「この前、フィンランドの話をしたこと、覚えていますか?」
「ええ、ロシアと国境を接している北欧の国ですよね」
「ロシア・ソ連との長い争いの中から、人を育てることを大事にしようということで、独特の教育をしています」
「例えば、特徴的なことを1つ2つ言ってください」
「フィンランドでは、16歳まで、いわゆる日本のようなテストがありません」
「テストがないということは成績をつけないということですか?」
「成績は、つけます」
「えっ、ちょっと意味が分からないのですが……」
「日本の何でもテスト方式を見ているので、そう思いますよね。フィンランド教育省は、「テストと序列付けを無くし、発達の視点に立った生徒評価」が重要と言っています。だから、偏差値もありません」
「だけど、それで国際学力テストはトップクラスなんですね。何か不思議です」
「読み書き計算や社会のルール、民族の歴史といった基本的なことを教えた後は、一人ひとり自分で研究テーマを見つけて、それを中心に日々学習するようです」
「日本で言う調べ学習ですね」
「そのためフィンランドの子供たちの読書量は日本の子供たちの7倍だそうです」
「なるほど、読解力が自然と身につくということですね」
「ただ、そういう学習を指導するためには、教員の力量が高くないと無理なのです。そして、それを指導する過程でその子の発達状況を細かくチェックするのです。1クラスあたり20人なので、目が行き届きます」
「日本は40人学級ですからね。その割には、頑張っていると言えるかもしれませんね」
「これからの時代を考えると、もう一斉授業の時代ではありません。きめ細かく対応して、その中で発達障害や不登校の子を面倒見るという視点がなければ、ダメだと思います。特にこれからの時代は、発達障害を抱えている子どもたちの能力が求められていると思っています」
「一斉授業について来られない子までは、手が回らないという感じですからね」
「落ちこぼれという変な日本語がありますからね。一人ひとりを大事にすることをすれば、子供の人口も増えると思いますよ。ちなみに、フィンランドの人口は、2000年が518万人、2016年550万人と確実に増えています」
「そういうものなんですね」
発達障害とは? 個性の中に才能を見出す
発達障害について、「障害」という言葉のせいだと思いますが、まだまだ誤解、偏見が多いと思います。
「障害」があって発達しないのではなく、発達の仕方がイレギュラーだけなのです。
だから、大人が上手く対応できれば、場合によっては、そうでない子供たちより能力を発揮することがあるのです。
発達障害だったであろうと言われている著名人は、エジソン、アインシュタイン、アンデルセン、モーツアルト、坂本龍馬、織田信長などです。一風変わり者なので、最初は周りの理解が得られなく、衝突をすることが多かったようです。例えば、エジソンは好奇心が旺盛で何でも質問したり、いろいろ試しているうちに火事を起こしたこともあったそうです。トラブルメーカーだったため、担任の先生から「頭が腐っている」と言われ、小学校を3か月で退学させられます。
エジソンが発明王として、やがて評価されるようになるのですが、そこには母親の力が大きかったと言えます。行くところがなくなった我が子を母親自ら勉強を教えたのです。母親のナンシーはエジソンに対していつも暖かく接したと言われています。発達障害の子に対しては、原則として怒らず、怒鳴らず、とにかく良い点を見つけて褒めるようにしますが、普通の子以上に根気がいったと思います。
(エジソン)
しかし一度その能力を開花すると、そうでない人より大きな成果が期待できます。それは、普通の人とは違った角度や切り口からモノを見たり考えたりすることができ、新しいものを創造する能力が高いからだと言われています。
時代は工業社会から高度情報社会に移行しようとしてます。同じモノを大量に作ってという発想ではなく、形のないデータや情報を相互に、あるいは形あるものと組み合わせることにより新たな価値を産み出すといったことを考えることができる人材が欲しい時代になりつつあります。
イレギュラーに発達する子供たちの出番かな、と思っています。イレギュラーバウンドなので、時には大きく跳ねることがあります。それを上手く社会がキャッチできれば、その国、もしかしたら世界にとって有用な人材になるかもしれないのです。
