日本全国の小中学生の現在の不登校者数は、約14万人います。すさまじい数だと思います。ただ、それは文科省の言う30日以上登校していない児童・生徒の数なので、そこには保健室登校とか、遅刻・早退を繰り返すような「不登校予備軍」は含まれていません。「不登校予備軍」は私学にも結構な数の生徒いますので、それらを合わせると40万人近くになると思います。そのような実態を考えると、非常に深刻なことが進行しているのです。そこには金の卵が眠っているかもしれません。そして、手をかければ、確実に貴重な人財になるのです。
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HONDAの創業者の本田宗一郎氏も言っています。「人間というものは、面白いものであり、不思議なものであり、必要のない人間というのはいないのである」と。
ところで、不登校が問題になり始めたのが、1970年代です。本来ならば、その状況を集約して、その都度対応をしていれば良かったのですが、制度的な改革や設備を整える、人員を増やすなど対策を殆どすることなく済ませてきました。
不登校、つまり「学校に行きたくない」という気持ちを子供たちに持たせてしまうのは、公教育の敗北であり、公教育に対する沈黙の反抗だと思いますが、そういった捉え方がなかったし、現在もありません。教育に何らかのかたちで携わる者は、ガラスの心を持って欲しいと思っています。
小学校の高学年から、中学生の間は心も不安定になりがちです。いじめということも出てきます。それを踏まえて、時代にあったシステムを考えるのが、教育行政に携わる方々の使命だと思っています。当然、鈍感であってはいけないし、子供たちが起こした事件や流した涙から何をすべきかを常に考えて頂きたいと思っています。
不登校の問題が出始めた頃から、子供たちの多様な要求に応えてクラスを横断しての選択授業を採り入れたり、複数教員による授業の導入をしたり、といった何か工夫めいたことをしていればと思います。とにかく、一人の子供に対して、なるべく多くの教員の目が届くような工夫をすれば良かったと思います。クラス単位のオール一斉授業の時代ではないことは、子供たちの動きを見れば分かるはずなのに、それに気付かなかったのです。ただ、それは今からでも間に合います。
そのうち、増加する不登校の対策的な動きとして、市民の中からフリースクールの設立が80年代半ば頃より全国に広がっていきました。1992年には国も「不登校は誰にでも起こりうること」という認識を示し、フリースクールに通う日数も学校の出席日数として認められる事例も増えていきました。2015年に行われた文部科学省の調査によると、把握されているだけでも、北海道から沖縄まで全国474ヶ所が確認されていますが、数的に見て、不登校のほんの一部の児童・生徒しかフリースクールに通えていません。多くは、行き場所がないまま、無駄な時間を送っている場合が多いのではないかと思われます。ここに光を当てるのが政治であり、行政だと思っています。
松実(まつみ)高等学園というフリースクールが、埼玉県春日部市にありますが、その学園生活の様子をSNSで配信しています。初等部、中等部、高等部まであり、入学の時期は人それぞれ違います。「学校であり、家庭であり、学習塾であり、自立と共生の場」(松井石根理事長)がコンセプト、自己評価を学習評価に取り入れていたので、なるほどと思いました。高等部の校舎は元はパチンコ店であったとのことです。それを改装して使用されている。様々な工夫やアイデァが随所に感じられます。
私自身は被災地の放課後学校や高校生が地域の課題に取り組むプロジェクト事業などを企画運営している教育NPO法人カタリバの支援を微力ながらしていますが、フリースクールはあくまでもサポート的な役割に徹することにより、光り輝くことができるのではないかと思っています。
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