「日本と韓国は来年、国交正常化から60年の節目を迎えます」
「もう、そんなになるのですか?」
「日韓基本条約が締結されたのが1965年です。東京オリンピックの翌年でした」
「この60年、両国関係は絶えず揺れ動いていた感じがします」
「歴史問題が絡まっているので、根は深い所にあります」
「その問題が解決しないまま、若い世代間の文化交流が進んでいるような感じがします」
「その辺りについて、私は詳しくないのですが、Z世代と呼ばれる人たちの間同士では結構活発な交流がなされていると聞きますけど、どうなんですか?」
「私はぎりぎり30代に入っていますが、それ程悪い印象を持っていません」
「ソウルに行ったことが確かありますよね?」
「行って驚いたのは、日本食の飲食店の多さでした。お好み焼き屋に入ったのですが、最新のJ-POPが流れ、若い人達や家族連れで賑わっていました」
「日本食レストランの数で言えば、中国、アメリカに次いで3番目に多いのが韓国なんです」
「成る程、その数字を聞いて納得です」
「韓国からの観光客も多いですからね」
「飛行機で東京-ソウル間は約2時間半です。程よい距離になっています」
「そういう交流は進んでいますが、歴史問題が一向に進展しません」
「どうしてですか?」
「今までは韓国側に問題があるのではと思っていましたが、歴史を調べる中で日本の明治維新期に問題があるのではと思うようになりました」
「ここからが本論です ↓」
現在の日韓関係の状況
コロナ禍の3年間は殆ど旅行客の交流が途絶えていたのですが、昨年度のデータを調べてみると韓国からの旅行者は約700万人であり、ほぼコロナ禍前のピークの頃と同じ水準まで回復しています。
ただ、その一方で日本に対する印象は好転する兆しがありません。(ここで言う印象というのは、旅行での印象ではありません) 。世代が上がるにつれて悪しき印象を持っている人が増える傾向にあります。今でも反日的な教育が歴史の授業を通して行われているそうですが、それにも関わらず20代未満の世代は日本に対して半分以上が好印象を抱いているという数字が出ています。
実は、日本も同じような数字の傾向が出ています。20代未満の世代の半数以上が韓国に好印象を持っているのです。歴史問題も含めて和解する時機が来ているのかもしれません。
(「読売新聞オンライン」)
ブラジル政府、日系人に初の謝罪
時間が解決するという発想をよく日本人はします。このまま自然に何も無かったかのように元の鞘に収まることを期待するのは、良くないと思っています。明治期の政策なので、客観的に見ることが出来るはずです。冷徹に分析して、謝るべきところは謝ることだと思っています。
ブラジルからのニュース(7/25日)ですが、ブラジル政府が第二次世界大戦中やその後に起きた日系移民に対する迫害について、政府として公式に認め謝罪しました。ブラジル政府は1946年から2年間にわたり、日系人ら170人を監獄に強制収容していたのです。
ブラジルは、270万人を超える世界最大の日系社会を抱えています。そういった日系人たちの団体が名誉回復を求めて訴えていたのです。そして先般、ブラジル人権省のエアネ・アウメイダ委員長が100人以上の日系人たちを前に日本語で謝罪をしたそうです。
(「琉球新報」)
大政奉還直後から半島への触手を考える
明治期の歴史を調べてみると、大政奉還が実施され、五箇条の御誓文が出された段階で朝鮮半島に触手を伸ばすことを考えていたことが分かります。明治維新というのは不思議なことに、主体的に動かした組織も人も見当たりません。岩倉具視、木戸孝允あたりだとは思うのですが、継続的に関わってはいません。岩倉具視、木戸孝允は例の使節団で1年10か月日本を離れています。
そして、大政奉還の時、明治天皇は15歳になったばかりです。改革の象徴として担ぎ出されたものの、肝心の担いだ主体がはっきりしません。政権を執ったものの、政策に一貫性がないのはそのためです。
版籍奉還(1869)で旧藩主を知藩事に任命するのですが、廃藩置県(1817)で藩を廃止し、知藩事を罷免してしまいます。神祇官を廃し、神仏分離令(1868)を出したため、廃仏毀釈運動が起きます(下の写真)。このようなことから、天皇のシラス者としての役割や神仏習合の歴史についても無知であったことが分かります。
この後の続きは、次回にしたいと思います。
(「東善寺/頭部を切り落とされた石仏像」)
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