「昨日に引き続いて、3.11のことについて話をしましょうか」
「昨日の話の中で、浅間山大噴火によって鎌原(かんばら)地区が大打撃を受けた時に、黒岩長左衛門が家族を再編成したというのがありましたよね。凄い話だなと思いました」
「生き残った人たちを一度にカップリングさせたのですからね。だけど、今の時代に使えないかなあ」
「少子化だから、黒岩長左衛門が行ったように、子のない親と親のない子、妻をなくした夫と夫をなくした妻、それぞれまとめてしまうというのですか?人間はモノではありませんからね。怒られますよ」
「それは半分冗談として、ただ彼の視点を見習うべきだと思います」
「家屋、道路、農地よりもまず先に家族を考えたということですね」
「日本の復興の発想は、まず家屋、道路、そして地域の施設があって、家族については踏み込まないというスタンスですよね」
「プライバシーの領域ですからね。江戸時代はプライバシーという感覚そのものが余りなかったのではないでしょうか」
「お互いオープンな付き合いをしていたと思いますので、一緒になる素地みたいなものはあったと思います」
「身分制の時代ですから、一緒になってからの苦労がきっとあったと思います」
「その記録は残っていませんが、当然あったでしょうね。そして、復興に100年かかったと言われていますが、被災した代の人たちが、子や孫に復興の思いと願いを託し、それを彼らが誠実に受け止めたので、復興がなったということです。
「復興というのは、被災者の魂をその地域の復興に取り組んでくれる人たちに受け継いでいく作業なんですね」
「だから、真っ先に考えなければいけないのは、やはり家族であり、地域の子供たちへの教育だと思います。その辺りの視点が欠落した報道が多いと思います」
「ここからが本論です ↓」
目次
地域住民を惹きつけている「文化」の復興から始める
「福島の復興なくして東北の復興無し、東北の復興なくして日本の再生なし」――菅総理が今の内閣の基本方針だということで、しばしば口に出して言っているスローガンであり、コピーです。選挙向けのコピーならいざ知らず、政策の指針になるようなものではありません。
上の会話の中で、彼女が「被災者の魂」という表現をしていましたが、地域にはそれぞれの「魂」となるような「文化」があります。それをまず最初に立て直すことが「復興」の第一歩となります。それをしないで、堤防だけを高く積み上げ、立派な道路を作ったからといって、住民が戻って来る訳ではありません。
何がその地域の「文化」なのか。それは地域によって違います。その地域の人たちを惹きつけているものがあるはずです。だから、人々はその地域を自分の故郷と感じるのです。災害とともにその文化がなくなってしまうと、地域の求心力が無くなって、急速に衰え始めます。求心力さえあれば、遠く離れて暮らしていたとしても、人々を惹きつける力をもちます。だから、先人は何か大きな災害があると、地域の求心力を高めるために祭りを考案したのです。日本の各地に遺っている祭りの多くは、そういった歴史の中から編み出されたものなのです。
それは例えば、ユダヤの民を2000年以上にわたって惹きつけたユダヤの教えで示されたような力となって現れることもあるのです。
地域の「魂」と人間の「魂」―― 同じ原理が働いている
人間の肉体と魂の関係で考えてみたいと思います。人間の肉体をミクロの視点で視ると、おびただしい数のパーツによって複雑に組み合わされた構造物として認識できます。魂の存在を否定する人がいますが、そのおびただしいパーツを中心において束ねている「存在」があるということでしょう。だから、死んだ後に急速に肉体が分解して腐敗をし始めるので、「一塊(ひとかたまり)」ではなく、そこで「寄せ集め」ということが証明されることになります。
(「satonocaori.com」)
どんなに重病を患っていても、生きている間は分解をせず腐敗しません。当たり前といわれそうですが、考えてみれば不思議なことです。ところが、ご臨終となった瞬間から、肉体は腐り始めます。腐るというのは、肉体が一斉に解散をし始めるということです。解散ということは、その中心点があったということです。集団行動をしていて、引率者が解散と言うと、子供たちは思い思いの方向に散らばっていきます。あのイメージです。中心点から一斉に離れるということは、論理的に考えると、肉体を肉体として保持している力をもった存在物、つまり魂があると推察されるのです。
復興というのは、地域ごとに考えるべきもの
「朝日新聞」(2021,3,10日付)は被災した三県の住民にアンケートを取って、「復興」の現状を記事として掲載していますが、被害の状況が三県とも違うので、比較すること自体に余り意味がありません。さらに、10年後、地域の雰囲気・活力はどう変わると思いますかというアンケートをとっていますが、余り意味がある質問とは思えません。10年後にどうなるかは、これからの取り組み方によって、どうにでも変わるものだからです。
それよりも、住民たちが認識している「地域」を客観的に把握して、その復興に向けて誰が中心となって動いているのか、その人の考え方なり方針をその地区の住民がどの程度理解しているのか、そして、それを次世代にどう受け継ごうとしているのか、そこが最も肝心な点です。
被災した地域の中には、10数世帯位しか残っておらず、殆ど壊滅的な地域もあったのです。その中で、ボランティアの人たちの協力を得て、地域を立て直すために歩み出した人もいるのです。ただ、ここからさらに長い道のりが待っているのですが、それを地域の人たちがどう捉え、それを受け継ぐ人をどのように育て、そこに行政がどの程度サポートできるのか、これらのことが有機的に上手く結合しなければ、復興は上手くいきません。
震災復興の考え方は、地域の創生や人口減で疲弊した地域再生においても使うことができる
地域も一つの「生命」をもった有機体と考えるのです。「生命」なので「魂」、つまり中心人物あるいは組織が必要です。「魂」のレベルによってその地域がどの程度再生できるか、殆ど決まると言って過言ではありません。
中心になって地域を取りまとめるためのカギは文化と教育です。文化は具体的に、祭りとか地場産業です。人々が心を一つに出来るようなイベントであったり、作業であれば良いと思います。そして、それを定着し、啓蒙するためには教育が必要です。地元の小学校の存在が特に重要です。規模が小さくなったから、生徒減だから統廃合すると言っているようでは駄目です。
学校というのは、勉強を教えるためだけの機関・組織ではなく、地域の文化の伝承を行う場所でもあり、地域の中心的な「存在物」でもあるのです。そういった、捉え方をする必要があるのです。
(大阪府 教育コミュニティ/pref.osaka lg.jp)
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