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今回のウイルス騒ぎを機に、外(中国)に向いていた目を国内に向けよう

(この記事は2020/2/14に書きました)

昨日(2/13)の夜のニュースで知ったのですが、コロナウイルスでついに国内で死者が出てしまいましたね。「感染のフェーズ(段階)が変わった」と今日のニュースで言っていました。
恐れていたことが、これから連鎖的に起きる可能性があります。とにかく自然現象にしても、社会現象にしても、そこには何らかのメッセージが含まれていると思い、その謎解きをすることです
すべて偶然ということで片付けてはいけない、ということですね。
偶然と必然ということです。すべて偶然と考えると、生きていることも偶然、すべてが意味のないことになります。
分かりました。それでは問題です。コロナウイルスが中国で発生した意味は何でしょうか。
簡単に言えば、日本の政財界が中国に足を相当突っ込んでいるので、ストップしろの意味だと思っています。独裁者の国賓待遇での日本招聘(しょうへい)に、天も切れたのだと見ています
日中友好という人もいます。
日中平和友好条約を結んでいますので、それが大義名分になっていることは確かです。ただ、あれは政治的な思惑の中で交わされた条約です。そこを斟酌する必要があります。簡単に言えば、経済交流をする中で経済発展をし、こちらが胸襟を開いて付き合っていけば民主的な国家になるだろうという、楽観的な見方があったのです
経済発展は、しましたけどね……。
中国の経済力は今や日本の3倍ですその経済力と軍事力は比例しますその自信が政権を支え、一党独裁体制が更により強固になり、「一帯一路」を掲げ世界征服に乗り出しました。ところで、昨日のイラストを覚えていますか? (2/13ブログ参照)

病室の中に、病人の中国と見舞いの日本の2人だけいるというイラストね。
寄り添うということは、「呑み込んでいいよ」というメッセージを相手に送ることになります。実際に、尖閣に連日、公船が出没しています。
見舞客を呑み込んでしまうのは、ひどいですね。
それは、日本人の感覚です。彼らは、近くに来たということは、「呑み込みOK」という意味として捉えます。だから、遠くからアメリカが心配そうな顔をして覗いているのです。
見舞金として議員1人当たり5000円集めるそうです。
それは、何?
二階幹事長の発案で、自民党として中国政府に見舞金を渡すという計画だそうです。
これから日本の感染が拡大してくると思います。ある意味、日本は被害者です
。どうして、日本のある特定の政党の国会議員が見舞金を支払うのか、感覚が狂っているし、理解に苦しみます。そして、見舞金とか見舞いの品は、民間レベルで行うか、国(政府)対国(政府)で行うべきこと。議員が行うと、間違ったメッセージとして受け取る可能性があるので、行わない方が良いし、日本の選挙民の負託をうけている代議員であることを強く自覚して欲しいと思います。
間違ったメッセージ、というのは?
分かりやすく言えば、尻尾を振ってきた、と思われるということです。二階氏が音戸を取って行っているので、余計そういうふうに向こうは取るでしょう。とにかく、政治家が第一に考えることは日本の皇統、そして国土と国民、そして日本の文化、教育を守ることです。それを頑なに守り通せば良いのに、縁も所縁(ゆかり)もない考えを採り入れて混乱し、考えが定まらなくなり様々な厄災が起こっています。

グローバル化がこのまま進展すると、日本は米中の間にあって、自分自身を見失いどこかへ行ってしまうのではないか、と思われていたタイミングでの今回のウイルス騒ぎ。頭を冷やすために、天が地上に降らしたのかもしれません。

今回のウイルス騒ぎによって、世界レベルの交流が止まる動きが出てくるでしょう1990年代から続いたグローバル化の流れが止まり、世界は一挙にポピュリズム(自国中心主義)に向かって流れていく可能性があります

自分の国と、自分を見つめろと天は言っています。日本民族は農耕民族であるため、外圧に敏感な民族です。外からの影響を多分に受けやすいところがあります。新しいものに、すぐ飛びつく「癖」があります。今までのことを忘れなければ飛びついても良いのですが、飛んだついでに古き良きものを捨ててしまう。そして、後から後悔するというパターンを何回か繰り返しています。

