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戦後の占領政策を検証する(2) ―— わずか6年で講和となった理由 / 講和を結ぶと同時に、軍事同盟を結ぶという離れ業

「前回にあなたが戦後をいつまで使い続けるのかと言ったでしょ。結構、鋭い質問だったなあと思っています」

女性

「「もはや戦後ではない」と宣言したことがありましたよね。高校の政経の授業で習った覚えがあります」

「私が生まれた頃の時代です。1956(昭和31)年の『経済白書』ですよね。宣言したものの、その後も戦後を使い続けました」

女性

「その時は、GNP(現在のGDP)が戦前の水準を超えたのですよね」

「朝鮮戦争の特需もあったりして、日本経済が回復基調に乗った時です。お前は、良い時代に生まれたと親に言われたことがありました」

女性

「経済が回復しただけで「もう戦後ではない」と言ったのは、少し違っていたということですね」

「日本人というか農耕民族というのは、もともと楽天的なんです。何か良いことがあると、それで全て良し、全て終わりと考えるところがあります」

女性

「肝心の戦争についての総括をしなかったのですよね」

「確かシベリア抑留の最後の復員兵が帰還したのが1956年です。というように、ようやく日本の社会が先の戦争を客観視できるような時代になる前にアメリカとは講和をしています」

女性

「「早過ぎた講和」といつもおっしゃってますよね」

「スポーツで言えば、凄まじいほどの惨敗を喫して、しばらく放心状態が続き、我に返って先の試合の敗戦原因を分析しようとしていた時に、ラッキールーザーで本戦入りを告げられたようなものです」

女性

「講和というのは、要するに仲直りということですよね」

「アメリカと仲直り条約を結ぶということは、イコール国際社会に復帰することを意味します。すぐに国連加盟が認められます」

女性

「しかし、あれほどの凄い戦争をしながら、わずか6年足らずで講和を結ぶアメリカの度量が大きかったということでしょうか?」

「アメリカからすれば、やむを得ない講和だったと思っています」

女性

「ここからが本論です ↓ 表紙写真は「昭和館デジタルアーカイブ」提供です」

 わずか6年で講和となる

敗戦が決まりアメリカ軍による日本占領が始まります。GHQの最高司令官マッカーサーが厚木飛行場に降り立ちます。1945年8月30日のことです。マッカーサーはアメリカの陸軍軍人で太平洋戦争では日本軍との戦闘を直接指揮していた人物です。彼にとって見れば、初めての日本、そしてこれから多くの日本人に出会う訳ですが、彼の胸中はどのようなものだったでしょうか。

これは想像するしかないのですが、穏やかならざるものがあったと思います。彼は、行政官ではなく、直接指揮を執っていた軍人だからです。多くの兵員が犠牲になったことを彼は当然掌握しているはずです。神風特攻隊という彼からすれば、気違いじみた作戦を取る日本という国。鬼のような顔をした連中と思っていたかもしれません。

そんなマッカーサーにしてみれば、日本滞在の日々は驚きの連続だったと思います。昭和天皇との会見内容は明らかになっていませんが、出迎えた時と見送りの時の態度が全く違っていたので彼なりに驚いた内容だったと思います。そして6年後にアメリカの上下両院合同会議で彼は演説をしています――「私は日本国民ほど清らかで穏やかで、秩序正しく且つ勤勉な国民を他に知らない。また将来人類進歩のための建設的任務において日本国民以上に高度の希望を寄せ得る国民を他に知らない」。彼の考えが、異例に早い講和に影響を与えたことは確かだと思います

(「Amebaブログ」)

 講和を結ぶと同時に、軍事同盟を結ぶという離れ業

マッカーサーが演説したからといって、アメリカ全体がその日本人観で動く訳ではありません。客観的な情勢の中で、占領政策は決まっていきます。中国革命(1949年)により共産党政権が誕生し、朝鮮戦争(1950年)をはさんで北朝鮮が社会主義陣営に与(くみ)することが確定します。日本だけの占領を考えていれば済む時代ではなくなったのです。どうすれば良いのか。アメリカは考えたでしょう。

前回のブログで書きましたように、在日米軍を極東方面の監視組織として活用する方針が打ち立てられます占領軍をそのまま使っても良いのですが、その場合は占領の必要なしと判断された時点で米軍が駐留できなくなります。そうなると極東方面が空白地帯になる恐れが出てきます。しかも、マッカーサーの話だと、占領そのものはもう不要とのこと。であれば、ここで占領政策を区切ってしまい、占領軍としてではなく、米軍駐留の方途を模索し始めます。

そのアイデイアが講和を結ぶと同時に、軍事同盟を結ぶというウルトラC級の離れ業だったのです。つい6年前までは激しい戦争をしていた同士が軍事同盟(安全保障条約)を結ぶというあり得ない話は、日本に米軍を駐留させるための「口実」に過ぎません。当時は今のようにマスコミが発達していません。そのウルトラCは極秘のうちに進められたのです。

(「オールアバウト」)

 日本に勘違いが広がっていく

1951年9月にサンフランシスコ平和条約がアメリカをはじめとする連合国との間で締結され、これによって日本は独立を回復します。その瞬間に占領軍は日本にいる法的根拠がなくなりますので、その根拠を与えるために同じ日に軍事同盟が結ばれます。教科書は差し障りのないように日米安全保障条約と書いていますが、簡単に言えば軍事同盟です。

当時の日本には、自衛隊どころか軍隊は解体されてありません。軍事同盟というのは、お互い軍隊を持っているから成り立つのですが、片一方の国の軍備がなく、もう片一方の国に全面的に依存するという世にも奇妙な軍事同盟が結ばれたのです。その理由は、米軍に日本も含めて極東監視の役割を果たそうという狙いからです。

ところがそこから勘違いが発生したと思っています。つまり、独立を回復し、さらにその5年後に国連への加盟が認められたのは、日本が平和国家として歩み始めたため、国際的な信用を得たからと思い込んでしまいます。中には、憲法9条のお陰と考える人も出る始末です。あれだけの規模の戦争を引き起こして、10年、20年程度で国際的な信用を得たと考える方がおかしいのですが、思い込みが激しい民族なので、そういう誤解が都市伝説のように広がっていくことになります。

(講和条約に署名する吉田首相/「NHKオンデマンド」)

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