「私は、発達障害は個性であり、発達障害の子どもたちが世界を救うと本気で考えています。もしも発達障害の子供たちがいなかったとしたら、人類は1000年先には廃れているかもしれないとさえ思っています。なぜならば、発達障害の子どもたちの深い集中と専心、そして常識にとらわれない0から1への創造力こそが、新しい世界を切り開く力となってくれると信じているからです」(大坪信之『発達障害という個性 AI時代に輝く突出した才能をもつ子どもたち』幻冬舎.2018年/2ページ)
2018年の新幹線殺傷事件
「週刊文春」2018年6月21日号に掲載された新幹線殺傷事件についての記事がインターネットで公開されていました。走行中の「のぞみ」の中で起きた衝撃的な事件なので、覚えている方も多いと思います。反面教師ということで題材として取り上げたいと思います。そして、日本における発達障害の子供たちに対する教育ということで、考えて頂ければと思います。(公開された文章の趣旨を変えず、短くしてあります。)
2018年6月9日の事件で横浜地裁は小島一朗被告に無期懲役を言い渡す。これは皮肉にも被告自身が望んでいた判決であったので「控訴はいたしません。万歳三唱します」と叫び、両手を上げて万歳をした。眼鏡姿のその風貌からは想像できない凶悪な事件を引き起こした小島容疑者は、「アスペルガー症候群」、いわゆる発達障害である。
被告の父・S氏(52)は、実の息子を赤の他人のように「一朗君」と呼ぶ。こういった人間関係しか作れなかった親に問題があるだろう。5歳のころ、児童保育所から発達障害の一種である「アスペルガー症候群」の疑いを指摘される。「ところが母親は『そんなの大きくなれば治る』と病院にも通わせずに、放置していた。父のS氏の説明だと、『成長は遅いと思っていたけど、学校の先生に“この子は普通ですよ”と言われたので、病院や特殊学級には入れなかった』と言っていた。
地元の公立中学校に進学した小島容疑者は、やがて不登校になってしまう。14歳のときに一朗が自ら病院に行こうとしたときも、薬代が高いからと母親はお金を渡さなかった」(親族)「父親は『男は子供を谷底に突き落して育てるもんだ』という教育方針で息子に厳しかった。共働きのS家では同居している(父方の)祖母が食事の用意をしていたようですが、『姉のご飯は作るけど、一朗のは作らん』とよく言っていた。育児放棄である。
彼が唯一慕っていたのが、母方の祖母だった。小島容疑者は自室に籠もり、インターネットやテレビアニメに夢中になるなど自分の世界に没頭するようになる。食事も自炊をするか、作り置きのものを一人で食べるだけだった。
定時制高校に入学するが、成績はオール5で4年かかるところを3年で卒業したくらい優秀であった。他の人とトラブルを起こしたこともない。定時制高校、職業訓練校に通い、在学中に取得した電気修理技師の資格を活かして、埼玉の機械修理会社に就職。一人暮らしを始める。 「彼は理解力が高く仕事は優秀で、人間関係も特に問題はなかった」(機械修理会社の社員) しかし翌年、小島容疑者はいじめが原因で退社してしまう。小島容疑者は市内で一人暮らしを始めるが、すぐに引き籠り状態になってしまう。両親は一朗を放置する。
2017年2月からは、周囲のすすめもあり地元の専門病院に2カ月あまり入院、ここで自閉症と診断されている。当時彼が身を寄せていた母方の祖母と養子縁組をすることになる。小島容疑者は祖母宅でも、再び自室に籠もってインターネットやパソコンゲームに没入する。その一方で「罪と罰」(ドストエフスキー)、「楢山節考」(深沢七郎)など文学作品や、「ローマ人の物語」(塩野七生)といった歴史物の本を愛読していた。事件後、彼の部屋からは「口語訳聖書 創世記」と題されたノートや、自作の小説らしきものを記したメモなども多数見つかっている。
事件後、母は謝罪の言葉とともに次のようなコメントを発表している。 〈今回このような事件を起こしたことは、(中略)青天のへきれきで、……(中略)……一朗は小さい頃から発達障害があり大変育てにくい子でしたが、私なりに愛情をかけて育ててきました〉
もちろん、発達障害が直接事件と結びつく訳ではありません。彼の生育について、ここで紹介した意図は、両親の彼に対する接し方を反面教師にして欲しいと思ったからです。
