「今回も人口減の問題について話をしたいと思います。なお、タイトル画像は「OK小論文朝田隆」から拝借したものです」
「昨日の話で印象的なのは、連立方程式を解く要領で、この問題にあたらなければいけないというような話でした」
「そうですね。構造的な問題は、単発に何か予算を組むとか、人を派遣すれば解決する訳ではありません。軽いケガであれば一人看護師が行けば大丈夫ですが、多重事故で多くのけが人が出ている状況であれば、救急隊や警察隊を派遣します。同じ理屈です」
「昨日の話ですと、別のところでバットを振っていると言っていましたよね。具体的には、どういうことでしょうか」
「総務省が行っている「地域おこし協力隊」を思い浮かべて言った言葉です。多重事故にも関わらず、看護師を一人単独で派遣するようなものです」
「いつだったか、NHKの番組で取り上げていましたよね。総務省から派遣されている方なのですね」
「派遣というか、支援が必要な地域に移住して、地場産業への従事や地元で起業をしたりして文字通り地域おこしを行う使命を帯びているのです。隊員1人当たり、年間470万円を上限として財政支援も行われています」
「そういった人たちが何人くらい全国で活動しているのですか?」
「昨年度は約5500人だそうです。令和6年には8000人に増やすという計画だそうです。ただ、これは無駄な努力で終わるでしょう」
「やはり、救急隊や警察隊を派遣する必要があるということですか? つまり、派遣する人数を増やした方が良いでしょうか?」
「そうではなく、事故の根本原因を無くすことが必要です。見通しの良い広い直線道路にして、横断歩道も設置するのです。自然に車や人が安全に流れるような環境を作ることを考えるべきです。それを考えずに、交通整理の人員とか、救援の人の派遣にしか頭が回っていません」
「具体的な話は本文でお願いします ↓」
人口減の原因は複合的――単発的な政策による効果は期待薄
地域をどう見るかということですが、無機質なものとして見るのではなく、人と人を強力に繋ぐ有機的な空間にするには、どうすれば良いのかという視点で見る必要があります。そういう視点がないと、単に道路を整備して、商業施設を建てれば人が集まるだろう位の考えしか持ちません。災害復興で第一に考えなければいけないのは、地域のまとまりをいかに早く復興させるかです。そのためには文化の継承や教育の整備を考える必要があります。つまり、地域の人が継続して心を一つにできるようなものを作る努力をします。それなしで単にインフラ整備をすれば良いという発想の復興であれば、人はその地域を離れ始めます。
日本人は農耕民族のDNAを受け継いでいますので、土地に対しての思い入れが強い民族です。故郷の野山が原風景として脳裏に焼き付いているのは、そのDNAのなせる業ではないかと思っています。
余談ですが、2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏は長崎県出身ですが、6歳の時に親に連れられてイギリスに移り住んでいますので日本の記憶は幼稚園時代までしかないそうです。しかし、彼が『遠い山なみの光』の中で描いている日本の舞台は戦後まもない長崎です。簡単に紹介します――「わたしは夫と、市の中心部から市電ですこし行った、市の東部にあたる地区に住んでいた。家のそばに川があって、戦前にはその川岸ぞいに小さな村があったと聞いたことがある。だがそのうちに原爆が落ちて、あとは完全な焦土と化したのだった。……戦災にも役所のブルドーザーにも壊されなかった木造の家が、一軒だけ残っていた。その家はわが家の窓からも見えて、あのだだっぴろい空地の外れの、川岸といってもいい場所にポツンと建っていた。田舎でよく見かけるような造りで,瓦葺の屋根が地面すれすれのところまでかぶさっている。……」(11-12ページ/早川書房)。
「ウサギ追いし、かの山」という歌があるように、生活をして慣れ親しんだ土地への思いを日本人は誰もが強く持っているのではないかと思います。その気持ちを踏みにじるような行政が戦後続きました。環境破壊と市町村合併、さらには学校統廃合です。人口減・少子化の根本原因は、実はそこにあるのです。そして、それにプラスして副次的な要因としては、核家族化の進行、都市化現象、個人主義的考え方の蔓延、女性の社会進出を由とする世の中の流れなどです。これらが複合した形で人口減・少子化が起きていますので、単純に担当大臣を決めて、子育て関係の予算を増やす、地域おこし隊を派遣するなど、それぞれの省庁がバラバラで政策を施しても効果は殆ど限定的であり、期待はできません。
