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親日国家、台湾のこの間の歩み / アイデンティティの確立が重要

  • 2020年6月1日
  • 2020年6月2日
  • 政治
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「私が考えた「海洋国発展同盟」のプランを聞いてくれますか?」

女性

「いいけど、……。何のプランですか?」

「防衛と友好のプランです」

女性

「具体的に言ってみて下さい」

「日本、台湾、そしてイギリスの3国で結ぶのです。周辺国に刺激を与えないために、「発展」という言葉を使っていますが、簡単に言えば防衛ラインをつくりましょうということです」

女性

「日本と同じ島国の台湾、そしてイギリスと結ぶということですね」

「両国とも日本と相性が良いですからね」

女性

「グアム、ハワイを入れて、観光を追加するのはダメかしら?」

「あのねぇ……。大体、グアム、ハワイはアメリカでしょ」

女性

「ゴメンナサイ、私は旅行が好きだから、つい……」

「観光なら台湾に行きなさいよ。春香さんなんか、5.6回台湾に行っていますよ。台湾新幹線にまだ乗っていないでしょ」

女性

「春香……? ああ、昨日のNHKドラマ「路」の話ですね」

「台湾には日本の統治時代の歴史遺産が数多くあるし、故宮博物院は見ものですよ」

女性

「おすすめは、何ですか?」

「歴史遺産で言えば、台湾総督府、アメリカ領事館かな。両方とも100年位前に建てられています。故宮博物院は本土にあった貴重な美術、工芸品を共産党との戦いで敗戦が濃厚になってから、蒋介石が命令してピストン輸送をして急いで台湾に運びこませたのです」

女性

「所蔵品の数ですが、どの位あるのですか?」

「十数万点と言われていますけどね」

女性

「えっ、そんなにあるのですか?」

「そう思って観てごらん。よく、これだけのものを内戦の最中に運び出したなあと感心するから」

女性

「じゃあ、今度ぜひ。(故宮博物院の画像を見ながら、本論をお読み下さい)↓」

 3.11東日本大震災の時、台湾から250億円の義援金を頂く

作家の宮内勝典氏が「台湾の思い出」という題で随筆を書いています。「台湾がとても好きだ。これまで多くの国々を巡ってきたけれど、台湾の人たちほど優しく、思いやりの深い人たちを他に知らない。……台湾は長いこと日本の植民地にされていたから、きっと日本人は憎まれているだろうと覚悟していた。ところが、まったく意外なことばっかりだった」(「日経」2020.4.25日付)と、現地で親切にされたことを具体的に書いています。また、東日本大震災の時は、すぐに国際電話がかかってきて、持っているアパートを提供するから、避難しておいでと言われたそうです。

東日本大震災の台湾外交部が発表した東日本大震災に関する義援金は①政府機関からのもの(約28億円)②慈善団体などからのもの(約200億円)③長栄集団会長・張氏や日本台湾交流協会など直接日本に届けた個人や団体のもの(約24億円)の3種に区別されますが、合計252億円という巨額の義援金をいただいています。アメリカについで2番目に大きな金額です。ちなみに韓国からは2億1千万です。

www.nippon.com/ja/features/c04918/

 

欧米諸国の植民地経営というのは、完全な収奪です。国を滅ぼし、資源を取りつくして、そこに住む民を奴隷とするか殺します。「イギリスは、1788年、オーストラリアを植民地にしました。アボリジニと呼ばれる先住民の土地は暴力的に奪われ、オーストラリア東南部の多くの言語集団は全滅します」(山本真島編『オセアニア史』)。そのようなことは、スペイン、ポルトガルも行ってきたので、トピックスではなかったのです。南米のインカ帝国はスペインの武力によって16世紀に滅亡しています。ハワイ王国もアメリカによって19世紀に滅亡しています。

言ってみれば、これが「国際常識」ですが、当時の日本人はそういうことが分かっていたのか、いなかったのか。分かっていても欧米のやり方はできなかったと思います。日本的植民地経営を台湾に対して行います

同じように朝鮮半島に対して統治をしたのに、どうして受け止め方が真逆になったのか、ということですが、3つのことが考えられます。

一つは、統治期間です。台湾は約50年、朝鮮は35年です。そして、二つ目は、その後の統治が反面教師の役割を果たします。台湾の場合は、日本の統治が終わった後、国民党が本土から来て統治を開始しますが、この統治が強圧的で本省人(現地の人)にすこぶる評判が悪いのです。その辺りのことを台湾の人たちは「犬が去って豚が来た」という言葉で表現をしています。口うるさかったが番犬の仕事はしていたが、本土から来た国民党は貪り食うだけで役に立たなかった。去ってみて初めて分かる有難さということだったのです。それから三つ目は、韓国、北朝鮮の基本的な政治姿勢が反日的であるということも大きな要因だと思います

 「二・二八事件」、そして戒厳令の38年間

1947年に「二・二八事件」が台北市で起きます。闇タバコを販売していた現地の女性に対して取締の役人が暴行を加える事件に端を発して、翌日市庁舎への抗議活動が起きます。

これに対して、憲兵隊が出動して発砲するなど、騒ぎが台湾全土に広がることとなります。この根底には、台湾の人たちの国民党の統治に対する不満があったのです。

1949年共産党軍が国民党軍を打ち破り、中華人民共和国が成立します中華民国政府は都落ちとなり、首都を南京から台湾の台北に移します。それと同時に戒厳令が発せられます。以後、1987年まで約38年間、戒厳令下での一党独裁統治が続きます。戒厳令が続いた期間としては、世界最長です。