完全に真逆の対応をしています。彼の読んでいる本を見ると、かなり能力は高かったと思われます。上手く育ててくれれば、活躍の場が用意され、そして一つの尊い命が助かったと思われます。手をかければ、10倍、20倍になって返ってきたりしますが、手を抜くと、大きくマイナスに作用するということです。
この事件について『 発達障害』(文春新書)の著書がある昭和大学医学部・岩波明教授が語っています。 「発達障害という病気は実はなくて、精神上におこる障害の総称。日本の場合はアスペルガー症候群を指す場合が多い。アスペルガー症候群は、いまは自閉症スペクトラム障害と呼ばれているのですが、対人関係・社会性の障害で、集団生活で溶け込めないということがしばしば起こり、不登校や引き籠りになるケースが多い。また発達障害の子供が親からのネグレクトや虐待に遭うというケースもかなり多いのです」
教育環境、教員養成など抜本的な改善が必要――9月入学説など検討している場合ではない
発達障害の子供に対しては、親と教師がタイアップしてきめ細かく対応することが求められるのですが、日本では親が認めようとしない傾向が強く、教員の力量が全体的に落ちていて、見抜くことすらできない人が結構います。彼の場合も、「この子は普通ですよ」と小学校の教員は言っていますので、見抜いていません。そういう状況の中で、特に手当もされず、そのまま成り行きに任せるような感じになっているケースが多いと思います。
支援学校、支援学級というのがあるのですが、「グレーゾーン」の子供も実際にいるのです。親は出来るだけ皆と同じ普通学級と考える人が多いのが実情です。だから、公立にいると支援学校、支援学級を勧められるのを嫌って、私立学校を受験する子も結構います。能力が高い子もいますので、普通に合格しますが、入ってからいろいろ人間関係でトラブルを起こしたりすることもあります。私立、公立を問わず、中学、高校の免許しか持っていない方は、発達障害についての知識が殆どなく、対応の仕方が分からない人も実際に結構います。
それは、教員養成のシステム的な問題に起因しています。戦前は、師範学校があり、教員養成を専門的に行っていましたが、今は、大学の教職課程をとって余分に単位を取得すれば誰でも教員免許を取ることができます。教育学部がない大学でも取れてしまいますので、発達障害といった専門分野を学ばない、学んでもガイダンス程度という人も結構いるのです。
そして、実際のクラスの人数は40人学級(小1は35人)です。そこに一人発達障害の子が仮にいた場合、今の文科省の発想は、症状に応じて、支援学校、支援学級、通級を選べば良いというものです。タレントとして活躍している栗原類氏ですが、彼は8歳の時に当時滞在していたニューヨークで発達障害と診断されます。その経験から「診断や支援プログラムでも、日本とアメリカでは大きな差があると言われていますが、……『発達障害』への理解という点でも、雲泥の差があった」(『発達障害の僕が羽ばたけた理由』KADOKAWA.2017年/50ページ)とコメントしています。
文科省は一人ひとりの子供たちの能力を伸ばすというその原点に立ち返って、教員養成について抜本的な対策を考えて欲しいと思っています。
政府は9月入学に向けて、30本超の法改正を検討するとのこと(「日経」2020.5.21日付)。研究するのはいいのですが、仮に9月入学が実施されたとしても、今の問題状況を放置したままでは、殆ど意味がありません。9月に入学させても、子供の能力が高くなり、日本の教育が良くなる訳ではありません。
重要なことは、1クラス当たりの子供の人数を欧米並み、今の半分にする、教員養成のシステムを抜本的に変え、教員の絶対数を増やす、教育のデジタル化の整備を進める(エアコンですら入っていない学校もある)、不登校や保健室登校生徒への遠隔授業の手当て、教育の地方分権化を進める(中央集権教育の時代ではない)など、課題は山積しています。
9月入学だけ検討して仮に実施したとしても実りは少なく、結局、大山鳴動鼠一匹で終わると思います。そういうことすらも、見通すことができない人達がこの国のトップにいるということでしょう。
読んで頂きありがとうございました。
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