地域活性化の法則を無視すれば地域は疲弊する
地域を有機的にまとめるためには、地域の人たちが一体となれるような文化が必要です。当然、集まるための広場、施設も必要です。そして、地域の人たちを取りまとめる組織と中心的に働いてくれる人材が必要です。そういったものが揃うと、地域が活性化し始めます。地域が活性化し始めれば、今度はその地域で人間が再生産され、土地が人間関係の仲介をし始めます。そうなれば、地域は一つのまとまりをもって有機的な機能を持ち始めますので、人口も増え始め、好循環となります。
先人たちは、そういったイメージを持ちながら地域における人の繋がりのために、神社を建て、お祝い事や祭りを催すことを考え始めたのだと思います。日本各地で開催される様々なお祭りは、八百万の神への信仰もあったでしょうが、それと併せて地域の人たちの結束を固めるためのものとして考えられていたと思います。
(「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる)
明治以降になると近代教育制度が導入され、各地域に小学校が建てられました。小学校には地域の子供たちが通いますので、そこが徐々に地域の中心的な施設の役割を果たすようになっていきます。親であれば、自分の子供の教育については関心を持つものです。PTAという組織がつくられたこともあり、地域の親と子が学校を媒介にして人間関係を結ぶようになります。学校で行われる運動会や学芸会、入学式や卒業式が一つの地域行事のようになっていったのです。
学校で学んだ想い出は、学校を卒業してからも一つの原風景として心の中にしまい込まれます。故郷に帰れば、母校があり、母校の想い出が自分を時には励ましてくれることもあります。卒業してからは、OBとして学校と地域を支えていこうと考える人も中には出てきます。
ところが自治体によっては、そういった地域の人の思いやメカニズムに対する無知ゆえに、財政的な理由で大規模な市町村合併をして町名変更をしたり、地域の線引きを変えたり、さらには学校統廃合を行ったりしたところが結構多くあります。北海道、東北地方は本当に馬鹿みたいに学校統廃合を繰り返し行いました。地域の小学校を廃校にすれば、その地域には若い夫婦は住めなくなります。当たり前です。子供が歩いて通えるところにあった小学校が無くなってしまうからです。子供のために引っ越しをします。年寄りが残され、子供の声が聞こえなくなり、その地域は活気が無くなり始め、商店街がシャッター通りとなります。ますます、住民がその地域を離れていくことになります。そうなると、地価が下落し始め路線価が下がり、自治体の固定資産税の収入が減り始め、予算が減ります。教育予算も減るので、それらを補うために市町村合併や学校統廃合をまた行う、さらに住民が減るといった、まさに負のスパイラルが始まります。
(夕張市の廃墟商店街/「まじまじぱーてぃ」)
負のスパイラルのきっかけは市町村合併や学校統廃合
2015年の「産経」(4.17日付)の記事があります。北海道夕張市と奈良県の川上村を「消滅可能性自治体」として紹介している記事です。川上村は1983年に村内に6校あった小学校を2校にまとめたのですが、さらに児童数が減ったため2003年についに1校となってしまいました。よくあるパターンです。廃校は廃校を呼び、地域が疲弊していくというパターンです。夕張市も7校あった小学校を6校閉校し、市内には1校しか残っていません。
こうなってくると、若い夫婦の移住を余り期待できなくなりますし、企業誘致もできにくくなります。自治体の住民の平均年齢が上がり、収入は減り始め、福祉予算にお金がかかるようになります。予算をどう使うかしか考えていないような大局観のない自治体行政が行われると、このように地域が疲弊し始めます。
これとは対照的に、地域の小学校を何とか残そうと努力をした自治体もあります。沖縄県の各自治体です。那覇市、石垣市など各自治体は1900年代の終わり頃、人口が減り始めた時にも、学校統廃合を極力しないように努力したのです。そういった甲斐があって、現在は人口が増え始めています。お手本は沖縄県にあります。
人口減は重大な問題ですので、次回もこの話題でいきたいと思います。
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