発想」

簡単に言えば、条件反射的短絡思考です。これは、今のコロナ対応や昨日のブログで紹介したICT教育への対応を見れば分かります。よく、外圧やカタカナ言葉に弱いと言う人がいますが、基本的に危機に直面した時に、慌ててしまうのだと思っています。

・「日本型のタコツボ社会における小集団主義の弊害」

一緒にタコツボに入っている仲間の意見だけを聞く、仲間しか見ていない。それ以外の声や意見は聞こうとしない。独特の嗅覚で仲間を嗅ぎ分け、仲間同士かばい合おうとします。

・「抽象的な観念論を非常に好み、具体的な理性的な方法論をまったく検討しようとしない」

何か看板を掲げると、自然に現実が動いていくと思っているフシがあります。そのため、スローガンを掲げるのが好きです。ただ、実際にはそこからすべてが始まるはずなのに、スローガンを決めた途端に安心してしまう変なクセがあります

これらの根底には、日本人が農耕民族であるために、そのDNAがなせる業ではないかと思っています。農耕民族はどうしても定点ですべてを判断しようとします。それに対して、狩猟民族は行動的に動き回るのが得意ですし、俯瞰的に物事を見るのが得意です。

工業社会というのは、俯瞰的な能力はさほど必要ありませんでした。むしろ目の前のモノに集中して、手先の器用さを生かして製品を造れば、それで良かったのです。

ところが、これからの時代はデータの時代であり経済のソフト化はさらに進展します。日本人が弱い分野ではないかと思っています。ただ、弱点を補ってくれる仲間の国と上手く連携をとっていけば良いと思いますし、そういったことを考える時期でしょう。

友達を選べと言われます。世界はまだ混沌としています。自分にとって有益な国とともに手を携えて歩む必要があります。

読んでいただき、ありがとうございました。

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