戦時中は「鬼畜米英」だったのに、敗戦後は「ギブ・ミー・チョコレート」になり、今年の4月からは小学校の5年生以上に英語を正規の科目として導入するという。明治維新の文明開化で、和服、下駄、足袋、キセルを全部捨て去って、背広、革靴、靴下、紙巻タバコに帽子にステッキ姿に見事に変身した先人のDNAを受け継いでいることを、しみじみ感じます。

不易流行という言葉があります。松尾芭蕉の言葉です。自著の『去来抄』の中で「不易(ふえき)を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」と言っています。いろいろに解釈されていますが、とにかく何事も変わらぬ基本というものがあるので、それを忘れてはいけない。ただ、それだけでは発展がないので、基本を踏まえた新しきものを採り入れなさい、という教えだと解釈しています。

教育界も「ゆとり」、学校5日制、道徳の教科化、アアクティブ・ラーニング、教員免許講習制、そして最近の大学入試への記述式の導入など色々試みてきたようですが、基本を離れたものは失敗します。

テニス界もトップスピンという打ち方が入ってきたのが1980年頃です。それも含めて、肘の使い方や手首の使い方も含めて新しい打ち方が入ってきました。ただ、腰の構えや使い方は変わってはいません、つまり不易なのです。

以上を踏まえて、日本の対中国のあり方について考えてみます。1978年に日中平和友好条約が締結されますが、これは日本が当初予定していたシナリオとは違うものでした。アメリカが冷戦を優位に運ぶため、中国との和解に踏み切ります。それについて、日本への事前相談は全くなく、精神的ショック(ニクソンショック)を受けますが、気を取り直して田中角栄が中国に飛んで日中国交正常化を果たします。これがのちにパンダ外交と言われたものですが、それまでは「中共」と呼んで敵視していたのに、これらを境に急に日中友好となり、中華民国(台湾)を見捨てます。

日本企業は我先にと中国本土を目指すようになります。大学では、中国語を学ぶことが一種のブームになったこともありました。私もそんなことで第二外国語は中国語を履修しました。ここでも「ギブ・ミー・チョコレート」現象が起きたのです。

この時、多くの日本企業が中国本土に進出をしたことが、中国を経済的に強くすることになります。もちろん、これだけではありません。鄧小平という頭の柔軟な優れた指導者がいたのも大きかったと思いますが、1980年から2015年にかけて、中国のGDP規模は3,029億ドルから10兆9,828億ドル(36.3倍)へ、世界全体に占める中国のGDP(名目、ドル換算)のシェアは2.7%から15.0%に上昇します。そして、現在は米国に次ぐ世界第二位のGDP大国になり、一人当たりGDPも中所得国のレベルに達しています。そして、このまま成長すれば10年後にはアメリカを追い抜いて世界一の経済大国になるだろうと言われています

こういう未来予測を見て、どうするか、どう考えるかだと思います。ウイルス騒動は今回が2度目です。2度あることは3度あります。撤退するには、ちょうど良い時期でしょう。祖国は少子化で苦しんでいます。中国の労賃も高くなってきました。人手不足はAIを上手く使うことにより、カバーできるのではないでしょうか。

政府は「スーパーシティ構想」を閣議決定しました(2/4日)。まだ、国会を通過する見通しは立っていませんが、企業も参加しての街づくりは今後のテーマだと思います。企業城下町を作る気持ちで「トヨタ」はこの構想に前向きに取り組もうとしています

もともと、日本民族は狭いテリトリーの中で肩を寄せ合いながら地域ごとに文化を育ててきた民族です。日本人の1人ひとりが自分の持ち場で不易を忘れず、創造の悦びを味わいつつ、未来の日本を創ることを、今回の不幸な事件をきっかけに少しでも考えて頂ければ有難いと思います。

読んで頂きありがとうございました

 

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