ようこそ日本の危機へ!このブログでは主に最新のニュース、政治、教育問題を取り上げております。

共産主義という「疑似エサ」に踊る人々/ユダヤ人マルクスはユダヤ民族のために戦い、日本共産党は日本を潰すために戦う

「この前、2人で政党の綱領のことを話題にしましたよね」

女性

「珍しく、私が褒められたときですね」

「いつも褒めているんだけどね……。まあ、いいや。あれから日本共産党の綱領を改めて読みました」

女性

「この前の話は、冒頭部分で終わりましたものね」

「最初から、ダメだ、こりゃという感じだったからです。そこで、問題です。日本共産党が出自を隠そうとするのは何故ですか」

女性

「出自というのは、コミンテルンの日本支部ということですよね。何故でしょう。私なんかの感覚だと、それを言った方がカッコいいのにと思うのですが……」

「そういう感覚ね」

女性

「だってそうじゃあないですか。グローバリズムの先駆けですよ。自分の国のことだけでなく、世界的な視野に立って、さらに国際的な連帯を考えて作った、とアピール出来るチャンスじゃあないですか」

「あなたの言うことを聞いていると、本当にモノは言いようだと思います。ひたすら隠しているのは、国際組織がもうなくなったからです。本店がなくなったのに、どうして支店が営業しているのか、という話になるからです」

女性

「それでさかんに、自主、独立と言っているのですね」

「もともとコミンテルンというのは、ユダヤ国家を創るために組織されたものです。戦後すぐにイスラエル共和国がパレスチナの地に建国されましたので、その時点で目的は達せられたのです」

女性

「組織が存在する意味がないと…」

「本店も支店も含めて、おめでとう解散だと思います。どうしてもというならば、改めて全党員に現状をすべて話をして、体制を整えて再出発でしょう。その際には、戦前の変な階級史観に立った日本の歴史記述を放棄もしくは訂正して欲しいですね」

女性

「戦後から新しい時代が始まったという捉え方をしていますので、戦前のことを必要以上に書く必要はないと思います」



 マルクスは精緻な「疑似エサ」を作るために一生を捧げた

国があることが当たり前、というのが日本人の感覚かもしれませんユダヤの民たちは、今から2千数百年前に祖国を奪われたのです。自分たちが住んでいた土地は、他民族が占有してしまっているのです。再び国家を建設しようと考えた時、それは並大抵のことではないと誰もが思い、それは殆ど実現不可能なこと、だけど代を継いで悲願達成に向けて頑張ろうとしたのでしょう。果てしない夢に向かって。

日本は日本海に浮かぶ無人島の竹島ですら、どうやって奪い返せば良いのか手をこまねいています。ユダヤの民は、それよりはるかに複雑な方程式を解かなければいけなかったのです。

夢を実現するためには、民族の絆を絶やさないこと。そのためにユダヤ教を民族を繋ぎ止めるものとして守ったのだと思います。その立場に立たされた場合を、考えてみて欲しいと思います。民族の歴史を、親や親類縁者や同族から学ぶと思いますが、何を考えるでしょうか。

まず、どこかの国の権力を握ることを考えるでしょう。握りやすいところと、そうでない国があるはずなので、情報のネットワークを作ろうとするでしょう。権力を握るためには、理論と論理が必要です。コンピューターはプログラムで動きますが、人間のプログラムにあたるものが理論と論理だからです。これが精緻であればあるほど、洗脳された人間が勝手に仲間を増やすべく行動してくれます

人間のこの性質に注目したのがユダヤ人のマルクスです。人間がある一つの目的に向かって動き始める理論と論理、マルクス主義が誕生した瞬間です。インターネットがない時代なので、天才マルクスは、これを国際ネットワーク組織を使ってばら撒くことを考えたのです

マルクスの思いや行動は極めて純粋だと思います。彼の一生は極貧のまま終わります。あれだけの能力があれば、ヨーロッパのどこかの大学の研究者として悠々自適の生活が出き、家族ともども幸せな一生が送れたと思います。マルクスは6人の子供を授かりますが、極貧のため3人は乳幼児のうちに死んでいます。

そのマルクスを友人エンゲルスが経済的に支えます。エンゲルスはマルクスの思いや考えをすべて理解していたのでしょう。そうでなければ、赤の他人を経済的に支えようとはしないと思います。マルクスは図書館に通いつめて自著の完成にこだわる一方で国際労働者協会(インターナショナル)の活動に積極的に関わっています。両方とも大仕事です。普通はどちらか一つと考えるのですが、彼の悲願はユダヤ国家再興にあったため、同時並行的に行動します。『資本論』は完成半ばで終わってしまいますが、彼の行動は、ユダヤ民族のために自分の能力及び体力すべてを捧げた一生だったと思います

ただ、そこで撒いた種が、日本で発芽して変種が生まれています。そのため、モルデカイ・モーゼが『あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい』(沢口企画.2019年復刻版)を書いたのです

