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マルクスの行動分析を通して彼の真意を知る/戦後のユダヤ王国建国によりマルクス主義の大勝利となる

「言葉は嘘つき、という言い回しを知っていますか?」

女性

「えっ、初めて聞きました」

「私が作ったのです。これから世に広めようと思ってね」

女性

「えっ、そうなんですか。どうしてその言葉を広めようと思ったのですか?」

「最近の事件や政治情勢を見ていると、素直に信じない方が良いのではというケースが余りにも多いですよね。それで、注意喚起を促す意味でも、広めてみようかなと」

女性

「おっしゃりたいことは分かりますが、何となく寂しい時代になってしまったんですね」

「ただ、もう一つの意味があるんです」

女性

「言葉は嘘をつくけど、練習は嘘をつかない、ですか?」

「それは三高の小倉監督の言葉をつけただけじゃあないですか。練習ではなく行動ですね。行動は嘘をつけないので、その人の本音や気持ちはすべて行動を分析すれば分かるということです」

女性

「ウチの亭主は私に誕生日プレゼントをくれないので、私のことをどうでも良いと思っているということですね」

「単純に忘れていることがありますからね。ところで、昨日マルクスのことを話題にしました。彼が何に興味関心を持ったかをマルクスのノートを見て、『マルクスの抜粋ノートからマルクスを読む』(大谷・平子編/桜井書店)ということで克明に分析したものがあります」

女性

「何か気付いたことがありますか?」

「3つあります。1つは、ロシアについての土地制度、歴史、農業事情など、かなり関心をもっていたことが分かります。2つ目は、農業と有機化学、森林伐採と植生の変化と土地の荒廃など、人間と自然との関わりに晩年は関心をもっていたこと。3つ目は、ありとあらゆる学問分野に晩年に行けば行くほど手を広げていたことが分かります。経済学、歴史学を中心に、生理学、数学、有機化学、民族学、家族制度史、地質学、鉱物学、地球史、世界貿易史などです」

女性

「まさに貪(むさぼ)るように研究されていたのですね」

「当初はイギリスでの革命を考えていたようですが、晩年はロシアの『農耕共同体』に狙いを定めたフシがあります。そして、ありとあらゆる可能性を探ろうとしています」

女性

「当然、そのデータは国際ユダヤ協会に行きますよね」

「レーニンがそれを使ったかどうかは分かりません」



 文献研究ではなく、マルクスの行動を分析することにより彼の本音を探る

「言葉は嘘つき」と言ったように、文献研究から彼の真意は分かりません。彼の行動から真意を探り、そこから文献を逆読みするということが必要です。そうすることによって、今まで見えていなかったことが見えてくるからです

仮に彼の名前を隠して、「まっさら」な状態で経歴や研究歴だけを見てもらって、どういう人だと思いますかと聞いたとします。余り良い答えは返ってこないと思います。「頭は良さそうだけど、殆ど精神分裂症の人なんじゃあないの」、「一体何がやりたいのか分からない」という答えが予想されるところです。

「二兎追う者一兎も得ず」という諺がありますが、8兎も9兎も10兎も追いかけようとしているからです。ただ、それが若かりし頃であれば、いろいろな分野に関心をもち、その中から自分なりのテーマを絞っていけば良いと思いますが、逆に晩年になればなる程、その守備範囲を広げています。なぜ、そのような行動をしたのか。

例えば有機化学の研究が遅れているということは良質な肥料が作れない、ということは土地は疲弊し農業生産性が低い。農民の所得は低いはずなので、不満が鬱積しているはず。そういう国は革命の狙い目になります。また、晩年はジェンダーに注目します。どのような家族制度なのかを調べることは戦略上必要と考えたのでしょう。一夫多妻婚という民族もあります。当然、女性の不満が鬱積していると思われます。「男女平等」が革命スローガンとして使える可能性が出てきます。様々な分野に関心をもったのは、あらゆる角度から様々な国を分析し、その「ほころび」を見つけるためだったのです。純粋に学問的関心ゆえの行動ではないでしょう。

マルクスは、23歳の時に哲学の論文で博士号を取得しています。普通であれば、大学教授の道を歩むと思います。大学職探しが上手くいかなかったと言われていますが、そこから彼の行動範囲は学問分野も含めて広がっていくのです。それはユダヤ民族の一員として、ある一つの使命感に目覚めたゆえの行動変化であると考えれば、合点がいきます。

 ヘーゲル哲学から二元主義を学ぶ

マルクス(1818-83)のヘーゲル批判はつとに有名です。ヘーゲルは「弁証法」理論を持ち出して、家族(正)と市民社会(反)との間に諸矛盾が起こるが、それは止揚され、近代国家が成立をすることにより克服され解消されると考えたのです。マルクスはたとえ近代国家が成立したとしても、様々な矛盾はかたちを変えて受け継がれていくと考えました。ヘーゲルの観念的で現実離れした考えを批判したのです。ただ、やがてその批判の「視点」は、彼の共産主義理論の基本的な枠組みとなります。

共産主義思想というのは、ユートピア思想なので、マルクスの専売特許ではありません。逆に、若き頃は共産主義を大変嫌いました。真面目に哲学を勉強している立場の学徒の彼にしてみれば、おとぎ話に興味を割くこと自体が無益だと思ったことでしょう。
マルクスはドイツで『ライン新聞』の編集長を務めていますが、その頃に共産主義と対峙するという経験をしています。その辺りについて、佐々木隆治氏は「当時のドイツの共産主義思想はあまりに抽象的で非現実的なものに思われたのである。マルクスはもっと根本的な仕方で、それも抽象的にではなく、より現実的な社会関係に裏付けられた仕方で、共産主義思想の問題を扱うべきだと考えるようになっていた」(『カール・マルクス』ちくま新書.2016年/39ページ)のです。

