「春の叙勲者が発表されましたね、その中に、元衆院議長の伊吹文明氏がいますが、彼が今の国会議員にということで「目先のことよりも長い目で、日本のことを考えて意見を言って欲しい」と言っています」
「いわゆる大所高所から見る大切さ、つまり大局観を持つことが大事とおっしゃっているのでしょうね。前回のブログはタイミングがテーマだったと思いますが、どういう関係になるのでしょうか」
「大局観が一番大事です。大局観がなければ、タイミングの取り方も分からないと思います」
「大局観が戦略、タイミングが戦術にあたるのでしょうか?」
「そういう理解で良いと思います。そして、戦術の間違いは戦略でカバー出来ますが、戦略の間違いは戦術でカバー出来ません」
「10年後、20年後を見据えた上での国家戦略を議員一人ひとりが持っている必要性があるということですね」
「主権者は国民なので、本来は国民一人ひとりが持つ必要があると思っています」
「それが理想だとは思いますけど、現状は伊吹氏の言葉を借りると目先のことだけに頭が向いてしまっているということでしょうか?」
「政界は財界を反映します。国会の議論もそうですが、発想自体が近視眼的です。常に、対症療法的な発想で乗り切ろうとしています。これは、与野党を問わず、すべての政党に言えることです」
「抽象論にならないために、具体的な事例を出しながら説明して頂けると助かります」
「そうですね。経済と政治に関することで、それぞれ1つずつ例を挙げてみましょうか。経済は円安問題です。このブログでこのままでは、すぐに130円に行ってしまうと言っていたのですが、本当にあっと言う間にそうなってしまいました。ただ、日銀が無為無策なので、下手をすると140円に行ってしまいますよ」
「本当ですか?」
「日本の産業構造は円高対応になっていますので、日銀が考えることは円高ベースを守るように動く、これを念頭に置く必要があります」
「今は、何を念頭に置きながら、低金利政策を維持しているのですか?」
「日銀の黒田総裁の頭の中には、デフレ脱却が完全に終わっていないので、低金利政策を続ける必要があるという思いがあるのでしょう。ただ、実際には輸入原材料費やエネルギー価格が上がっていて、それが政府の補助金や企業努力によって大きく表面化していないだけなので、実質的にインフレと考えて金利を上げる方向で動くべきなのです」
「日経は「円安阻止より金利抑制」(4/29日付)と報道しています」
「はっきり言って、逆です。円安阻止を第一命題にするべき時期です」
「ここがタイミング時ということですね。政治に関することは、本論でお願いします ↓」
大局観こそが、一番重要
スポーツや会社経営、戦争や国家戦略、さらには国家経営に至るまで、大局観が大事です。そのことは、今まで識者が口を酸っぱくして言い続けてきたことだと思います。大局観があってこそ、タイミングが良いか悪いかなどが分かります。
中国の春秋戦国時代に孫子によって書かれたとされる兵法の書があります。この書は実際の戦闘への備えを想定して書かれていますが、この世界は自然界、人間界は絶えず生存競争が行われていますので、そのエッセンスを我々の社会生活にあてはめて考えることもできます。実際に、この約2500年間、その書から社会を生き抜く上での知恵を得ようという目的で、例えばビジネス書、あるいは人生の指南書として読み替えたりして、多くの人に読み継がれてきました。
孫子が兵法のベースに置いたものは、大局観だと思います。彼が一番重要視したのは、「戦わずして勝つ」ということです。「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」(謀攻篇)という言葉が遺っています。「百回戦って百回勝利を得ることは最高に優れた者ではない。戦わずして敵の兵を屈服させることが最高に優れた者である」と言っています。
戦わないで勝つことは実際には難しいと思います。彼が本当に言いたいのは、実は戦いというのは、戦う前の布陣で殆ど全てが決着しているということです。布陣、つまり戦いをどのような性質のものと捉え、そのための組織をどう作り上げていくか、そのためには大局観が必要です。巨大ビンディングを作るイメージを持ってもらえれば良いと思いますが、設計図さえ出来てしまえば、半分以上完成したようなものです。
(「プランドゥ・アシスト」)
「絶対的に平和な時代」は理論的にあり得ない――常に戦時の心構えが必要
何の争いもない平和な時代は、言葉としては成り立ちますが、実際には、そういった時代は永久に来ません。それは何故か。自然界を見れば、それが分かります。弱肉強食を繰り広げつつ、生と死の輪廻転生が眼前に繰り広げられるのが現実の姿だからです。我々人間も自然界の一部なので、その中に宿命的に組み込まれています。
人間は他の動物とは質的に違うという意見を持っている方もいますが、人間が欲望を持っている限り争いは起き、それは絶えることはないでしょう。ただ、理性も持っていますので、必ず争いを止めさせようという力も働きます。2つの力が今後も入り混じり合いながら、世界の歴史は刻まれていくと思います。一方だけに偏って、恒久的な平和な時代が訪れるということはありません。
平和憲法を守って入れば平和は維持できる、という子供だましの空想的な言葉に付き合っている時代ではなったということです。国連の常任理事国が核をちらつかせながらウクライナに計画的侵攻をしたからです。2度の大戦で多くの犠牲者が出たことの反省の上に立って人類は国連という組織をつくりました。本来、世界平和実現のために奮闘しなければいけない国が、真逆の行為に出たのです。時代の流れが180度ひっくり返った瞬間でした。
(「モケイパドック」)
国家の基本的戦略を大局観に立って見直す必要あり
時代の流れが変われば、それに応じて国家の基本的戦略も大局観に立って見直す必要が出て来ます。「善く戦う者は、これを勢に求めて人に責(もと)めず」(勢篇)。戦い上手な者は、勢いによって勝利を得ようとし、個々の力に頼ろうとしない、と言っています。「勢い」というのは、時代の流れというような意味です。
ロシアや中国、北朝鮮といった独裁国家が隣国なので、アメリカとの同盟関係を強めるしか、日本の生き筋はありません。そして、アメリカにいつまでも頼らない自立した国家になるための国家戦略を打ち立てる必要があります。
岸田内閣は「新しい資本主義」とか言っていますが、経済というのは戦略的事項ではありません。これは戦略に付随して人間活動が起きることによって出てくる価値の創出を数字で表わしたものに過ぎません。だから、布陣を敷いて、その戦略が本当に正しかったかどうなのかの指標とはなり得ても、経済的パフォーマンスは戦略ではないのです。
「新しい資本主義」と言った時点で、大局観を見失っていると考えるべきでしょう。人材育成を考えなければ経済発展はあり得ません。それを戦略的に進めながら、エネルギー、産業政策を進めるのですが、民間企業の協力も当然必要ですし、それがなければ外資の誘致も出来ません。国内サプライチェーンの構築や地方創生の問題など、これらを総合した結果が「新しい資本主義」のかたちとなるのであって、最初から「新しい資本主義」の実像を求めるのは無茶です。
(「Yahoo!ニュース-Yahoo! JAPAN」)
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