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縄文時代の再発見  ――  遺跡・DNA・言語から見える日本人の起源 / 三内丸山遺跡とゲノム解析が明らかにした列島社会の形成

  • 2026年3月7日
  • 歴史
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「『縄文の奇跡』(新野哲也著、産経NF文庫、2026年)という題名に惹かれて買ってきました。今、縄文時代に新たな光を当てようという動きがあります」

女性

「歴史的には、特に何の事件も問題も起きなかったのですよね」

「縄文時代は1万年もの長き時間を刻むのですが、文献資料がなかったこともあって、殆ど無視をされていたような時代でした」

女性

「一応、学校で縄文時代のことを習った記憶があります。土器が作られ始めた時代という程度の理解です」

「縄文時代に注目を集めるようになったのは、三内丸山遺跡の発掘が一つのきっかけとなりました」

女性

「縄文時代の遺跡は、それ以前にはなかったのですか?」

「三内丸山(青森市)ほど、大規模で当時の人々の生活が分かるような遺跡は他に例がありません。そして、予想以上にハイレベルな文明だったと評価されています。そんなことから、2000年に特別史跡に指定されたのです」

女性

「三内丸山遺跡は、いつの時代の遺物ですか?」

「縄文の前期から中期にかけてです。縄文時代は氷河期が終わり、日本列島と半島とが日本海で切り離されてしまう時代です。この時代に各地ですでに形の大きな土器が作られていますので、定住化は様々な地域で進んでいたと思われます」

女性

「日本列島は自然が豊富なので、定住化が早かったのでしょうね。ここからが本論です ↓ 表紙画像は「You Tube」からのものです」

 三内丸山遺跡が変えた縄文像 ― 定住社会と広域ネットワーク

三内丸山遺跡の発見は、縄文時代を見直す一つのきっかけとなったことは確かです。それと同時に、考古学という学問が注目をされるようになります。日本の歴史学会は文献史料重視の傾向があり、そんなこともあり縄文時代は殆ど研究の対象外だったのです。そのため、縄文時代については歴史家たちが空想に基づいて語っていたのです。一昔前の教科書には、縄文時代は狩猟生活のため移動を繰り返していたが、稲作が大陸から伝わった弥生時代になって定住生活をするようになったというようなことが書かれていたのです。

三内丸山遺跡の発見によって、縄文時代の後期には定住生活が列島各地でほぼ定着していたと考えられるようになりました。三内丸山(約5,900年前〜4,200年前)が衝撃的だったのは、単なる定住ではなく、その「規模と継続性」です。約1500年もの長い間住み続け、巨大な木柱建物(六本柱)を建てるなど、極めて安定した組織社会を持っていました。さらに驚かされるのは、交易範囲です。北海道の黒曜石や糸魚川のヒスイが見つかり、海を超えたネットワークがあったことも分かっています。そして、近年DNA解析・ゲノム解析といった遺伝子学の手法を採り入れることによって歴史を解明しようという動きがここ近年見られるようになりました。

金沢大学や理化学研究所などのチームによって行われた研究成果が2021年に論文として発表されています (「Ancient genomics of the Japanese archipelago」『Science Advances』2021.9) 。縄文・弥生・古墳時代の古人骨から抽出したDNA解析の結果、現代日本人は「縄文人」、「弥生時代に渡来した北東アジア集団」、「古墳時代に渡来した東アジア集団」の3つの祖先集団から成っていることが分かったのです。従来の説は、「縄文人と弥生人の混血」という二重構造モデルだったのですが、「古墳時代に渡来した東アジア集団」が加わって、三重構造モデルに定説が塗り替えられつつあるのです。

(「あおもり案内名人」)

 縄文人の形成 ― 列島で融合した三つのルート

さらに、ゲノム解析によって縄文人そのものが、どのように形成されたのか、つまり「原日本人」についてもそのルーツが分かるようになったのです。もともと今の人類を現生人類(ホモサピエンス)と言って、アフリカが起源であることが分かっていました。彼らが、アフリカを出て、中東からユーラシア大陸に移動し、さらに東に向かって移動を繰り返します。なぜ東なのかという疑問が出されていますが、「食料事情、太陽信仰」が理由だと思われます。

縄文人は単一の場所から来たのではなく、①南方ルート(東南アジア方面)、②北方ルート(シベリア・バイカル湖周辺)、③西方ルート(樺太、朝鮮半島)という、主に3方面からの集団がこの列島で出会ったと思われます。その後、氷河期が終わり、日本海によって列島が大陸から切り離されてしまいます。列島内での混血が1万年くらいかけて徐々に行われた結果、「縄文人」(原日本人)という“ブランド”が形成されたと考えられています。

「縄文人」(原日本人)たちが住んでいた日本列島に、弥生時代さらには古墳時代(3世紀~7世紀頃)に大陸や半島から多くの人が渡来してきました。これらの人との混血がその後進み、現在の日本人が形成されたことがDNA解析・ゲノム解析によって分かったことです。

(「ヒストリスト[Historist]」)

 日本語の成立を考える ― 母音文化と言語構造の特徴

言葉についての探究は、論理的思考によって解明するしかありません日本語は世界でも珍しい母音言語です。母音は「叫びの言葉」なので、発音も聞き取りも簡単です。コミュニケーションだけを目的としていた社会状況の中で成立した言語だということが分かります。一方、子音は発音も聞き取りも難しいのですが、それはコミュニケーション内容を他の言語使用者に完全に知られたくないということから考案された言語だからです。大陸の民族は子音言語を使います。彼らは国境概念がない時代から、敵対する民族と背中合わせで生活せざるを得ない状況の中で、自然に子音言語を身に付けたのだと思います。

日本語の文法はアルタイ語系です。モンゴル語や朝鮮語と同じように、述語を最後に持ってきます。ただ、日本語の文法は、ほとんどあってないようなものです。主語がなくても成立しますし、単語だけ発しても大丈夫です。形容詞を名詞の前に付けることと、最後に動詞を持ってくるというルール以外は自由に文章を作って良いのです。英語は文法がきっちりしていますが、そういう意味では、非常に対照的です。

あと、擬音語が多いのも日本語の特徴です。会話の時にも、よく使います。実は、韓国・朝鮮語も日本語と同じ位に擬音語を使います。ただ、日本には擬音語についてのルールはありませんが、韓国語には「明るい響き」と「暗い響き」を母音で使い分けるというルールがあります。日本語と朝鮮半島の言語(韓国・朝鮮語)の関係は、言語学における最大の謎の一つですが、最新の知見では「文法という骨組みは同じだが、肉付け(音や単語)が全く違う」という不思議な関係が見えてきます。古代の人たちは単語を変えるだけで文章が作れるため、お互い親近感を持って言葉を使っていたようです。

(「日本語教育能力検定試験まとめ」)

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