(天災や疫病は天の意志の表れです)
「日本という国は、歴史のある国ですが、植民地になったことは一度もない国なのです。知っていましたか?」
「あっ、そうか、そう言われれば。ただ、敗戦の時の占領がありますよね」
「あれは植民地支配ではありませんが、あれが歴史上唯一の外国勢力による強権的支配でした」
「期間的には、短かったですよね」
「そうですね、5年ほどですからね」
「そういったことも含めて、大小様々な危機がありましたが、何とか今日まで日本という国が存続していることを、どう評価するかということですね」
「存続し続けるということは大変なことなのですが、そのこと自体の重大性が突き詰められていないと思います
「何となく、存続して当たり前、みたいな雰囲気がありますよね」
「国は永久に存在するみたいな幻想をもってしまって、緊急事態宣言が出たと言っても殆ど切迫感がありません」
「韓国と台湾はコロナウイルスに対して上手く対応したと思っていますが、国民の切迫感が背景にあったと思っています」
「その切迫感は、自国に対する切迫感だと思います」
「日本以上に自国に対して、切迫感という危機感をもっているということですか?」
「そうですね」
「日本は「歴史のある国」ということが、マイナスに作用しているような気がします」
「変な寄り合い所帯的な雰囲気がありますよね。国会を見ていれば分かりやすいと思いますが、何を言っても何をやっても大丈夫的な感じです」
「国民が選んでいますので、今の日本国民の状況の縮図が国会であり、内閣の態様なんでしょうね」
「自己中心主義と唯物論が渦巻き、共産主義思想に侵食されようとしています。コロナウイルス禍を天からの警告、一度立ち止まって考えろというシグナルと捉え、原点に戻る必要があると思います」
幕末の安政年間は、天災と疫病が連続した
日本は自然信仰(アニミズム)の国です。神社を見れば分かりますが、自然の木々に囲まれたところに社(やしろ)を建て、神をお祀りして、苦楽を共にするという考えです。西洋のように一段離れたところに神(god)がいるのではなく、我々の身近にいて常に見守っていて下さるというのが日本人の「カミ」に対するイメージです。
その「カミ」には、喜怒哀楽があり、日本という国が良からぬ方向に行きそうになった時、天変地異という手段を使って、我々に知らせようとします。先人は、そのことを直感的に知っていて、日本は神国であると思っていたのです。
神国と言うと、すぐに条件反射的に非科学的という言葉が返ってきそうですが、アインシュタインは「科学で解明できる現象は、砂浜の1粒の砂にも満たない」と言っています。さらに、自分の娘に宛てた手紙の中に、「科学がその正式な説明を発見していない、ある極めて強力な力がある」と言っています。
この「強力な力」をカミと考えれば、日本人の自然信仰の考えに合います。実際に、幕末期は「カミ」が動いています。
日米和親条約、日米修好通商条約、安政の5か国条約、安政の大獄、桜田門外の変で有名な安政年間というのは、わずか6年しかなかったのですが、安政東海地震、安政南海地震、安政江戸地震、安政八戸沖地震と大きな地震が4つ、安政3年の江戸台風は暴風と高波による死者が10万人、さらにインフルエンザ、コレラ、はしかの疫病が流行ったのです。4大地震による死者が2万5千人、3大疫病の死者が3万7千人、そこに台風の被害者を合わせますと16万人という大変な犠牲者の数になります。
まさに「カミ」が怒り狂って「何とかしろよ」と意思表示をしたと思われます。ちなみに、昨日のブログで紹介した吉田松陰は安政の大獄で命を奪われています。
台風、豪雨、コロナ禍は天の意志のあらわれ
「天は自ら助くる者を助く」(Heaven helps those who help themselves)という言葉があります。この言葉は、イギリスの作家サミュエル・スマイルズの『自序論(Self-Help)』の中の言葉で、幕末に中村正直がそれを翻訳して『西国立志編』の中で紹介したところから広まっています。日本人が抱いている「天(カミ)」のイメージに合ったのでしょう。時代を経て、語り継がれている言葉です。
GodではなくHeavenとなっているところが、ミソです。言わんとしていることは、「天(カミ)」はその意志を天変地異という形で示す(その方法でしか意志を表すことができない。それは多くの民にその意志を示す必要があるからです。この間の台風や豪雨災害には、天からのメッセージが込められています)。天の意志を読み解き、国のあるべき態度を改めれば、その国に振りかぶる不幸な出来事がなくなり、ひいてはそこに暮らしている国民一人ひとりに安穏な生活が戻ってくるだろうという意味です。
