「あなたは『完全学校5日制』世代ですか?」
「いや、違うんです。隔週5日制でした。残念ながら。」
「何、その残念ながらというのは?」
「文科省は2002年度から、高校については2003年度から『完全学校5日制』を始めるのですが、私が高校を卒業した翌年度からの実施だったのです。弟や妹たちは完全5日制世代だったので、何か悲しかった記憶があります」
「悲しいというより、羨ましいという感覚が強かったんじゃあないですか?」
「そうかもしれません。土曜日に私が大学に行く時に、彼らはまだ寝ていましたからね」
「成る程、そういった思い出があるのですね」
「どうして私だけと思いながら学校に行ったことを覚えています」
「だけど、弟や妹さんから見れば、大学で勉強できていいなあと思っていたかもしれませんよ」
「それはありません。彼らは、心の中で舌を出していました。ここからが本論です ↓」
「ゆとり教育」――時代に逆行した文部省(文科省)
2002年から文科省はゆとり教育と銘打って、授業内容3割、授業時間2割という大幅な削減を行います。これがいわゆる教育の2002年問題です(高校は2003年から)。学校完全5日制が始まることになります(それまでは、隔週5日制)。
ゆとり教育という言葉と共に、当時そのことが大きく報道されたので、その年に急に授業時間などの削減が行われたという認識をもっている人が多いのですが、そうではなく1977年、1989年の指導要領の改訂に伴って授業時間の削減が行われていたのです。下の表を見ていただきたいのですが、1971年と2002年を比較すると1000時間も減らしています。「ゆとり」という名の下に。
<小学校の主要4教科/授業時数の推移>
1971年 | 3941時間 |
1980年 | 3659時間 |
1992年 | 3452時間 |
2002年 | 2941時間 |
文明国家が進展すれば、それに対応するために、多くの高度な知的能力をもった人材を教育によって輩出する必要があります。産業分野や学問分野も多岐にわたるようになるため、知識量が絶対的に増えます。そのため、どうしても授業内容が多くなり、それに合わせて授業時間も増えます。これがモノの道理ですが、日本の文部省は真逆の対応をしたのです。
(「数学ベル」)
「ゆとり」教育が日本に於いて約40年続く
文科省のゆとり教育路線が出発したのは、一体何時なのかということで調べてみると1976年の教育課程審議会の答申にすでに「ゆとり」の言葉が見られます。その「ねらい」の中で「ゆとりのあるしかも充実した学校生活が送れるようにすること」という一文と「基礎的・基本的な内容の重視」がセットで提示されています。この答申を受けて、翌年の学習指導要領では小学校の授業時数が7%、中学校は11%削減され、その年を起点に年々削減されていくことになります。
そして、そういった措置に呼応するかたちで「新しい学力観」なるものが1990年代より登場します。知識偏重教育は時代遅れということが言われ始めます。これからは「関心・意欲・態度」が大事だと言われ始め、そういったことを重視する授業が求められ始めたのです。知識を獲得することを妙に避けようとしたのですが、何かを考えるためには知識がなければ無理です。「関心・意欲・態度」があったとしても、基礎的な筋力がなければスポーツの技術が向上しないのと同じです。そして、それらを個別に切り離して考えることではありません。有機的に結合して考える必要があるのです。
こういった屁理屈まみれの「ゆとり」教育が日本に於いて約40年位続いたことになります。仮に、世界が日本1国しかないということであるならば、その国にだけ通じる理屈で様々な政策が行われても良いのですが、世界はグローバルな競争社会です。世界で通じる人材を輩出することをメインに考えなければいけませんし、競争に負け続ければ、場合によっては国は無くなります。そういった点では、失敗だったでしょう。
こういった影響は、「ゆとり」の世代が社会の中堅となる21世紀の今頃から影響を受けることになります。もちろん、良い影響ではありません。
(「しらべぇ」)
アメリカやイギリスは競争原理を導入
それに対して、アメリカやイギリスは、勉強重視、試験重視、家庭学習重視で教育改革を実行します。
例えば、クリントン政権の時は、小学生にまで卒業試験を課すようになります。その結果、1998年のアチーブメント・テスト(SAT/大学入試資格試験)の平均点が過去最高となるという成果を出します。
イギリスも1988年から教育改革法に基づいて、全国共通カリキュラムが導入され、それに基づく全国共通テスト(7、11、14歳の子供が対象)が行われるようになります。そういった努力もあり、急速に学力が向上したとの報告が出ています。
2つの国に共通する点は、競争原理の導入ということです。日本は、競争原理を否定して、「ゆとり」路線を構築します。どちらが正しかったのか、その答えは、それらの国の労働生産性を比較すれば分かります。だから、答えはすでに出ています。そもそも「ゆとり」という曖昧でどのようにでも解釈できるような主観的な言葉を教育政策で使うこと自体が非常識です。
(「ニッポンドットコム」/日本の労働生産性はG7で最下位)
文科省はここに来て、密かに「ゆとり」の旗を降ろしましたが、教育行政が中央集権的に行われている欠点が出てしまった事例だと言えるでしょう。
(「honkawa2 sakura ne.jp」)
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