「失われた30年ということを前に言っていましたよね」
「平成の約30年間の話ですよね。戦争がなく、平和の時代だったのですが、すべてのパフォーマンスが下がりました」
「もたもたしている間に、中国に抜かれてしまいましたからね。大きな震災や津波もありました」
「神戸淡路大震災が1995(平成7)年、3.11が2011(平成23) 年です。平成というのは、明治以来初めて戦争がなかった時代だったのですが、経済、政治など、さまざまなパフォーマンスが下がった時代でした」
「何か具体的なデータで示していただけませんか?」
「平成6年、世界のGDPに占める日本のGDPの割合は17.6%、アメリカは24.8%です。日米の両国で世界のGDPの4割以上を叩き出していたのですが、これが平成29年になると日本の割合は6.1%となり、存在感はほぼ3分の1になります」
「凄まじい位の落ち込みようですね。落ち込んだのに、バブル経済があったのですね」
「昭和の終わりから平成初期にかけてのバブルですね。資産バブルだったのですが、土地、建物、マンションの価格が高騰しました」
「バブルがあっても、日本経済は強くならなかったのですね」
「考え方として、逆ですね。そういった現象が起きるということは、何か経済にとって不自然で良からぬことがあったというふうに考えた方が良いと思います。一番分かりやすい指標は株式市場ですが、1989(平成元)年12月29日の大納会に38915円という史上高値をつけた後、そこから10か月後には20000円割り込みます」
「数字から見ると、大暴落だと思いますが……」
「私もそう思いますが、そういう言葉を使うと、必ず責任論が浮上します。それを避けるために、そういった「危険」な言葉を使わなかったのだと思いますが、その当時の経済政策の失敗、それにプラスしての人材育成についての無策が現在にまで尾を引いていると思っています」
「そういうことは、誰も何も言っていないのではないかと思います」
「まだ当時の担当官に対する忖度が働いているのかもしれませんが、明らかに失敗だと思っています」
「ここからが本論です ↓」
目次
経済は「生き物」を扱うが如く考え、政治は「法・制度」によって理念を体現すること
政治・経済という言葉があるので、同じように考えて良いのではと思うかもしれませんが、全く扱い方を異にする必要があります。そのことが分からず、政治も経済もその時々の情勢に応じて、特に区別することなく、軽々に取り扱ったことによるツケが現在にまで及んでいると思っています。
まず、経済は「生き物」なので急激な変化を好みません。「生き物」というのは、自然に生きることを好みます。誰かに命令されて生きることに対して嫌がる傾向があります。何を食べ、どのように生活するか、自分で考えて生きたいと考えていますので、他律的なベクトルを嫌うところがあります。
どういうことか。基本的には市場の力学に任せて、人為的な介入をなるべく避けます。介入し過ぎると、「ひずみ」が出やすくなるからです。
(「iroha book」)
バブル経済潰しのためにとった金融政策、財政政策によって日本経済まで潰す
資産バブルが発生して、それの対策として1年3カ月の間に5回の利上げが実施されます。当時は、公定歩合を操作することが日銀によって行われていたのですが、2.5%だった公定歩合を1年3カ月という短期間のうちに6%台まで引き上げてしまったのです。
公定歩合を操作しても、すぐに経済効果が表れるものではありません。そこが経済と法・制度の大きな違いです。法律の世界は、何か決まりを作って、罰則規定を設ければ、その瞬間から人々の行動は変わり始めます。例えば、たばこポイ捨て、罰金1万円と決めたその時から法を定めた効果は出るでしょう。経済の場合は、その効果は遅れて出てきます。まさに、波が伝わるようにゆっくりと伝播します。特に、金融政策の場合は、即効性は余りないのです。
だから、一度利上げをしたら、その効果を見極める必要があるのです。ところが、それがなされないまま、次から次へと利上げがなされています。どうして、このような愚策をしたのか検証する必要があると思っています。
政府は強力な財政政策を実行して、金融政策の後押しを図る
ハイパーインフレが起きた訳でもありません。単なる、不動産バブルなのに、どうしてここまで向きになって金融、財政のあらゆる手段を次から次へと繰り出していったのでしょうか。殆ど意味が分かりません。
不動産の総量規制、地価税の創設、固定資産税の課税強化、土地取引きの届け出制、特別土地保有税の見直し、譲渡所得の課税強化などの対策を次から次へと打ち出していったのです。そして、とどめを刺すように1989年に消費税(3%)導入を実行します。
こういったことの悪影響が2000年代初頭の記録的な就職氷河期となって現れます。当時は、大手企業の「若干名採用」「採用ゼロ」も珍しくありませんでした。失業率は、戦後最悪を記録し全国平均で5パーセントを超えます。中途採用については、抑制がピークに達した1999年には有効求人倍率が0.5倍を割り込みます。
(「よちよち投資ブログ」)
経済の大きな変化の潮目が分からず
日本経済が不況で喘いでいた頃というのは、世界的には資本主義の中心がモノからデータにシフトが移る潮目の頃だったのです。
アメリカはウォールストリートの金融業や、シリコンバレーのIT企業、特に後にIT界の巨人と呼ばれるGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)が経済戦略をスタートさせています。製造業中心の資本主義から、データを集積したり、データにある情報を組み入れたり、データを提供することをしたりということで、それらのことによって価値を産み出そうとする動きが出てきます。
日本はこの潮目に気付くことなく、殆ど乗り遅れ、それが現在の周回遅れの原因となっています。本来、こういった時代の先取り的な動きや施策については、日本学術会議にその役割が期待されているのですが、殆どその任を果たしていません。
スイスのビジネススクール「国際経営開発研究所(IMD)」が毎年発表している、国際競争力ランキングで、日本は平成元年から4年まで1位でした。それが2018年には25位。この数年は20位代後半をさまよっています。
世界の企業の時価総額ランキングも、世界のトップ50社を見ると、平成元年には日本企業が32社も占めていたのに、平成30年ではトヨタ1社が35位(2020年は41位)にランクインしているだけです。
経済的な巻き返しを図るためには、教育の在り方を抜本的に考え直し、人材育成のための戦略を立て直す必要があります。与党と野党の政党が、日本の未来のためにまとまる必要があります。そういった意味で、階級史観を持ち込む政党の存在が一つのネックになっています。
(2020年ランキング / 「アメブロ」)
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