相撲は神事ですが、地中の荒ぶるカミが地上に出ないよう踏み固めるのが、相撲の四股(しこ)です。コロナウイルス禍により、場所が開催されない恐れも出てきました。となると、荒ぶるカミが地上に出てくる恐れがあります。
そうならないためにも、日本のアイデンティティを確立する必要があります。日本のアイデンティティとは何か。
皇室を中心に、国民が和の精神で手を取り合って古代の昔より歩んできたのが、日本のあるべき姿です。そのことを多くの人が忘れてしまっています。中には、西洋の階級国家観を日本に持ち込んで、その考え方をまき散らし、国内に対立の種を撒いている勢力がいます。そのような勢力の言説に乗れば、国内の治安は乱れ、天災と厄難は波状的にやってきます。
真の非常事態に対応できるためには、憲法を改正して、緊急事態条項を入れる必要があります。自衛隊を正式な組織として憲法に明記する必要があります。皇統を安定なものにする必要があります。共産主義国に対しては毅然とした対応をとり、内需を喚起して、科学立国、技術立国、教育立国を目指し、文化と伝統を生かした持続可能な国づくりを目指します。
日本と日本人は、立ち留まって考える時
アインシュタインの手紙の一節を先ほど紹介しました。彼は、自分の娘リーゼルに1400通もの手紙を送っています。自分の死後20年間は、その内容を公開するなと言われたそうです。彼女はその指示を添えて、ヘブライ大学に手紙を寄贈したそうです。改めて問題となっている手紙を紹介します。
現段階では、科学がその正式な説明を発見していない、
ある極めて強力な力がある。それは他のすべてを含み、かつ支配する力であり、
宇宙で作用しているどんな現象の背後にも存在し、
しかも私たちによってまだ特定されていない。
この宇宙的な力は「愛」だ。
アインシュタインが20年間公開するなと言ったのは、すぐに公開しても真意は分からないし、変な誤解を生むだけだと考えたのでしょう。
ところで実は、日本の『古事記』には、アインシュタインが考えた「強力な力」について説明している下りが冒頭部分にあるのです。
『古事記』については、様々な言われ方をしていますが、ポーランド語による全訳を完成・出版(1981)させたワルシャワ大学のコタンスキ名誉教授(1915-2005)は生前、『古事記』に書かれた大宇宙観、人生観を超えるものは、地球上にいまだにあらわれていない、と言っていました。
最初に現れるのが『造化三神』―—天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)と神産巣日神(カミムスヒノカミ)です。この宇宙世界の大元(おおもと)として立ち現れます。アメノミナカヌシノカミがアインシュタインが考えた「強力な力」にあたります。タカミムスヒノカミが陽(プラス)、カミムスヒノカミが陰(マイナス)を表します。
「タカミムスヒノカミ」と「カミムスヒノカミ」は1字しか違いません。「タ」があるかないかの違いです。つまりこれは、プラスエネルギーとマイナスエネルギーはほんのわずかの違いであることを言っています。
最近の研究成果によると、宇宙に普遍的に存在する素粒子ニュートリノと、その対になる反ニュートリノの性質がほんのわずかに違うことを9年間の実験データから確かめたとの論文を、国際研究チーム(代表・市川温子京都大准教授)が4月15日付の科学誌ネイチャー電子版で発表したとのことです(ニュートリノ反物質と性質違う可能性大『産経』2020.4.16日付)。「物質」と「反物質」は出会うと消えてしまいます。ほんのわずかに「物質」が多かったため、物質宇宙が出来上がったというのが、宇宙の成り立ちのメカニズムと言われています。そのことを『古事記』は予見するかのように、その冒頭部分に書いているのです。
そして、陽(プラス)と陰(マイナス)を結合させるためには、もう1つの力が必要です。+と-が出会えば必ず結合する訳ではありません。出会ってH2Oになる場合もあれば、HとOに分かれて気体として存在する場合もあります。男と女も同じです。出会って結ばれる場合もあれば、そうでないこともあります。すべて結ばれてしまうと、大変なことになります。
両者を結びつける力に神秘的なものを感じ、古代の人はそこに「カミ」を見て、「アメノミナカヌシノカミ」と名付けたのでしょう。アインシュタインが言うところの「強力な力」と同じだと思います。ちなみに、湯川秀樹門下生の岸根拓郎京都大学名誉教授は、「宇宙の意思」と名付けています。
「アメノミナカヌシノカミ」は、冒頭の部分で出てきた後は、出る場面がないために、どの解説本もほとんど気にも留めていませんが、この宇宙にくまなく影響力を及ぼすという極めて重要な役割を果たしているのです。言ってみれば、全宇宙にあまねく作用しているWi-Fiのようなものです。
読んで頂きありがとうございました