「2日連続で司馬遼太郎氏の言葉を最初に紹介したいと思います」
「今日は、何ですか? 司馬さんの感性が私には合っているし、よく理解できます」
「そんなこと今まで一度も言ったことがないのに、どうしたのですか?」
「昨日、彼の『人間というもの』(PHP文芸文庫、2004)を読んで、いろいろ感動的な言葉を見つけてしまったのです」
「彼は大阪出身なんですよね。東京人というイメージなんですけどね。それはともかくとして、その中で「『日本』何というふしぎな国であろう、と言っています。」
「その後は、何と言っているのですか?」
「『歴史的結果としての日本は、世界のなかできわだった異国というべき国だった』と言っています」
「異国という意識は、日本人には余りないと思います」
「違いを明らかにするのではなく、全体の中に溶け込もうとしていますよね」
「ボーダレスという言葉に敏感に飛びついた印象をもっているのですが……」
「仲間外れを嫌う傾向があります。ただ、それは日本のアイデンティティに基づいた心情ではないと思います」
「だって、もともと長い期間にわたって鎖国をしていても、殆ど平気だったのでしょ」
「それが本来の日本人の精神構造だと思います。昨日も言いましたが、農耕民族の日本人が畏れていたのは自然現象だけだったのです」
「唯我独尊の国だったのですね」
「戦後になって、周りをキョロキョロと見始めたという感じです。そして、中心軸がブレ始めて、そのブレが大きくなり始めています」
「ここからが本論です ↓」
日本には多くの「隣国」あり――本心から付き合える国と付き合う時代
世界には約190の国家がひしめき合っています。かつての時代に「全方位外交」という言葉がありましたが、実際にすべての国と付き合うことは不可能です。どの国と付き合っていくのか、付き合うべき国と、そうではない国を考える必要があります。
こういう話題になると、隣国とどうするのかという話題になりますが、日本は太平洋に浮かぶ島国ですので多くの隣国があります。それこそ、海岸線をもっている国であれば、すべて日本の隣国になってしまいます。つまり、アメリカも隣国ですし、イギリスも隣国なのです。だから、隣国という言葉を使う意味が、殆どありません。
日本人の意識として朝鮮半島、並びに中国大陸が隣国というイメージですが、それをまず払拭することが必要だと思います。日本には「隣組」という制度が戦時中にあり、近い者同士は協力し合わなければいけないのではないかという強迫観念があるように思いますが、そういうものはありません。
だから、その辺りの考え方は人間のお付き合いと同じです。本当に相性が合う国と政治面さらには経済的にもお付き合いをすれば良いと思います。本心を偽ってのお付き合いをする必要がありません。21世紀というのは、そういう時代だと思います。
(イギリスと台湾の国旗)
米中にサプライチェーンの「囲い込み」の動きあり
現代の国家交流は政治面と経済面の両方で考えなければいけません。経済面の結びつきが強い場合は、当然財界から政界に対して友好を求める要望が強くなるでしょうし、政治的な対立が仮に生じたとしても、簡単に断交という訳にはいきません。最近の言葉で言うと、サプライチェーンということになります。
今の最先端の工業製品は、多くの部品によって成り立っています。1つでも部品が欠ければ、製品は完成しません。サプライチェーンが何らかの事情により途切れてしまえば、メーカーにとっても、その材料を売る側にとっても大きな打撃になります。輸入する側からすれば、別の国から代替品を輸入できるようになれば良いし、輸出する側からすれば、売却先を新たに開拓できればいいのですが、いずれも一朝一夕で解決できるような簡単な問題ではありません。
ただ、中国もアメリカも、お互い対立が深まることを予測して、サプライチェーンを国内で形成できるように動き始めています。日本もそういった動きに敏感になる必要があります。そして、食糧自給率が日本は低いので、それを高める努力をする必要があります。場合によっては、「食糧」を武器として使われることもあるからです。
(「リードプレーングループ」)
韓国と中国との問題――基本的な方針を政府が示す必要あり
韓国とどうするのか、中国とどうするのかという問題です。文大統領は完全に北朝鮮と中国に顔が向いてしまっています。大統領選挙があるので、何とも言えないというのではなく、誰がなっても同じような「いやがらせ」が日本に対して続くと思われます。
朝鮮半島との交流史を調べてみると、民間交流はそれなりにあったのですが、政府間交流で友好的な歴史が古代の百済の時くらいで、後は殆どありません。遣隋使、遣唐使の時代には、半島の陸路は使われておらず、危険な海路を使っていました。
江戸時代になって通信使が定期的に日本に来ての交流があるのですが、そもそも対等外交ではなく朝貢外交でした。その辺りについては、石平氏の『朝鮮通信使の真実』(ワック株式会社、2019)が詳しいのですが、それによりますと、1607年から1811年までの約200年間に合計12回の通信使が徳川幕府に対して派遣されたことを明らかにしています。通信使たちが遺した手紙や報告書が資料として示されていますが、内容は反日的な罵詈雑言のオンパレードといった有様です。
著者の石平氏は「一連の知的作業を通して本書の達した最後の結論はまさに『あの国と関わるな』ということである」「かの国とできるだけ関わらないのは、日本と日本人にとってのもっとも賢明な選択となるのである」(石平著 同上 11ページ)と言います。
元々、ニーチェに言わせれば、隣国同士は仲が悪いのが当たり前とのこと。かつての飛行機もないような時代であればともかく、別に近くの国だからといってお互いの感情を抑えて付き合う義務もありません。
中国との問題が、正直一番頭が痛い問題だと思います。多くの企業が中国との経済的な結び付きが強いので、企業人からすると、政府間で上手くやって欲しいと願っているというのが本音でしょう。ただ、中国は習近平が権力を掌握し、「一路一帯」政策に基づく拡張政策を引き続き進めようとしています。尖閣諸島に限らず、様々な地において、対立が深まることが予想されます。戦火が交わる可能性もあります。資本の収奪の可能性もあります。経済的な付き合いもほどほどが良いと思われます。
読んでいただき、ありがとうございました。
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