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経済的な転落期に入った日本 ―― キャリア試験 (国家公務員採用総合職試験) が「科挙化」すれば国は沈む

女性

「大陸と半島に関わり始めて日本の転落が始まったという昨日の話は、少しショックでした」

「どうしてですか?」

女性

「私たちは、戦後は周辺諸国と仲直りをして、平和な社会を周りと協力して築き始めた日本というイメージでいたからです」

「まあ、確かに日本国憲法の前文には、そのように書いていますからね」

女性

「「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し……」ですよね」

「日本人は律儀なので、このように行動しなければいけないと思い込んだのかもしれません」

女性

「そう思うのは自由ですが、実際には厳しい現実があったということですね」

「戦後においても、世界は弱肉強食ですからね」

女性

「戦争が終わって、平和の時代がやってきたという感覚だったかもしれませんね」

「全く無条件で、何の努力もなしの平和はあり得ないと思います。平和も競争社会の勝者が手に入れることが出来るものなんです」

女性

「そういう視点はなかったと思います。平和は平和なので、戦争の準備をしなければ平和は手に入る、それと競争を結び付ける考えはなかったと思います」

「今でも、その考え方は根強くあると思います。戦後の「平和刷り込み教育」の影響です。長崎市長が核兵器廃絶条約の批准を日本政府に求めていましたが、言う相手が違います。核保有国に言うべきでしょう」

女性

「仮に日本が批准をしたらどうなるのですか?」

「批准をしても、世界の核保有国に対して何の影響も与えませんので、核兵器廃絶への一歩にもなりません。逆に日本は軍備において「敗者」が確定して、勝者は自由に脅すことができると思い始めるでしょう」

女性

「競争という視点が、人間にとって必要ということですね」

「人間ということになると、哲学的な話になってしまいますが、人間は本来はナマケモノです。競争という要素を入れることにより、緊張感を持たせ、そのことによって能率を高めたり、能力を発揮させたりしようというのが、現代の考え方だと思います」

女性

「ここからが本論です ↓」

 世界は競争社会——競争しつつ協力し、勝負をする世界で生きている

皆んな仲よく、皆んなで発展出来れば良いのですが、そういう世界ではありません。生き馬の目を抜くような存在の国が日本の近くにいくつかあります。理想論を掲げるのも良いのですが、厳しく現実を見る必要があります。

試合で勝つために真剣に練習している人間と、スポーツは友好を深めるために行い、勝つことにそれ程意義を求めないという2つの考え方があったとします。何を例えているのか分かると思いますが、後者が日本です実力差があれば、勝負にこだわらない態度でも勝ってしまうこともあるでしょう。ただ、実力が拮抗すれば、勝つことは難しくなります

その悲哀を味わい始めたのが、今の日本です「大事なことは勝つことではない。自分自身の最善を尽くすことが大事なのだ」(石川洋『13歳からの人間学』致知出版、2004年/34ページ)と教えられて育った戦後世代が多いかもしれませんが、教えというのは常に周りの状況と照らし合わせて判断されるべきものです。世界が競争社会であり、競争に敗れれば国が無くなることさえもある世界、勝たなければ意味がありません。

(「PIXTA」)

 経済的な転落期に入った日本

国力を考える時の方程式は、経済力×政治力×教育力です。ただ、政治力も教育力も数字で表わすことが難しいのです。そのため、どうしても経済力に話題が移りがちです。経済力は普通GDPで表わしますが、それは労働生産性×人口で算出できます。数字で出るので、各国との比較や経年比較もできます。だから、非常に便利なのでしょう。そんなところから経済指標に関心が向いてしまう傾向がありますが、実際に重要なのは教育力なのです

 「日本は今、豊かな国から転落していく坂道にいる」(原英史「第三臨調創設せよ」『正論』2021.9月号)。日本は、先進国の中では比較的人口が多い部類に属するため、何とかGDPの値で3位に踏みとどまっているだけで、労働生産性(2019年)は世界34位でした。韓国よりも低く、アメリカの約6割の水準です。労働生産性というのは、労働する過程においてどのくらいの価値を付けることが出来たのか、それを数字で表わしたものです。

労働生産性と一言で言いますが、時間あたりの労働生産性、製造業の労働生産性、サービス業の労働生産性などいろいろな切り口があります。その中で、日本の製造業の労働生産性は大変高く、1995年、2000年は世界一位でした。しかし、こちらの数字も21世紀に入って急落します。2005年9位、2010年11位、2015年16位です。

  (「ニッポンドットコム」)

 

原因は「官僚社会主義モデル」にあり――キャリア試験が「科挙化」すれば国は沈む

結果があるということは原因が必ずあるということです。先に紹介した原英史氏は「官僚社会主義モデル」をその原因に挙げています。「明治の富国強兵の時代以来、日本では官僚機構が国を牽引した。戦後復興から高度成長期には官主導の『日本株式会社』が機能した」(同上)としています。

それが何故、機能しなくなったのでしょうか。それは官僚機構が劣化したからと言っています。それでは、何故劣化したのでしょうか。官僚の採用試験が「科挙化」したからです。科挙は中国で行われていた官僚採用試験ですが、世界一難しい試験と言われていました。ただ、記憶力が良ければ受かってしまいます。日本のキャリアの採用試験と同じです。ある特定の大学出身者が占める割合が多く、そのように人間集団が「金太郎アメ」状態になった時から組織は劣化をし始めます。

(「Wikipedia」)

つまり、同じような方向を見て、同じようなことを考えているような人間集団であれば、刺激がなくなり、学びもなくなり、組織としての新鮮さが無くなるからです。

今日の『産経』(2021.8.12日付)に商社マンだった人が60歳の定年後に外務省の任期付き職員として働き始めたという記事が載っています。彼の「企業では収益、今は国益を考えている」との言葉。こういう人材を採用することにより、均質な官僚集団に刺激を与えることになります。

根本的には学校教育の在り方、大学共通テストのあり方を考える必要がありますが、取り敢えず、採用、研修、評価の仕方を変えることによって組織に活力を与えることも出来ます

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