「『産経新聞と朝日新聞』という本が出版されました」
「面白い組み合わせですね」
「お互い政治的立場が違う新聞社です」
「2つを読み比べると、モノの見方、考え方の勉強になりますね」
「なるほど、そういう読み方があるかもしれません」
「肝心の著者は、どちらの立場ですか? 中立ですか?」
「著者は、産経新聞の元論説委員長の吉田信行氏ですので、当然ながら『産経』の立場から書いています」
「ただ、思うのですが、今、新聞が読まれなくなりましたよね。こういう本を出すことは自殺行為ではないかと思うのですが……」
「確かに、生徒に家で新聞取っているかと聞くと、殆ど取っていないですね。そういう現状への危機感が根底にあり、すべての新聞ということで十把一絡げにして欲しくないという思いがあるのでしょう」
「同じ新聞でも、違うぞということでしょうか。それは同時に、朝日は権威あるオピニオンリーダーではないということを言いたいのですかね」
「権威を守るためには、誰もが納得できるような論理を展開する必要があります。単に、反権力という立場では、これからは通用しないし、それでは文章は書けなくなると思っています」
「それは、冷戦構造が崩壊したからですか?」
「勿論、それもありますが、単純にそれだけではありません。冷戦時代というのは、白黒がはっきりしていて分かりやすい時代だったのですが、今のように変化が激しく、どこに焦点を当てるかが難しい時代になってきていますので、単純に平和、人権だけで論ずることが出来にくくなっています。本論で取り上げる、核廃絶の問題もそうです」
「その問題では、朝日と産経は真っ向から意見が対立しています。ここからが本論です ↓」
目次
『朝日』がオピニオンリーダーから転落した原因
『朝日新聞』はかつての日本のオピニオン紙の地位にあったと思いますが、反日の立場に立った誤報が相次ぎ、しかもその時々に発する政治的メッセージがぶれ始めたため、多くの読者が離れていったと思っています。
何故、ブレてしまうのか。純粋な主張ではなく、何か政治的効果ないしは反応を狙った言説をしようとするので、どうしても力みが入ってしまい、それが独善的な論理となり説得性を欠くということになるのです。最近の「社説」を例にとって分析的に紹介したいと思います。
「核兵器禁止条約」についての「朝日』の「社説」を検証する
2021年1月22日に『朝日』は「核兵器禁止条約」についての社説を掲載しています。核兵器が地球上から無くなれば良いと多くの人は思っています。世界の人たちの気持ちを一つにまとめて、国連の総会の中で条約というかたちでまとめたことに、まず大きな意義があります。
この条約の批准を世界で広げていくことが大事ですが、そのためには核保有国が真剣に対応しなければ殆ど絵にかいた餅になります。だから、核保有国の全指導者に対してのオピニオンとなるべきです。
ところが、何故か「朝日」の社説は途中から方向転換をして、日本政府批判をし始めます。批判をしても構わないのですが、それならば、日本政府が何故批准をしないのかという理由を簡単に紹介する必要があります。ところが、それについての言及は一切ありません。
唐突に「日本政府はかたくなな姿勢を考え直すべき」と書き、「容易ではないが、大国の戦略に受け身である限り、核抑止への依存は変えられない。戦争被爆国である日本は主体的な外交努力を強め、核禁条約への参画を果たさなければならない」と書きます。
「受け身」なのは憲法9条の絡みもあるのです。それについての言及は勿論ありません。「容易ではない」と認識しているのですが、どのように容易ではないと思っているのか、具体的に書く必要があります。
「被爆国」なので「核禁条約への参画」をしろというのは、屁理屈です。アメリカから離れて単独行動を取ったために再度被爆国になることもあり得るからです。しかも、日本の隣国の中国、ロシア、北朝鮮は核保有国です。韓国は反日の態度を鮮明にしています。周辺国がこういう状態なのに、とにかく「核禁条約への参画」をしろと言うのは無責任極まりない主張です。禁止条約の趣旨に賛同することと、批准とは意味が全く違います。仮に批准したとすれば、それは大砲を持った敵の前で丸腰で立ちはだかるようなものです。相手は喜ぶでしょう。
(提供「中日新聞」)
『朝日』の社説の後半の書き方は、まるでどこかの政党の機関紙と同じ手法
社説の最後は「若い力で政治を動かす」として、元日に長崎市の平和公園で核廃絶を訴えて座り込みをした60人のうちの一人の「高橋さん」という、何故か広島出身の慶応大の方を突然登場させ、「誰一人ヒバクシャにしない社会をつくりたい」というセリフを言わせます。
この手法は、共産党が「赤旗」でよく使うやり方です。ただ、機関紙であるならば、良いと思いますが、新聞は公器なのである程度の母集団を公的に代表した人間の言葉を載せるべきでしょう。3面記事ならともかく、「社説」に載せるためにはそれなりのルールがあるのではないかと思います。
この「高橋さん」という方は、「衆院選に向けて条約参加を争点に押し上げ、有権者の判断材料にしたい」そうですが、単純に国内選挙の論点にはならない問題です。
このように、一方的な主張を、ある特定の人間を連れてきて、あたかもそれが普遍的な意見であるかのように文章を作る。『朝日』も地に堕ちたものだなと思っています。
なりふり構わずに、何故このように日本の針路を誤らせたいのか、何故日本を貶めたいのでしょうか。疑問がつのるばかりです。
「朝日」の標的の「強い日本」では最早なくなった
それに対して、『産経新聞と朝日新聞』の著者の吉田氏は、朝日は強い日本を叩くのが使命であり、社是と考えているからだと言います。要するに、時代遅れの封建時代の階級国家観にまだ立ち止まっているということでしょう。
もし、そうならば、それはそれなりに『朝日』の言説は納得ができますが、日本の周辺国は「敵」だらけという状況下で日本叩きを行えば、当然その主張は、中国、北朝鮮、韓国、ロシアを利することになります。ちなみに、中国、北朝鮮は完全な独裁国家ですし、ロシアの最近のプーチン政権の野党指導者や市民に対する仕打ちを見ると、独裁国家と言われても仕方がないような状況です。そして、韓国は選挙によって民主政治が行われていますが、今の政権は限りなくその中国や北朝鮮にすり寄ろうとしています。
(「中央日報」)
日本は地政学的に非常に複雑なところに位置しています。単純な公式が使えないような場所に位置している国なのです。複雑な方程式を解くような態度で臨まないと、正着には達しません。日本がカリブ海の楽園の島であったり、アルプス山脈の中に位置して周辺国に守られるような位置であれば別ですが、大陸の国からすれば、太平洋に出ようとするところに、それを塞ぐように横たわっている邪魔な場所にある国なのです。
そして、現在の日本は客観的に判断して「強い国」では決してありません。GDPの数値、労働生産性の数値、世界のトップ企業の顔ぶれの中に日本企業は入っていません。世界大学ランキングもしかりです。特許数も減少傾向、科学技術関連の指標も低下傾向です。
様々なデータを見る限り、日本は「弱い国」に向かっています。であるならば、『朝日』の紙面の編集方針も変わらなければいけないのではないかと思います。そういう意味で、『朝日』にとって正念場の時代になったと言えるかもしれません。