多分、この時期に共産主義思想とヘーゲル弁証法を組み合わせるというアイディアが浮かんだのだと思います。つまり、学問的にはお話にならないような空想的な共産主義思想ですら、真剣に信じている者もいる。だから、こうして悩まされている自分がいる。「そうだ、そこに学術的な薫りがするヘーゲル弁証法をミックスするとどうなるだろうか。ことによると、多くの人を説得する理論が作れるのではないか」と思ったのでしょう。


 マルクス主義は、戦後のイスラエル共和国の建国による大勝利で終わる

「カール・マルクスの理論が現代社会の変革にとって最強の理論的武器であり続けているという事実」(佐々木隆治 前掲書 9ページ)をつくるために、共産主義者が日本の中で暗躍しています。もともとマルクス主義は、国家権力を破壊して社会を混乱させるためにはどうすれば良いのか、という問題意識から出発しています。破壊しようと考えている者にとってみれば、有難い「武器」でしょう。

マルクスは哲学の博士号をとっていますので、多分悩んだことでしょう。学問は法則性が求められます。人間が空想力を使って編み出した共産主義思想に、法則性などあるはずがありません。学問的に絶対に認められないのですが、祖国再建という大義のためにその一線を乗り越えます。弁証法とミックスした共産主義思想の誕生です

次に彼が考えたのは、この思想のターゲットとなるべき国を探し、その国のどのような人たちに向かってどのように広げるかです。彼が生きた時代のヨーロッパは産業資本主義の時代です。資本主義の初期段階にあたります。手工業から機械工業、いわゆる大量生産時代の幕開けの頃です。働き口を求めて農村から都市へ人口移動も起きました。この流れにマルクスは着目します。亡命に亡命を重ねて、イギリスに来たのは31歳の頃です。

賃金労働者という新しい職種の人たちにターゲットを絞ります。疎外、搾取、剰余価値、労働価値説という概念を編み出し、それを使って彼らの不満をあおり、組織化しようと考えます―――本来、モノを作った人が、そのモノに対する所有権、財産権をもつのだが、資本主義社会では、それはすべて資本家のものになってしまう。さらに、資本主義社会では労働力も売買され、資本家は買った労働力をどのように使おうともそれは自由である。資本家は必ず利益、つまり剰余価値を生み出すように労働者を使い、そして労働者が生み出した価値を搾取するのである。かつての奴隷は、見える鎖で繋がれていたが、労働者は見えない鎖で繋がれているのである。こんな感じで資本主義社会を批判する理屈をつくります

社会事象は必ず2面性があるにも関わらず、意識的にある一面からだけのことを論じて、被害者意識を高め、対立を図ろうとしたのです。

例えば、見方を企業家の方からしてみます―――商品の価格は市場の動向によって最終的に決定されるので、投下された労働量に比例して価格が決まる訳ではありません。そして、すべての労働者が優秀な訳ではありません。殆ど価値を生み出せない人もいますが、そういう人にも賃金を支払っています。なお、工場で作られた製品の所有権が会社に帰属することについては契約で決めることですが、それはある意味、社会的に当たり前のことです。そうでなければ、労働者は工場から製品を持っていっても構わないということになってしまいます。そして、それを疎外、搾取といって文句を言うならば、自分で働いて商品を作って売ればよいのではないでしょうか。別に見えない鎖でつないでいる訳ではありません。単なる契約関係でつながっているので、自由にそちらから解除できます。そして、企業というものは、経営者と労働者が力と知恵を結集して生産活動にあたるべきではないでしょうか、という反論が成り立ちます。

社会には、いろんな見方や考え方があるのは当たり前です。共産主義思想が唯一正しいと思わせる必要がある場合は、共産主義の権威を高めながら、共産主義に対する批判を防ぐことをします
お隣の中国が「良い見本」です。マルクス・レーニンという名前を使って権威を高め、強権でもって共産党に対する批判の封じ込めをしています。日本のマスコミにもその力は及んでいます。「朝日」とNHKは完全に腰が引けています。

ただ、日本共産党も内部の者に対して、同じことをしていると思います。でなければ、同じ人が20年も委員長の座に居座ることはできないでしょう。

人や組織を見る場合は、言葉ではなく、動きが大事なのです。そこに人や組織の本音が表れます。言葉や論理はいくらでも誤魔化しがききます。しかし、天才マルクスでも、行動を隠すことはできませんでした。彼の行動分析から、彼の真意を探ってみたのです

「マルクス主義というものは…、ユダヤ人が自己の民族的解放事業のための道具として編み出した虚構論理なのである」(モルデカイ『あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい』沢口企画.2019/28ページ)

戦後の対日処理にGHQの一員としてあたっていたモルデカイ・モーゼ氏は戦後何回も来日して、そこで多くの日本人と接する中で気づき、反省をして書いた書です。マルクス主義は、戦後のイスラエル共和国の建国により大勝利で終わり、目的を達しました。

今や単なる独裁理論になってしまっています。マルクスも違う使われ方をされて、天国で困ったなと思っています。賞味期限が切れた共産主義に対して、お役目ご苦労様でした、と言って鎮魂歌(レクイエム)を歌いながら天高く埋葬してあげましょう。

読んで頂きありがとうございました

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