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武士道精神を見直す / 生き方の指針であると同時に組織論の指針ともなる

「世界には約190の国があります。大きく発展する国、破綻する国、停滞する国、様々です。同じ国でも、政権が変わり、政策が変わることにより経済発展する場合があります」

女性

「考えてみれば、不思議ですね」

「この世には全くの偶然はないので、そこには何か必然的な理由なり法則があったと思われます」

女性

「それは何でしょうか、ということですね。テーマが大きすぎて、どこから考えていいか分かりません」

「じゃあ、企業で考えてみますか。最初から大企業ということはないので、始まりは小さな組織からスタートしたのでしょう。大企業、巨大企業として発展する場合もあれば、泣かず飛ばず、市場から消えていく企業もあります」

女性

「倒産する企業、生き残る企業、何がその差を生むのかということですね」

「真理は隠れたところに潜んでいて、成功法則は極めてシンプルなものなのです」

女性

「スポーツで言えば、重心を低くして、体軸を真っすぐにするというようなことですか?」

「そうですね、ただ、実際にそうなっているかどうかが分からない時もあります」

女性

「どうしてですか?」

「簡単に言えば、自分のことは見えにくいのです。見えにくいので、分からないということです」

女性

「自分の会社、自分の国と思ってしまうと、分からなくなるのですね」

「理解するを英語で言うとunderstand です。Under、つまり下に立って、物事を見ると、よく分かるというところからこの言葉が作られたと思うのですが、要はそういうことです」

女性

「社長よりも社員、国王よりも国民の方が組織のことを客観的に把握していることがあるのは、そういうことなのですね」

「国も会社も組織です。組織論を踏まえて、合理的な組織をつくること、そして組織に見合った人材を派遣すること、最後は人材を継続的に育成できるシステムをつくること、以上の3つの視点が大事です。日本は、一番最後の視点が弱いです。そして、そういった組織を生かすも殺すも最後はトップの力です」

女性

「ロシアに魚は頭から腐るという諺があるそうですが、逆に言えば、ヘッドがしっかりしていれば、組織は腐らないということですね」

「ヘッドでありながら、時にはUnderから見ることができるような人物であれば、物事を全体的に把握できると思います」

女性

「ここからが本論です ↓」

 帝王学を身に着けるためには武士道を学ぶのが一番

明治時代までの歴史を紐解くと、多くの指導者が日本の国を正しく導いていたことが分かります。特に、幕末期はアジア地域は西欧列強の植民地競争の標的とされました。日本もターゲットになったうちの一つです。

危機的状況をある意味、改革のバネに変え、明治維新を成功裡に導きます。江戸城無血開城、大政奉還、明治政府の下で民選議会を開設し、西洋に学ぶものは学びながら近代化を推し進めます。

その奇跡的な成功により、明治維新は多くの国々で今なお研究され、学ぶべき手本とされている」(黄文雄『日本が世界に尊敬される理由は明治維新にあった』徳間書店.2017年)のです。なお、権力構造がその期において大きく変わっています。武士政権から明治政府に移っていますが、大きな犠牲を出さずに「政権の大転換がなされたということも、明治維新が『世界の軌跡』とされるゆえん」(黄文雄 前掲書)です。


その後、日本は日清戦争、日露戦争を勝ち抜き、欧米の植民地の圧力をはねのけ、第一次世界大戦後の国際連盟創設の際には理事国入りを果たします。そのような過程をつぶさに見てみると、一人ひとりが自分の持ち分で能力を発揮しつつ、全体像もしっかり見ているのです。サッカーに例えると、目の前のボールを蹴りつつ、全体の動きも流れも入っているということです。このチームは強いと思います。その原因は、武士道精神を学んだからだと思います。

武士の政権が鎌倉から江戸時代まで続くのですが、その様な中で武士としての生き方、武士道が説かれ、誰もがそれを学んでいたのです。簡単に言えば「弱きを助け、強きをくじく」、つまり自身の身を時には下にしてその立場に立って物事を見たり、組織のリーダーとしてどうあるべきかを学ぶというのが武士道だったのです。それを身に着けていたので、当時の日本は針路を大きく誤ることなく、時代の要請に応えた国づくりができたのだと思います。

 

 新渡戸稲造が説いた「武士道」

先般亡くなられた台湾の李登輝氏が新渡戸稲造先生と言って、常に尊敬の念をもって何かの折に触れて紹介していた本が『武士道、日本の魂』です。この書は、1899(明治32)年、病気療養のためにアメリカで滞在していた時に、新渡戸稲造氏が英文で書いたものです原題は、『BUSHIDO  THE  SOUL  OF  JAPAN』です


その冒頭で「昔あって今はあらざる遠き星がなお我々の上にその光を投げているように、封建制度の子たる武士道の光はその母たる制度の死にし後にも生き残って、今なお我々の道徳の道を照らしている」と記しています。武士の時代は終わってしまったけれど、その時代に教え説かれたことは、我々の心の中に今も遺り息づいていると言っています。

 彼が言葉を変えて、繰り返し説いているのが、下から見たり、上に立って見たり、そのポジションを変えて見る事の薦めです―ー「国際心を抱こうとする人は、まず自分の足で祖国の大地にしっかりと根を下さねばならない。それから頭を挙げて、広々とした世界をみまわすと、自分がどこに立っているか、どちらへ向っていかねばならぬかがわかるのである」(『愛国心と国際心』)

新渡戸稲造氏が自分の信条を言い表しているとして挙げたのが西行の古歌です。

「僅(わず)かなる庭の小草の白露をもとめて宿る秋の夜の月」

庭の草の葉先についた露に写し出された秋の月のように、求めがあれば天から降りて教え導くつもりだ、というような意味だと思います。これを彼は生きる上の信条としていたのでしょう。どんな小さなことでも、私が必要と言うならば、いつでも下に降りてくると言っています。その気持ちと覚悟があれば、世界を俯瞰することができます。言葉を変えれば、現場主義です。現場にこそ、あらゆる組織の問題点、そして発展のヒントが落ちています。そんなことを言っていたのが、ホンダの創業者の本田宗一郎氏です。

 

 「武士道精神」が時代の中で廃れかけている

彼は、国際連盟の事務局長として世界を舞台に活躍をしますが、常に日本と日本人の生き方を気にしていたのです。そして、彼が心配していたのは、やがて時代が経るにつれて、武士道精神が廃れていくのではないかということでした。

その不安は、実は的中したと思っています。大正から昭和、敗戦をはさんで戦後と時代は移っていきますが、目の前のボールだけを見つめている人が増えてしまいました

あえて例を出すまでもなく、今や日本の社会には目の前のボールを相手にパスできないどころか、そのボールを隠したり、切り裂いたりというようなプレイャーが増えてしまいました。これでは、チームとしてまとまって、相手ゴールにボールを入れることはかないません。今は、そんな状況です

そこでどうするかなのです。選手を一からつくり直すということだと思います。そのためには、監督、コーチをきちんと育成することから始める必要があります

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