「カミはその意思を小さなウイルスに託して地上に送り込んだのかもしれません」
「どうしたのですか、急に?」
「去年の今頃にコロナ騒動が始まったなと思ってね。そしてつくづく、振り返ってみると、国内政治、国際政治、人の流れ、これらが完全に変わってしまいました」
「子ども達も大変だったのです。1年前に突然全校休校になってしまい、今度はこの4月から端末を持たせますとのこと。オイオイという感じになっています」
「子どもたちの面倒を誰が見るのかということで、随分苦労されたのでしょ」
「あの時は、どうしょうかと本当に悩みましたが、お陰様で何とかここまで来ることが出来ました」
「『ここまで』に随分力が入っていましたね」
「不確定要素がまだ多いですからね。私の職場でもデジタル化を進めるということで、かなり職場環境が変わりそうなんです」
「会社によっては、本社機能を地方に移すことを行うところもあるようですね。例えば、人材派遣大手のバソナは淡路島に本社を移すようですが、計画によりますと2024年5月末までに東京本社に勤める社員1800人のうち、1200人を淡路島に移すそうです」
「えっ、そうなんですか。実は、ウチの会社もそういう議論があったみたいなのです」
「今の話ぶりだと、決定ではないということですね」
「前向きに検討するようですが、まだ決定には至らなかったようです」
「労働集約型の産業でなければ、SNSがあるので、別に東京だとか大都市圏にこだわる必要というかメリットがなくなりつつあるのは確かです」
「仕事帰りの飲み会、カラオケ、パチンコがあります」
「どうして、そうやって話の腰を折るようなことを言うの」
「それも大事なことかなと思ったのです」
「その位は、地方にもあります」
「ここからが本論です」
コロナ禍を境にして、東京一極集中の流れが変わった
東京都の人口ですが、実は令和2年の7月以来、7か月連続の転出超過になっています。コロナ禍を境にして、人の流れも変わってきたということが言えそうです。
東京都だけで言いますと、東京都の直近のピークは昨年5月1日現在の1400万2973人ということになります。そこから、人口下落が続いて8か月間で4万2737人減少しました。
年間ペースで言いますと、2020年は8600人増えて、25年連続の増加だったのです。ただ、増加と言っても、その内訳を見ると、何かのきっかけであっという間の人口移動が起きる可能性を秘めた、「張りぼての人口増」なのです。
どういうことか。2020年の自然増減は、マイナス1万8537人、外国人でプラス2469人、社会増減はプラス2万9618人ということで、合わせると13550人のプラスということなのです。データで見る限り、東京都の人口増は、転入者の人口によって支えられていたということが言えます。そして、その転入理由も入学、就職といった事情によるものが多く、東京の文化に魅了されてというのは、多分殆どないのではと思われます。先に「張りぼて」と言ったのは、そういう理由だからです。
(「シニアガイド」)
人は地域に何を求めるのか
人はどのようなものを求めて、その地域に住むのでしょうか。大きく分けて2つあると思います。1つは、職場や親戚、知人、友人といった人間関係、2つ目が地域の自然や文化といった魅力です。
魅力を2つに分けましたが、一番の魅力は、その2つが有機的に結合している場合だと思います。そうなると、その地域が人の心をつかみ始め、人口も自然に増えてくると思います。そのような有機的な機能がかつての地域にはあったのです。それを意識的に伝え、残そうとしてこなかった、それが地域の疲弊を招いているのです。
例えば私自身、東京に住んでいますが、それは職場が東京にあり、長年住んだこともあり、親しい友人、知人が近くにいるし、どこにいけば何が手に入るかといった土地勘もあります。そんなことが東京に暮らし続けている理由です。ただ、地域の文化に触れる機会は、初詣で地元の神社に行き、祭囃子を楽しんで、お神酒をもらうこと位です。
退職ということで仕事が変わり、会社の人たちとの人間関係が途切れれば、私自身を東京にとどめておくベクトルはかなり小さいものになります。少なくとも、かつての日本人が抱いていた「うさぎ追いし かの山」と歌いながら感慨深く思い出す故郷感は東京にはありません。
(cocoom.web.jugem.jp)
地域再生のためには、一つの有機的な組織として捉え、権限を委譲するしか道はない
本間義人氏(法政大学名誉教授)が『地域再生の条件』(岩波新書、2007年)の中で、「国の再生策で地域再生は可能か」(191ページ)という命題を立てて、その画一的、中央集権的発想では無理だろうということを言っています。
「地域経済低迷の原因はむしろ国の政策の失敗、誤謬にあるわけで、国はその教訓をまったく学んでいないといえます。誤った認識のもとに的を射た政策・施策が展開されるはずもありません」(本間義人 前掲書、192ページ)と、手厳しいです。
それでは、自治体が創意あふれる再生プランを提出しているかといえば、こちらに対しての評価も手厳しいものがあります――「国も国なら、地方も地方、地域も地域だと思わざるをえない面もあります。その国の提唱に、新産業都市指定やテクノポリス構想、リゾート構想の時と同様に飛びつきました」(本間義人 前掲書、193ページ)。国に対しての変な忖度が働いているのでしょう。
まず、大事なことは、地方への権限委譲です。それについて「国から地方への権限委譲や補助金の使途拡大はほとんどされないまま」「場当たり的な国の構想に乗っていては、真の地域再生は不可能」(前掲書、197ページ)と言われます。地域再生を国の号令のもとで行おうということ自体、無理があります。
今回のコロナ禍で2020年に全国一斉休校、Go to トラベルを国の指揮下で行いましたが、結局失敗しています。原因は、国全体でという発想だからです。別に、休校はある特定の地域だけでも良いわけですし、それを当該の自治体に決めさせれば良いのです。Go to トラベルも同じです。無理やり全体を揃えようとして、傷口を却って広げている始末です。
地域を一つの有機的な組織と捉える視点が希薄です。地域は単なる人間の寄せ集めという感覚での施策を行ってきました。代表的なものが、学校統廃合と平成の大合併です。この2つの政策によって、地域の伝統と文化の命脈が絶たれようとしています。行政の都合によって、学校統廃合と平成の大合併が行われましたが、その功罪は大きなものがあります。住民の自然発生的に営まれていた地域の伝統行事や文化や習俗が、それらは地域の子どもたちを通じて受け継がれていくものですが、学区域の変更によってそれが出来なくなった地域もあることでしょう。
そういったミスが重なって、地域の疲弊、そして少子化という事態が引き起こされています。だから、少子化というのは、構造的な問題として捉えることが重要です。何か子育て手当を増やせば、出生率が上がるという単純な問題ではないということです。
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