「歴史の授業は、好きでしたか?」
「日本史は結構好きでしたけど、世界史は苦手でした。あのカタカナ攻撃には、参りました」
「あなたの時は、日本史、世界史の両方履修したのですか?」
「世界史は必修でしたね。確か、高1で履修したと思います。私の印象は、何でこんなに詳しくやるのよ、みたいな感じでしたね」
「グローバルな視野が身についたのではないでしょうか?」
「わざと、そういう質問をしていませんか? 世界史を勉強したからといって、グローバルな人間になる訳ではないと思います」
「私もそう思いますが、実は世界史を必修化した狙いは、そこにあったのですよ」
「学べば、そうなると思う方が短絡的だと思います。漢文を勉強すれば、古の人の心情を理解できるようになるとか、道徳を学べば、みんないい子になるとか……」
「私もそうなるとは思っていませんが、何故か、それを教えればそうなると思い込んでいる人が多いと思います」
「だから、頻繁に教育課程を変え、教科書を変えるのですか?」
「効果がないから、変えているのだと思います」
「何か、言葉が冷たいですね」
「本当にいいものであれば、多少手直しして、基本的なことを変えずに使っていけば良いと思います。教育現場の意見を全く汲み上げないで行っているので、結局いろいろな不都合が発生するのだと思います」
「迷走の原因は、何だと思っていますか? その辺りの分析を、是非」
「その切り口だと、批判的に言わなくてはいけないので、こうすればという話をします。1つは、現場主義に戻ること、2つ目は、教科書編集に現場の声を反映させる。3つ目は、歴史教育の原点に戻りましょう、こんなところでしょうか」
「最後の「歴史教育の原点」の意味が、今一歩分かりませんでした」
「本文の中で明らかにしたいと思います」
「よろしくお願いします。ここからが本論です ↓」
現代のことを 解明するためには、様々な学問分野からのアプローチが必要
「現代日本が抱えている様々な社会的・精神的な問題を根本的に考え直すためには日本の歴史を遡(さかのぼ)って考える必要がある。特に、出発点にあたる日本の古代の歴史を新しい現代的な視点に立って再検討するということが重要ではないか」―—これは哲学者廣松渉(ひろまつわたる)氏が1993年に提起した問題意識です(平川南『新視点古代史 日本の原像』小学館.2008年/10-11ページ)。
歴史学会には、応仁の乱以後の歴史を知っていればそれで充分とか、幕末からの近現代史で充分という見方、考え方があるようですが、祖先の遺伝子を連綿と受け継いできたことは科学的に明らかですので、勝手にどこかの時代で区切って、それ以前を切り捨てるという態度は厳に慎まなければいけないと思っています。
なぜ、子供や孫が自分に似るのか。その素朴な疑問に答えるために用意された答えが「生まれ変わり」でした。ただ、親や祖父が生きている場合がありますので、そうすると説明がつきません。ただ、今では遺伝子のなせる技ということが分かっています。遺伝子の数はおよそ2万です。これが連綿と途切れることなく受け継がれてきたことは確かです。
日本人の起源については、諸説あるようです。土着の縄文人が住んでいたところに弥生人たちが入ってきたというのが、ほぼ定説だと思いますが、いずれにしても日本は島国なので、かなり純粋なかたちで遺伝子がこの日本列島の中で受け継がれていったのは間違いのないところでしょう。
日本人についての生物学的な解明は今後も続けられて、さらに詳しいことが分かると思いますが、歴史学的に大事な視点は、そこから現代につながる価値観なり、統治の考え方やアイデンティテを探ることなのです。
漠然と歴史的事実を見るのではなく、現代という視点から歴史を見るようにしなければ、何も分かりません。ただの事実確認で終わります。例えて言えば、りんごが落ちたのを見て、「落ちたという事実があるでしょ」ではなく、なぜ落ちたのかという探究がなければ意味がありません。そして、ニュートンの探究はそれまでの物理学の諸成果に基づく探究だったはずです。つまり、現代のことを解明するためには、それに関連する歴史的分野は当然のこととして、考古学的、政治学的、経済学的、法学的、民俗学的といったありとあらゆる分野からのアプローチが必要なのです。
「歴史総合」の概略が判明
2022年度から「日本史A」と「世界史A」を組み合わせて、2単位の必修科目の「歴史総合」(仮称)をスタートさせる動きとなっています。ただ、この科目は概論的な科目という位置付けのようです。というのは、このあとに「日本史探究」、「世界史探究」という科目の履修を考えているからです。
その「歴史総合」の内容をイメージしてもらうために、指導要領で示されている内容を紹介します。まずは、章立てを見て頂きたいと思います。教科書が作成されていませんので、ここから内容を類推するしかないと思います。
A 歴史の扉 (1)歴史と私たち
(2)歴史の特質と資料
B 近代化と私たち
(1)近代化への問い
(2)結び付く世界と日本の開国
(3)国民国家と明治維新
C 国際秩序の変化や大衆化と私たち (1)国際秩序の変化や大衆化への問い
(2)第一次世界大戦と大衆社会
(3)経済危機と第二次世界大戦 (4)国際秩序の変化や大衆化と現代的な諸課題
D グローバル化と私たち (1)グローバル化への問い
(2)冷戦と世界経済
(3)世界秩序の変容と日本 (4)現代的な諸課題の形成と展望
AからDまでの単元で構成されています。総論や生徒自身の考察を指導する単元を最初や最後にそれぞれ置くというのが新しい試みとして採り入れようとしていることです。Aが概論、BからDのそれぞれの最初の(1)が「問い」とあり、問題提起をするつもりだと思われます。率直に言ってかなりアバウトな表題となっています。最後はグローバル化となっていますが、今回のコロナ禍を境に米中対立の先鋭化に象徴されるようにグローバル化は終焉を迎えつつあります。
若干の問題提起
ア、「日本史探究」、「世界史探究」が通史なのに、その概論的科目の「歴史総合」がどうして近現代史なのか。
イ、アクティブラーニング(話し合い学習)を多く入れたいという感じを受けます。(教科書を見ないと断定的には言えません)
週2時間の授業でアクティブラーニングは無理ですし、概略的な授業でアクティブラーニングは不要です。「探究」の授業で行えば足ります。議論の前提には、ある程度の知識が必要ですし、歴史観も必要です。歴史をどう見て、どのように考えるかは学問の世界で行うべきことです。高校の勉強の段階では、正確な歴史的事実とその因果関係を理解させることが重要です。そして、1つの意見だけ載せて、高校生に「どう思うか?」と聞いても、教科書を100%正しいと信じている彼らから何も返ってこないと思います。
ウ、明治維新が異様に大きな扱いとなっているのは何故なのか
教科書がないので何とも言えないのですが、章立てを見る限り、開国、明治維新を経て「国民国家」として歩み始めるという考え方なのでしょうか。
エ、何のための歴史学習なのかを明らかにする必要があるでしょう。歴史を学ぶということは、自分探しをすることでもあるのです。それが分からないので、暗記科目になってしまうのです。
そして、歴史学と子供たちに教える歴史(歴史教育)とは、目的が違います。歴史教育は、先人の功績を知る道徳の授業でもあるし、アイデンティティを確立するための自分探しの授業という側面もあります。
読んで頂きありがとうございました。
よろしければ、「ぶろぐ村」のクリックを最後お願いします↓