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ギフテッド教育(3) ―― 教員養成のあり方を根本的に立て直すべき 

「ギフテッド教育をどのように捉えて、どのようにシステム化するかという問題は現代において極めて重要な問題なので、今日もこの問題を深めたいと思います」

女性

「質問なんですが、前回のブログで「入り口のところで方向違いをしている」という発言があったと思います。あれは、どういう意味でしょうか?」

「言葉足らずで分かりにくかったかもしれません。「日経」の記事の最初の2、3行を読んで、これはダメだなと思ったのです」

女性

「記事の出だしは「特異な才能を持ち『ギフテッド』と呼ばれる生徒の支援に、文部科学省が乗り出す」です。もうこれで、ダメと思ったということですか?」

「文章として成り立っていることが、すべて現実世界で実現できる訳ではないということを最初に言っておきます。その上で、「特異な才能」を具体的に明らかにする必要があり、組織的にどのように発掘して、成長させるのかという見通しがある程度なければ、「支援」することはできません。そして、それが最も重要なのです」

女性

「その重要なことについての言及がなかったということですね」

「なかったというか、直感的にそこは何も考えていないなと思ったのです」

女性

「文科省不信のようなものが、あるのではないでしょうか?」

「そうかもしれませんが、組織の体質上無理だと思ったのです。そもそも、普通の子供たちの教育や教員養成ですらきちんと仕切ることが出来ていない組織が、さらにハードルが高いギフテッド教育を担えるはずがないと思ったのです」

女性

「成る程。支援の在り方も問題ですよね……」

「そうですね。後方支援もあれば、前面に入ってリーダーシップをとっての支援もありますからね。そして、その中間もあり得ます」

女性

「文科省はどの支援を考えているのでしょうか?」

「分かりません。というか、そこまで考えが回っていないのではないかと思っています」

女性

「支援の在り方としては、どういったものが理想だと考えていますか?」

「後方支援です。文科省が前面に出るとロクなことはないと思っています。私に言わせると、この組織は制度疲労を起こしています。敢えて言えば、後方支援に徹すべきでしよう。段取りを上手く行って、組織的な立ち上げを援助する。後は、資金援助がスムースに行くように財務省と話をつけるということです。財務省は文科省を「下」に見ていますので、ここにも難関が潜んでいると思っています」

女性

「ギフテッド教育が国家戦略的に必要であり、政府の後押しが必要ということですね」

「そうですね。文科省自体はそれほど発言権がある省庁ではありません。文科省だけ動いても、上手くいかないと思います」

女性

「ギフテッド教育に取り組む以前の問題がいろいろありそうですね。ここからが本論です↓ なお、表題写真は「子ども学び☆ラボ」です」

 教員養成を根本的に立て直すべき

ギフテッド教育を現行の学校教育の枠組みの中で賄おうとしているようですが、そのためには、教員養成を根本的に立て直すべきです。

とにかく、戦後の教員養成制度が破綻しかけています。人間を育てるのは人間しかいません。当たり前です。ただ、その当たり前のことが深く自覚されていないと思っています。つまり、人間を育てることを専ら職業として考えている人たちの知的レベルや教授レベル、さらには意欲が下がり続けているからです。これでは、良い人材は育ちません。改革をしなければいけないのですが、教育行政を担う文科省自体の問題もあり、複合的でありやっかいな問題になっています。

文科省は日本で最も古い歴史を刻んでいる省庁です。明治政府は国づくりは人づくりと考えて、憲法や内閣よりも先に文部省を作ったのです明治5(1872)年のことです。その意気込みを学んで欲しいと思っていますが、客観的に制度疲労を起こしています。組織は新陳代謝が上手くいかなければ、腐敗します。硬直した人事制度、トップの者が不正を働くような体質などが一つの指標です。

そして、今は何かと、教育が後回しになり、対症療法的な発想で対応がなされていますが、本来は国家戦略が最初にあり、その人づくりをどうするかという流れの中で教育政策が決められるものです。今は、子どものお守り的な発想で教育が捉えられていますが、これでは国は発展しません。現在、日本が失速しているのは、ここに大きな原因があるのです。

(「東洋経済オンライン」)

 「2人担任制」、「2人教科担当制」の導入の検討を

現場に入っている教員の目が曇っていれば、子供たちの持っている才能など分かるはずがありません。教科書に従って、その内容を教えて、それで終わりです。後は、テストの点をつけて成績を返して、さようならという感じでしょう。ギフテッド教育どころではありません。

どうすれば良いのか。2通り考えられます。現行の教員養成制度には手をつけられないというならば、「2人担任制」を導入することです中学校以上では、「2人教科担当制」を導入できるようにします。まだ現場には、教育技術が高い教員が残っています。その人とペアにすることによって、技術の受け継ぎを図ります。それと同時に、多面的な視点からクラスの生徒全体を観ることをするのです。

現場の教員は当然増やす必要があるのですが、財務省は必ず反対するでしょう。それを説得できるような心意気と雰囲気を政府の中でつくれるのかということが一番のポイントでしょう。

(「全国教育問題協議会」)

 「初段教員養成制度」の創設を

2つ目の案は、新たな教員養成制度を作るのです。戦前の師範制度が上手く機能したので、それをベースにして現代風にアレンジした制度をつくります。題して「初段教員養成制度」を作るのです。現状では全く意味をなしてないものの、一応、教員免許には1級と2級があります。それを踏まえて「初段」としたのです。

「初段教員養成制度」は5年間とし、すべて学費は無償とします無償にすることによって、他の大学に学費を理由にして進学を断念した者が希望するかもしれないからです。5年間としたのは、4年間の科目履修と1年間の現場での実習が入るからです原則的に他の学部とは別枠で養成します教員は献身的な気持ちがなければ、子どもの特異な能力を見定めることなどできないからです。

そして、更に自分をいかに乗り越える人間を多く育成するか、それを喜びと感じるような人間でなければ、実は子供の能力をきちんと見抜けません。中には、変に自分が教えている生徒に対抗意識をもつ人がいますが、それでは子どもは育ちません。ギフテッドと思われる生徒が突然目の前に現れた時、その能力を見抜くことができる慧眼をもった教師がこれからの時代に求められているのです。

国はそういう教師をどうすれば育成できるか、真剣に考える時代なのです。文科省に「ギフテッド教育」という看板を掲げさせれば、そういう人材が育つ訳ではありません。

(「日本の教育制度と教育実践」)

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