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「不登校」は日本だけの言葉 ―― 原因は家庭と地域の教育力の低下にあり / 場当たり的な学校統廃合も原因の一つ

「不登校は、日本だけの特有現象だということを知っていましたか?」

女性

「えっ、そうなんですか! 英語には、それに該当する言葉がないのですか?」

「イギリス英語にはTruant という言葉はあるのですが、さぼって行かないというニュアンスが強いのです。日本の不登校は、精神的なものを抱えているために学校に行けなくなったというケースが殆どです」

女性

「日本の不登校に該当する言葉がないのですね」

「アメリカではschool refusal と表現するそうですが、refusalは結構強い拒否の意志をニュアンス的に含みます。そもそも2語ですし、これでもぴったりと合った英訳ではないのです」

女性

「言葉がないということは、そのような現象がないということですか?」

「そうではないかということで調べてみました。アメリカでは親が学校に行かせない場合、相当厳しい罰則が科せられるようです。その代わり、親が教えても、家庭教師を頼んでも大丈夫ということです。フリースクールという手もあるそうです」

女性

「とにかく、子供がそうなったならば、家庭で対応しろと言うことですね」

「学校と同じカリキュラムを課せられますが、すべて対応できれば単位として認定されます」

女性

「日本には、そういうのはありませんよね」

「日本では単位認定は、かなり厳格に行いますからね」

女性

「とにかく、学校に通わせるしかないということですね。だけど、どうしても行かないという場合もありますよね。日本では、親に対する罰則はないのですか?」

「小中学校は義務教育なので、学校教育法に親の義務の定めが書いてあります。罰金も10万円以下と定めがありますが、これが適用されたことは殆どありません」

女性

「有名無実になっているということですね。ここからが本論です ↓」

 

 不登校の原因の1つ――家庭の教育力の低下にあり

 

抜本的な対策がなされないまま、年々不登校の子供の割合が増えるばかりです。下のグラフを見て下さい。

(「Yahoo ニュース」)

文科省はこういった問題に適切に対応できないだろうと思っています。何故なのか。原因が複雑に絡み合っているので、それを解きほぐすように政策を打ち出す必要があるのですが、現在の諮問行政(文科行政)では、現場から遊離してしまっているために適切な対応策を見出すことができないだろうと見ています。大学入試改革のプランでも分かるように、実現不可能な提案(記述式、民間の英語テストの導入)を出して結局破綻したのは、現場遊離に原因があるのです。

それはさておいて、日本特有と言われる不登校の原因は、一体どこに原因があるのでしょうか。その辺りについて、不登校支援センターの瀬尾大氏は「欧米に日本のような不登校の概念がないのは、子供たちの多くが学校に行く目的を少なからずしっかりと理解しており、『自分のために学校に行っている』という感覚を持っていることが挙げられます」(瀬尾大『不登校、その知られざる現実と正体』扶桑社、2013年)と指摘、さらに「欧米と日本では親子関係が大きく違うということ。それは個人主義の欧米と、集団主義の日本の違いということ」(同上)が根底にあるのではないかと述べています。

もともと日本は大家族制度でした。それが核家族化が急速に進み、それに比例して家庭の教育力が低下したということが原因の一つとして考えられています

 地域の教育力の弱体化が進んでいる

家庭の核家族化が進行したとしても、地域が地域として有機的に機能していれば、地域の教育力を保つことができます。有機的に機能しているかどうかは、町内会という組織があるか、地域の文化的行事がどの程度の頻度で行われているか、それらの参加率などで推し量ることができます。そういったことが地域の中の人間関係の繋がりを密にするのですが、それらが子供たちの教育的な成長を陰で支えます

そのような地域のもっている有機的な機能は、地域の人たちの絶えざる努力によって維持され強化されるのですが、弱体化することもあります

地域が弱体化する原因として3つのことが考えられます。1つは、大規模な自然災害です。その地域に住めなくなってしまうようなことが起きた場合です。2つ目は、市町村合併やそれに伴う学区変更などです。地域の中のまとまりが、そのことによってぎくしゃくすることがあります。3つ目が、学校統廃合による学区変更です。

地域がまとまるためには「核」が必要です。かつての時代は、その「核」として神社が考えられたのですが、近現代以降は学校、特に小学校が地域の核の役割を果たしてきました。小学校に通う子供たちを中心にして、親の間でも人間的ネットワークが出来て、それが地域に広がります。毎年卒業生が巣立っていきますので、ネットワークが拡散し、強固になっていきます。

ところが、これが行政の都合による学校統廃合によって分断されることがあります。地域によっては「核」がなくなってしまいます。細胞も「核」を取られれば死に向かいますが、地域も同じです。子供の声が街から消え始めると、急速に衰退し始めます。駅に近いとか、遠いとかは関係なく、商店街がシャッター商店街になります。

(「バス好きしゅうの日常」)

  学校統廃合によって、地域が崩れ、子供の心も崩れていく

学校統廃合は、子供たちにとっても良い影響を及ぼしません。考えてみれば分かるのですが、それぞれ出来上がった2つの集団を混ぜ合わせれば、そこに対立と摩擦が生じます。余程の良き指導、何かのきっかけがあれば、まれに打ち解けることがあるかもしれませんが、まだ精神的に幼い子ども同士の集団が打ち解けて融和するとは考えにくいことです。様々な、トラブルを生む原因となっていきます。そういう「土壌」の中で、不登校やいじめが発生することになります。通学距離が長くなり、その長さが心の負担に追い打ちをかけることになります。

通学距離のことを言うと、各地の教育委員会は2kmまでを許容範囲としていますが、これは非常識な距離だと思っています。小学校1年生がランドセルを背負って毎日往復歩くことを考えると、可哀そうな距離です。バス停は大体400 mごとに設置しますので5駅分です。せいぜい、1.2 kmが限界だと思っています。実際に車で2km走って距離を確認した後、ご自身で歩いてみて下さい。

現在でも、行政の都合で何の考えもなく学校統廃合をしている例が散見されます佐賀県の伊万里市のホームページを見ると学校統廃合を実施するようです。校舎が古くなったためと書かれてありました。変な理屈です。私立学校は校舎が古くなったからといって、別の所に校舎を建てる訳にはいきません。工夫してその地に新しい校舎を建てているのです。なぜ、私立が出来て、公立が出来ないのか不思議です。要するに、何も考えていないのだと思っています。

(「夢ナビ」)

そして、根本の原因は教育費が切り詰められていることです。日本の国内総生産(GDP)に占める教育に関する公財政支出(2017年)は、初等教育から高等教育まででOECD平均は4.9%で、最も比率の高いノルウェーは6.7%に対して、日本は4.0%と極めて低いです。地方に回ってくる教育関係費が少ないので、校舎をまとめてしまおうという発想になるのです。教育にカネをかけず、子供や家庭に負担を強いている日本の教育行政の在り方に一番の問題があるのです教育は二の次、三の次と考えている国家は、やがて衰退することになります早く方向転換することです。

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