「今日は終戦記念日ですが、例年この日は晴天というのが定番だったのですが、今年は様子が違いますね」
「各地で大雨の被害が出ているようです。実家が長崎でしょ。大丈夫ですか?」
「心配だったので、連絡を取ったところです。高台なので、一応大丈夫だろうという返事でした」
「完全にこれは異常気象ですね。8月の中旬の天気ではありませんものね。気候変動問題については後日扱うこととして、今日は戦争で犠牲になられた方々を偲んで、終戦記念日にまつわる話をしたいと思います」
「確か、親族の方が靖国に祀られているのですよね」
「昨年もその話をしたのですが、伯父ですね。ノモンハンで戦死しました」
「いつも思うんですけど、どうして戦争になってしまったのかなと思います」
「それは私も思いますよ。伯父は農家の跡取り息子だったですからね。戦死の知らせを聞いて、両親つまり私の祖父母は1週間殆ど何も食べずに塞ぎ込んでいたそうです」
「多分そのような思いをした方が、日本の各地にいらっしゃったのでしょうね」
「多くの犠牲を出したのですが、その犠牲を無駄にしないためにも、そこから教訓を汲み取って欲しいと思っています。実際に、何の総括もなされていません。全面否定からは何も生まれません。何のための戦争だったのか、負けてすいませんではなく、教訓とすべきこともあるはずです」
「そうですよね、私達のような30代の世代は、多分戦争を他人事のように受け止めている人が多いのではないかと思います」
「それは、どういうこと?」
「私たちの世代は、戦後史をほとんど習っていないのです」
「そう言えば、こんなことがありました。2,3年前ですが、20代の若者たちの電車の中の会話です。お前、知ってる?日本ってアメリカと戦争したんだって。えっ、ホントに、マジ。それで、どうなったの、という会話を聞きました」
「何か終わったなっていう感じの会話ですね」
「だから、学校現場で「公民」を教えていた時は、日本が戦争に敗けたこと知っている?と質問してから戦後の憲法制定の話をしていました。小学校では、君が代の歌詞の意味を満足に教えていません」
「ここからが本論です ↓」
目次
「不思議な勝ちはあるが、不思議な負けはない」――大事なことは 敗戦から汲み取るべき教訓を探し出すこと
「不思議な勝ちはあるが、不思議な負けはない」。プロ野球で活躍した野村克也監督がよく口にしていた言葉ですが、もともとは江戸時代の剣術の達人の松浦静山の言葉です。要するに、負ける時は、負けるべくして負けているということです。
そして、大事なことはその敗戦から汲み取るべき教訓があるはずなので、それを見つけ出すということだと思います。
「日本人にとって大東亜戦争とは何であったか」(『正論』2005年9月臨時増刊号、産経新聞社)というテーマで渡部昇一氏(上智大学名誉教授)と日下公人氏(東京財団会長)の2人が対談をしています。その中で、日本に対して向けられた悪意ということで3つのことを挙げています。1つは、アメリカの敵視政策。2つ目が、中国と朝鮮の蔑視。3つ目が、マルクス主義イデオロギーです。
戦争になぜ敗けたのか―― 司令塔がバラバラで本当の「トップ」がいなかったため
アメリカの敵視政策によって、日本は補給路を断たれます。いわゆるABCD包囲網です。ABCDはAmerica, Britain, China, Dutchの頭文字をとったのですが、日本に対して行われた石油輸出規制を含む経済制裁のことです。
このうちの2つは、現在もまだ残っています。そして、敗戦の最大の問題は、司令塔がバラバラだったこと。そもそも、陸軍と海軍が反目して、別の方向を向いて戦っていた。陸軍は大陸に目を向け、海軍は太平洋に目を向けていた。2つを総結集してもアメリカの軍事力にかなり見劣りがするレベル、負けは必然的だったのです。
そして決定的だったのは、大所高所から物事を判断する「大政治家」がいなかったことを指摘しています。その点について、日下氏は「こちらが敵を選べるくらいに大きくなり、強くなったとき、どう相手を選ぶかという大政治家を育成していなかった。真面目ではあったが、逞しいリーダーシップを発揮できるような政治家を持たなかったこと大東亜戦争の惜しむべき点です」と言っています。歴史に「たら、れば」はタブーですが、そういう方がいれば、いきなりアメリカに対して戦いを挑むという方法を採らなかったのではないだろうか、と言っています。外交交渉の道、オランダに対する宣戦布告でも良かったといいます。
(「歴史まとめ.net」)
なぜ日本は昭和以来、「大政治家」が出ないのか―― 登用制度に問題あり
どうして「大政治家」が出なかったのかという点については、登用制度が原因と言っています。それは現在のキャリア公務員の登用制度のあり方にも通じるのですが、最初の入り口でゴールがほぼ決まってしまうような昇進システムなのです。人間の発達は人によって様々なので、多くの経験を積む中で能力を高めていく人もいますが、そういう人材を拾うことが出来ないシステムなのです。若かりし時に受けた国家公務員試験の点数がすべてという世界です。中国の科挙と同じです。科挙の弊害が説かれ、中国では清の時代に廃止したのですが、日本は時代を経た今も何故かそれを受け継いでいます。当然、官僚制の弊害が出てきます。
(「livedoor」/中国科挙博物館(南京))
ただ、それをどのように制度設計し直せば良いのか、それは政治家の役目ですが、誰もそれが出来ないということなのです。官僚上がりの政治家も多いので、自分のキャリアを否定することに繋がると思っているのかもしれません。変える意志も、問題意識もないように思えます。
児玉源太郎は、武士階級の出身で陸軍大将として日露戦争で武功を上げた方です。日本史上、最高の軍師と言われていますが、彼が昭和の初期の人間であれば、彼の履歴からすると師団長にもなれなかっただろうと言われています。つまり、「旧制中学から陸軍大学校までエリート養成コースが敷かれ、それ以外の脇道からは入れない」(同上/渡部氏発言)ようになっていたのです。まさに、「金太郎アメ」状態だったのです。今も同じような状況があります。特定の私立高校から東大法学部、そして国家公務員試験総合職に合格してキャリア官僚というルートです。1本道だと「金太郎アメ」状態になってしまいがちです。
そして、渡部氏は「政治家にしろ軍人にしろ、大東亜戦争ではリーダーが日本に決定的に欠けていた。それが日本国家そのものの瑕疵(かし)だった」と言っています。
リーダー不在。実は、その課題は解決されることなく、現在も引きずったままなのです。
(「ダイヤモンド・オンライン」)
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