一党独裁の政治体制のもと、白色テロとも言われる厳しい言論統制や知識階級への弾圧が続きます。一説によると、2万人くらいの人が犠牲になったと言われています。そのうち、ニニ八事件について公に語られることがなくなっていきます。もちろん反政府的なデモもなく、表面的には鎮静化されたのです。

二・二八事件」やその後の弾圧・抑圧について公に知るところになったのは、1989年に公開された「非常城市」(侯孝賢監督)がヴィネツィア国際映画祭で金賞を受賞したことがきっかけです。

戒厳令が解除されるのは、1987年です。蒋介石が亡くなり、息子の蒋経国が総統になってからです。こうして、ようやくニニ八事件の真相究明、被害者の名誉回復を目指す動きが始まり、1989年になると嘉義で台湾初となるニニ八の紀念碑が建てられ、またニニ八事件も織り込んだ台湾映画「悲情城市」( 侯孝賢監督1989年)も公開されました。

しかし、まだまだ弾圧は残っており、本格的に台湾で言論の自由が認められるようになったのは、本省人出身の李登輝が総統となってからのことです。総統というのは、大統領ということです。李登輝は日本語教育を受け、京都大学の農学部を卒業した人ですが、そこから台湾の民主化と親日化が始まり、日本に対して好意的だった人は、そのことを隠さずに言うようになります

 1996年2月28日、当時の台北市長陳水扁(後に中華民国総統)が、この公園の名称を二二八和平公園に改称し、二・二八事件で犠牲者を追悼する和平記念碑も作られたのです



 台湾のアイデンティティの確立を目指す政治

李登輝は、台北市長、台湾省主席、国務大臣、副総統から総統という経歴をもっています。彼の人間力と人徳が台湾に魂を吹き込んだと言えます。彼の「政治」に対する考え方は伝統的な日本の考え方と同じです。そのため、共産党やそれまでの国民党政治に批判的なまなざしを向けます。

本土の共産党の政治も、国民党の今までの政治は、「『人民を管理すること』に他ならなかった。言葉を換えていえば、『民をいかに支配するか』が中国の『政治』というものであった。中国の文化においては、伝統的に政治とはエリートが民衆をコントロールし、管理することを意味するのである」(李登輝『台湾の主張』PHP研究所.1999年/54ページ)。


中国やヨーロッパの政治の考え方というのは、いかに権力をふるって上手く国を治めるかということに専ら関心が向かいました。そのため、権力の暴走がしばしば起こり、それに対抗する理論が近代以降構築されるようになりました。社会契約説が説かれ、自由、平等、権利、立憲主義といった概念が形成されるようになります。

ただ、これらは国家と国民を対立したものと捉えることを前提にした言葉です。そして、この延長線上に社会主義革命なるものも説かれるようになります。

日本でもそのような階級国家観にもとづいた政治をイメージしている政党、例えば共産党や立憲民主党、社民党がありますが、彼らの考え方は日本の伝統的な政治に対する考え方と全く違います

日本とヨーロッパでは、政治的環境が全く違います。ヨーロッパは狭い地域に多くの民族がひしめき合って生活しているため、有史以来、絶えず国境や宗教などを巡って争いをしてきました。日本は島国であったため、そのようなことがなく、権力者も含めて皆が向かい合って国を治めてきたのです。その考え方を、李登輝は台湾の統治に持ち込んだのです

彼が1996年の総統選挙で台湾の国民に言ったことは、「大台湾を経営し、新中原(新しい中心地、中心軸)を打ち立てる」ことが大事とした上でアイデンティティを確立すること、そして「いまの台湾が本省人や外省人、あるいは先住民を区別していてはアイデンティティは確立できない。むしろ、大台湾はこうした来歴の違う人々が集まって、新しい来歴を、大陸とは異なるかたちで形成していくことが重要なのである」(李登輝 前掲書/58ページ)と述べています。聖徳太子の「和」の実践の台湾版です

この時、中国共産党は李登輝陣営に不穏な動きありと察知して、台湾海峡で軍事演習を行い、アメリカが空母を出動させるという騒ぎまでありましたが、選挙は李登輝の圧勝で終わりました共産党の威嚇行動が、却って台湾の人達を団結させてしまったのです。今年の1月に民主進歩党の蔡総統が選挙で圧勝しましたが、それと同じようなことが24年前にもあったのです。

個人も国家もアイデンティティの確立が一番重要です。それが定まれば、中心軸が定まり、国民もまとまります日本の場合は、はるか昔の古代の時代にそれが確立しています。天皇を中心にして、日本独自の文化を国民が「和」の精神で手を取り合って国づくりをするというアイデンティティがあったので、およそ2000年という長きにわたって1つの王朝(皇統)のもとで歴史を刻むことができたのです。

それを絶やさないようにバトンタッチをしていけば良いだけです。そもそも政党やマスコミの中には、未だに時代遅れの階級史観を持ち込んでバトンの色を変えようとしたり、バトンそのものをなくそうとしたり画策している動きがあります。アイデンティティの確立においては、百害あって一利なしです。というか、軸をぶれさせるために、わざと混乱するような言動を振りまいているところがあり、それが日本の危機をつくっています。

様々な雑音があっても中心軸さえ定まれば、イレギュラーバウンドに対応できるようになると思います。そのことを忘れかけているので、ぐらついているのです。

読んで頂きありがとうございました。

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