(この文章は4/10日に書きました)
市町村合併という大愚策が、地方の人口減を招いた
東京の合計特殊出生率は、1.2です。多くの人が集まっているので錯覚をしている人が多いのですが、実態は「東京砂漠」だというのがこの数字で分かります。ということは、「スマコン路線」を推進する時に、推進者がモデル都市として東京のような大都市をイメージした場合は、上手くいかないということです。「ミニ東京」を全国につくるという発想ではダメだということです。
ちなみに、合計特殊出生率の全国平均は1.42で、全国一の合計特殊出生率の県は沖縄県の1.89です。沖縄県がどうして高いのか、簡単に言えば、独自の文化が地方に定着しているからです。
都市化現象によって、東京、大阪といった大都市圏に人が集まる流れとなっています。ただ、そのような現象は、普通は産業革命期に起きることです。
産業革命というのは、従来手作業で行っていたことが、機械による大量生産方式に置き換わることを意味しています。工場や事業所が都会に集中するようになります。大量に生産された商品は、海外に輸出され売られることになります。空港や港湾施設がある都市が海外に商品を送るのに便利なので、本社をそこに構えるようになります。そうすると、人も工場も都会に集まってくるようになります。日本の大企業の多くは、本社を東京にもってきています。それはある意味では、自然な流れなのです。
ただ、そのような人の流れというのは、起きたとしても工業社会の間だけです。高度情報社会が進展すると同時に、都市化現象は止まるというのが今までの定石でした。モノを生産するために、資本を都会に集積する必要がなくなるからです。なぜ、現在も都市化現象が起きているのでしょうか。
識者の見解は、職場を求めての人口移動というものです。そういう面もあると思います。日本の場合は、ある程度会社の規模が大きくなると、本社機能を都会に移す企業が多いからです。地方には中小の零細企業が残るというイメージもあり、企業の側も良き人材を採用するためにも無理してでも都会にシフトするという動きがあることは確かだと思います。
しかし、それだけではないと思います。地方の文化や学区が行政によって破壊され、その犠牲となった避難民が大都市に流入しているのです。言い方を変えるならば、市町村合併や学校統廃合によって、地域の中に受け継がれていた文化や人の繋がりが遮断された結果、還流できなくなった人たちが都会に滞留しているのです。
戦後の大愚策の1つが、市町村合併です。なぜ、そのような合併が大規模に起きたのかということですが、「誤解」にもとづくものという指摘があります。
「誤解の中でも最大のもの、それは『合併すれば行財政の効率化になる』というものである。今回の合併が国政の政治家によって唱道され、地域内の企業家グループによって後押しをされたというのは、ほぼ間違いのない事実だ。彼らがなぜそのような行動に出たのかは、いまだにはっきりとしないが、確実なのは、その背景に合併すれば行財政の効率化に繋がるという、ほぼ『鰯の頭も信心から』にも似た誤解がある」(今井照「平成の大合併とは何だったのか」(『町村週報』第2693号/2009年9.14日)
そして、
「政治的、市民自治的な側面からみれば、合併には一理もないが、効果があるとみられた経済的合理性や効率性からみても合併には何の一利もない。これらのことは学問的世界では常識レベルであり、昭和の大合併の検証時にもそのように主張されてきた。なぜ同じ過ちを何度も繰り返すのかといえば、やはりみんなの犠牲によって誰かが得をしているのではないかという疑念が拭えない」
と、当時の福島大学行政政策学類今井照教授は指摘されています。
市町村合併と学校統廃合。慣れ親しんだ学区がなくなる、区そのものの名称が変わる、意味不明な市の名称が採用される、その結果、人の気持ちが変わり流れが変わり、商店街が寂れたりします。こういったことが、戦後一貫して日本列島で行われてきました。その結果、かなりの地方の習俗、文化がなくなったと思います。
私の故郷のお祭りの時の子供神輿(みこし)や御用提灯(ちょうちん)、嫁入りの時の「菓子ばら撒き」や「嫁入り道具お披露目」の風習も、いつの間にかなくなっていました。それらが積み重なって、人口減という現象が起きていると思います。このメカニズムが理解できない方は、街づくりを担当したとしても、上手くいかないと思います。
「多様性」をキーワードにしつつ、「企業」、「農業」、「教育」のコラボによる地域再生の取り組みを
街が一つの共同体として機能をもつようになれば、人は自ずと周りから集まり、定着するものです。その機能をどう考えるかということですが、利便性とか高機能性といったことではなく、日本人の場合は、土との繋がり、人との繋がりが大事な視点です。自治体が音頭を取り、そこに企業がSDGsの観点から地域興しのために尽力するということが、上手く絡み合えば自ずと地域振興は軌道に乗るでしょう。
「平和に慣れきった日本においては、荒廃が進む田園景観に対して、危機感は少なく、食料自給率40%に対しても緊迫感は希薄だ。このままでは、やがて農村資源が食いつぶされ、日本の豊かな田園景観は失われ、農業生産力が激減して主食の米から日常野菜まで国外からの輸入に頼らなければならない『根なし草』のような国になってしまうだろう」と警告を発するのは、『農ある暮らしで地域再生』の著者である山本雅之氏です。氏は、都市と農村が手を結ぶ「田園まちづくり」を目指せと言うのです。
街づくりは、いろいろな方途があって良いと思います。「企業」、「農業」、「教育」の組み合わせによって、様々な地域文化を生み出す、あるいは存続させることができます。
その際に大事なことは、利便性、効率性を優先事項にしてはいけないということです。それは丁度、利益第一主義を掲げる企業は潰れ、顧客第一主義を掲げて経営理念がしっかりした企業が繁栄するのと同じ理屈です。
「スマートシティに住民の視線を」と言われているのがミチクリエイティブシティデザイナーズ社長の河野通長氏です。「日本のスマートシティは、まだ旧来型の産業主導・技術志向が強く、日本が優位と思われる先端技術の実証の場となっている。住民主導・問題解決にかじを切るべきだ。それには行政・住民・大学・産業の連携が不可欠となる。まず住民が集まって話すスペースやコミュニティをつくり、課題をみつけることが第一歩となろう」(『日経』2020.3.18日付)と述べておられます。
「多様性」を阻んでいる様々な法制度があります。例えば、農地法は農家以外の土地の取得・賃貸を原則として認めていません。また、日本の教育は中央集権体制です。カリキュラムから使う教科書までかなり限定的です。コロナ騒ぎの中でオンライン授業という意見がマスコミから出始めていますが、それを現在は文科省は「授業」としては認めていません
先ほど合併の話をしました。「『平成の大合併』で合併を選択した小規模な旧町村地区は、合併しなかった近隣町村より人口減少率が高かった」(「社説 過疎促進?検証せよ」『東京』2019.12.12日付)というデータも出ているにも関わらず、この3月末日で切れた合併特例法を延長したのです。こういったことに問題意識をもった方が、国会議員になって欲しいと思っています。
街づくりというのは、夢を語りながら、その桎梏(しつこく)となっている法制度や為政者の思い込みとの闘いでもあるのです。
読んで頂きありがとうございました