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日中平和友好条約の破棄を考える時代 / 大陸や半島と関わらない時代、日本は平和だった

 日中平和友好条約の破棄を考える時

1978年に日中平和友好条約が結ばれました。この条約は前文と5か条からなる短いものですが、歴史的な意義も含めて、後世に大きな影響を与える条約です。前文で諸原則の遵守と国連憲章の諸原則の尊重を確認し、本文ではⅰ)平和五原則を基礎とする友好関係の発展並びに武力の行使や威嚇をしないこと ⅱ)覇権を求めない ⅲ)経済、文化、民間交流の発展といったことを内容としたものでした。

ただ、共産主義者にとって何かの契約的な文書を取り交わす時は、相手の行動を縛りたいという場合です。我々のように一般市民的な感覚で、両者に義務付けるといった捉え方をしません。南シナ海の領有権について判断した国際司法裁判所の判決文を中国政府が「紙くず」と表現したことで分かるように、自分たちに都合の悪いことについては守る必要がないと考えるのです。

実際にⅰ) ⅱ)に関して言えば、尖閣周辺では日常茶飯事のように海警局の公船によっての武力の威嚇が続いています。この間の中国政府の日本や周辺諸国に対する対応を見る限り、平和友好条約を結ぶ意義がないと思われます。そもそも「平和友好」というのは、人間で言えば「親友」の意味です。戦後全く国交がなく、その6年前に共同声明が出されただけです。当時の日本は中華民国の台湾と国交を結んでいました。ところが、日本政府は共産党政府と「親友」関係となり、古くからの友人との関係を断ったのです

(「PIXTA」)

当時のアメリカ(ニクソン大統領)の戦略に従っての行動だったのかもしれませんが、その選択自体が間違っていたのです。破棄を考える時期に来ています。ニクソンは後になって「眠れるフランケンシュタインを起こしてしまったかもしれない」と呟いたと言われています。フランケンシュタインは蘇って、暴れ回り始めています。

今から思えば、何故このような条約を結ぶ必要があったのでしょうか。「この問題について、当時の日本の政治家も、後世の専門家も、誰一人として明確な答えを出していない」(石平『中国共産党暗黒の百年史』飛鳥新社、2021年)。「今から見れば、1972年の日中国交正常化の正体は、まさに中共政権による、中共政権のための国交正常化であった。その時から約半世紀にわたる、中国共産党による日本の利用と、日本叩きの始まりに過ぎなかったのである」(同上)。

(「世に倦む日日」/周恩来と田中角栄)

 大陸や半島と関わらない多くの時代、日本は平和だった

日本の歴史を古代の時代から現代までを俯瞰すると、大陸や半島と関わらない多くの時代を日本は過ごしてきましたそしてその時は、平和でした。20世紀になって、いろいろな関わりができてきました。結論的に言うと、関われば関わるほど、ロクなことが起きないというのがこの間の教訓です。

日本には「近所とは遠く付き合え」という言葉があります。近隣諸国に対しても当てはまる言葉だと思っています。約2000年間という時間の中で、日本は20世紀以降、半島や中国とこれほど密に付き合った時代はありません。中国との関係で言えば、遣隋使、遣唐使が有名ですが、その交流も894年の菅原道真の建議で中止となります。彼の中止の理由を一言で言えば、危険を冒すだけの価値はもうない、というものです。唐はその頃は衰えかけていたのは確かです。それ以外に何か理由があったかどうかは私の調べた限りではありませんでした。他に深い理由があるのかもしれません。

(「redbird.no-ip.info」)

 大陸や半島の国に対して、用心深く接していた

大陸や半島の国と国同士の付き合いはないものの、民間同士の交流は盛んにあったようです。半島は目と鼻の先にあります。珍しい文物を手に入れれば、お互い利益となります。対馬や博多に半島や大陸の商人たちが盛んに出入りしていたようです。

唐が滅んだ後、五代十国の諸王朝が勃興し、やがて宋、元、清と中国を統一する王朝が出てきますが、いずれとも国交を結んでいません。中国は中華思想の国なので、冊封体制に組み込まれるのを嫌がったのかもしれません。とにかく、何かを感じ、深入りを避けていたところがあります。

(「Yahoo ニュース」/ボルダリング、旭日旗を模したものと大騒ぎ)

朝鮮半島の諸王朝とも同じです。唯一百済だけが例外という感じです。新羅とは戦火を交えていますし、その新羅を滅ぼした高麗とも国交を結びませんでした。江戸時代の朝鮮使節を日本との友好関係の証と考える人もいますが、「朝鮮からの一方的な使節団の派遣」(石平『朝鮮通信使の真実』WAC、2019年)です。彼らの日本に対する精神構造は現在と同じです。彼らが当時書き遺した文章を読めばそれが分かりますが、罵詈雑言のオンパレードです。今回のオリンピックだけでも、垂れ幕騒ぎ、旭日旗騒ぎ、食事騒ぎといろいろありました。あの騒動を起こす精神構造は今に始まったものではなく、先祖代々引き継がれたものです。日本の先人たちがそういった姿を見て、深く関わろうとしなかったのだと思います。

当時の日本人は、中国に対しても、半島に対しても上手く立ち回っていたと思います。「亜細亜」という言葉が出始めて、近隣諸国に対して無警戒になり、不用意に近寄って不幸を招き入れた。それが現在の日本の暗雲の元になっています。

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