 ユダヤ人マルクスはユダヤ民族のために戦い、日本共産党は日本を潰すために戦っている

マルクスの悲願は、1947年のイスラエル共和国の建国により叶ったのです。それから約70年以上経っています。本家本元が墓の下から「もういいよ、共産主義、社会主義というのは疑似エサであり、誘引エサ」と言っています。そんなものを日本の国民の前にぶら下げて、日本共産党は一体何を日本でやろうとしているのですか。

日本共産党は、マルクス・レーニン主義を標榜しています。ユダヤ人の彼らは、ユダヤの民のために、その人生を捧げました。であれば、それを見習って日本民族の発展のために働いたらどうですかあなた方が行っている行為は、日本の文化、伝統、歴史を潰そうとしている行為です。日本は一つの王朝として見た場合、世界最古の王朝です。それを守ることが先人に対する一つの義務と考えますが、天皇制を無くそうと考えています。日本の歴史を真面目に学んで欲しいと思っています。

人間は神様ではありません。その人間たちがつくる国家は、その長い歴史の中で過ちを犯すこともあるでしょう。あって当たり前なのかもしれません。重要なことはそれを科学的に総括し、2度と過ちを犯さないように教訓として胸に刻むことです。そういうことを全く考えず、階級史観という歪んだ歴史の見方がさも正しいかのように教科書に書きこもうとしています。止めて欲しいと思っています。

 資本主義から社会主義は生まれない

マルクスが撒いた「疑似エサ」がまるで本物のように見えたのは、彼の学問内容が哲学、経済学、政治学と多分野に亘っていたということがあると思います。時代が進展すればするほど、専門は細分化する傾向を示します。それらの学問分野を俯瞰的に見つめて、正確に評価する人がいなかったということでしょう。ただ、私の学生時代の1970年代は、マルクスと言えば、殆ど「切り札」のような役割を果たしていたと思います。

当時、「盲従」という言葉が流行っていたと思いますが、多くのマルクス「盲従」集団が日教組や憲法学会、歴教協その他大衆団体にいたと思います。マルクスは法学を勉強していないし、その関係本も書いていないのに、社会主義法学といった新種(例えば、隅野隆徳「日本における社会主義憲法の研究」『憲法学説史』三省堂.1978年所収)まで生まれるようになっていました。

資本主義と社会主義をよく対比して説明しますが、そのこと自体間違っています。モノとサービスとカネと市場がある限り、資本主義は続きます。市場が健全であれば、そこで取引されるモノとサービスは数字で表され、それは波を打ちます波を打つということは、経済が「生きている」ということです。人間の脈拍、脳波は波を打ちます。海も湖も波を打ちます。それは、生きているからです。その波をすべて人工的に止めようとしたのが社会主義です。要するに、「死に体」を目指すのがマルクスの革命理論だったのです。

そして、実際にソ連は革命から74年後に経済的な行き詰まりから崩壊しました。北朝鮮やキューバなど社会主義経済を採り入れている国も、このままではやがて崩壊するでしょう。それはマルクスの狙い通りなのです(中国は鄧小平という頭の柔軟な指導者が、「改革・開放」というスローガンを掲げ社会主義から資本主義に大転換し、今日の経済発展につなげました)。

マルクスは史的唯物論を構築する上で、ヘーゲル哲学を使いました。ヘーゲル哲学は当時大変権威があったからです。弁証法というのは、正-反-合によって物事は発展するという法則です。ただ、全く性質の相反するものが「合」するはずがありません。陰と陽は「合」します。それは微妙に違っているからです。オスとメスは微妙に違っているので「合」となり、子供ができるのです。

弁証法というのは、弁論術からヒントを得たものです。ある人が意見を言う。それに対して反論する、そこから話し合いが始まり、新しい考えが生まれる、ということです。しかし、自然界を見れば分かりますが、全く相反するものが合体することはありません。飼っている猫と犬が交尾するのですか? そのように、いろいろ問題があると思います。

ただ、当時は弁証法という名前を使えば、忖度が働いたのです。当然、そういうことをマルクスは分かっていたでしょう。自然や社会に弁証法は貫かれているとして、この弁証法を当てはめると、資本家階級と労働者階級は対立、そして革命、つまり止揚(アウフヘーベン)が起き新しい社会が誕生すると言ったのです。資本主義社会の次には社会主義社会が到来するのは、歴史の必然であり、そこには社会の発展法則が貫かれていると説いたのです。それを多くの人々が信じたのです

この疑似エサにつられて、革命運動に身をささげる人が世界で数多くでてきました。日本では、世界革命を叫んでわざわざ飛行機を乗っ取って北朝鮮まで行ったグループがいたほどです(「よど号ハイジャック事件」)。マルクスは共産主義社会がどんな社会かについて、具体的に何も言っていません。そんなものは無いと心の中で思っているので、それを考えることはしなかったのです。

具体的に何も考えていないという点では、日本共産党も同じです。しきりに「生産手段の社会化」ということだけ言っています。最近は、国有化ということすらも言っていません。

マルクスと同じで、共産主義が疑似エサだと言うことがすでに分かっているのかもしれません。共産党の綱領学習会が開かれた時に、党員の方は講師の方に質問してみて下さい

読んで頂きありがとうございました



最新情報をチェックしよう!